ひさしの日記

ゲーム、本、映画、音楽、景色

私の人生

2017-10-22 05:06:48 | 思ったこと
私の今から書くものは私的で他者が読んでも面白くないし、かえって不快な思いをさせるかもしれない文章である。

読まなくて結構。


中学生の頃は不登校であった。

なぜ不登校だったがわからないが不登校であった。

学校にも行かず部屋で過ごす日々はなかなか辛いものがあった。

大人目線で考えると単なる骨休めかもしれないが、中学生当人からすると世間一般から外れるという恐怖は心にあった。

私は長崎の諫早出身で中学生まではそこで過ごしたが、高校は行くところがなく、大分の不登校時を受け入れている学校に通った。

そこの校舎がちょうど私の祖父の出生地にあたり、因縁めいたものもあったか。

1年生のときは通信制で田舎を先生たちと旅したり、料理を作ったりのんびり過ごした。

2年からは通信制ではなく、校舎の方に通い、軟式野球部に精を出した。

このときがいちばん充実していたか。

高校卒業後、働こうと考えていたし大学に行く資格は自分にないと思っていたが、先生と親のすすめで福岡の大学に行くことになった。

学費を最優先に選んだものだから、その大学は荒れていて、授業中に喋りまくるは、髪色が変だし、なかなか馴染めなかった。

だいたい田舎者の私が都会に出て馴染むわけはないのであった。

大学生のノリなどわからないし、私は元気なエゴイストではない。

就活もろくにせず、本を読んだりゲームして過ごした。

大学卒業後、地元に帰り1年コンビニでバイトした。

一言でいえば空虚な日々であった。

バイトのおばさんからも妙に嫌われた。

お客さんのから誘って頂き、運送会社で働きはじめた。

2年半ほどだったが、自らのことしか考えず勝手に振る舞う上司、その尻拭いばかりで面白くなくなりやめた。

この2年半は私の人生で高校生のときと同じく人並みに生きていた時代かもしれない。

その後、道を模索するものの優柔不断で強い意志を持たぬ私はやりたいことなどなく、地元の職業能力開発支援センターに通った。

建築系の勉強をするかたわら、独学でも宅建の勉強をはじめる。

授業の始まる前や昼休み、放課後に勉強し、20%くらいの合格率を通ったのだからたいしたものだ。

卒業後、賃貸物件の紹介する不動産業に使用期間で入ったが、私はあまりニコニコするタイプではなかったし細かな仕事を覚えることも不得手で首になった。

途中、長崎から佐賀の鳥栖へと移転になったのは、実家住まいに限界を感じていた私には好都合であった。

不動産業をやめた後は野菜屋でバイトはじめたが、そこでは口うるさいおばさんに辟易しやめた。

私にはどうもケチをつけたくなるなにかがあるらしい。

仕事が粗いし無愛想なので誤魔化すことも下手。どこか素直でないところがある。

今は仕事していない。ゲームばかりしている。

雑費により貯金もなくなっていくばかりだ。

これであるなら地元で運送会社にずっと居続けた方が貯金も貯まったろうと思う。

下手したら1000万くらい貯まったのでは。

1000万を棒にふっていま謳歌している青春は、あまりにも呆気ないものである。

馬力もなくなってきたと思う。

次はまた、運送会社にでも入ろうかなと思う。
もしかしたら人との出会いの中で良い人とめぐりあえるかもしれない、などとぼんやり考える。

私のフラフラ人生にも、少しは軸ができるかもしれない。
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