はてなブックマークを見ていたところ、内田樹氏のブログの「ネット上の発言の劣化について」というエントリーに多数のブックマークがついていた。
ネット上の発言の劣化について (内田樹の研究室)
そして、そこについていたブックマークを見ると、予想通り「炎上」していた(ように僕には見えた)。
はてなブックマーク - ネット上の発言の劣化について (内田樹の研究室)
とりあえず、こういうエントリーを読んでおきながら、“ネットで嫌なことがあったんだろう”という「非論理的な推論」とか、“そもそも内田樹の言葉なんてオレは信用してないし”という「お前なんか、いてもいなくてもおんなじなんだよ」式の言葉を書いている人がいることが、発言の劣化という事態をそのまま表しているようで頭を抱えてしまう。
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数日前から、朝日新聞の試し読みサービスを利用している。正直に言って、ネット上でよく批判されるように、内容はなんとも首をひねるものが多い。書かれている一つ一つの事実はとりあえず信用するにしても、それをまとめあげて提示される末尾の結論が「おい、どうしてそうなる」という感じだったりする。「ただ平和をむやみに願う呑気な知識人の読む新聞」という雰囲気は確かにある。
ただ、よくネット上で断定されるように「朝日新聞はいらない」「朝日新聞は読まない方がいい」かというとそうでもない。個人的には広告欄がとても面白かったのだ。いろんな面白そうな本の宣伝が出ていたし、「
報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪」なんて本まで、ちゃっかり広告欄に載せていたりする(言い訳くさいやり方だけど)。
そういうのを見ながら、「ああ、朝日新聞というのはこうやって『都会に住む平和で呑気な文化人のための新聞』としてありつづけてきたのだな」ということがわかる。
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「鵜呑み」にさえしなければ、「染められ」さえしなければ、別にどんな新聞や雑誌を読んだって、いい悪いってことはないのだ。「朝日新聞はいらない」「そもそも新聞はいらない」と言うのは自由だけど、そう言いがちなネット言論の多くが、ことに新聞批判やテレビ批判になると、あっけなく目の前の言葉を「鵜呑み」にしてしまう(僕にはそう見える)のは困り者だと思う。
ことに「もう新聞はいらないし有害だからネットだけを見る」という精鋭化した意見については、ちょっと待てよと思ってしまう。そんなことを言ったって、ネット上の言論の起点が、従来のマスコミ報道に「また馬鹿なこと言ってやがる」式のところから始まることが多い以上、マスコミからの情報がゼロならネット上の言論だって壊滅しかねない。
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まったく話が変わるけれど、日本が第二次世界大戦に突入した理由は、当時、貧窮していた農村部の農民の怒りが軍と結びつき、政争だけを繰り返す中央政界をテロによって黙らせてしまったことが原因だといわれる。また、戦後はその反動もあり、戦争と軍国主義と戦前の権威とをごっちゃにして「昔のものはみな悪かった」「ともかく戦争だけはもうだめだ」という左翼風潮に日本が傾いた時期があったという(以上に書いたことは、新聞でもネットでもなく僕が本で読んだことである)。
そういう知識のもとに、僕はさっき朝日新聞を『都会に住む平和で呑気な文化人のための新聞』と書いた。そして偉そうに言うけど、これが内田樹氏のいう「マッピング」だと思う。
本当の意味で、「正しく」、かつバランスの取れた知識を得たかったら、やっぱりネット上の言説だけでは無理なのではないかな、と僕は思う。ネット上の言説はあまりにも既存メディアへの反発とストレス発散のための言葉に満ちている(これは僕の実感である。言うまでもなく主観である)。
「ネットがある今、新聞に染められていた時代にはないリテラシーを人は手に入れたんだ」なんて主張もあるけど、ならなおのこと(たまには)新聞を読もうよ、と僕は思う。「読み分ける」ことがリテラシーなのであって「読まない」「もういらない」はリテラシーではない。
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最後に一つ。ブックマークコメントの中に「そもそも情報強者ははてブなんか見ない」というコメントがあって、その通り、と思いながら再び頭を抱えてしまった。僕が使っているのもはてなブックマークで、いろいろ使い勝手に問題を感じる所はあるのだけど、以前使っていたブックマークサービスが終了してしまったので、代用に使っていると言うのが正直なところ。何を読むか、どう読むかということの他に、「どんなサービスを使っているか」ということにもリテラシーは影響される、ということを書き添えておきます。