神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

弱さを喜ぶ。

2017年07月11日 | キリスト教


 >>しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。

 ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

(コリント人への手紙第二、第12章9節)


 弱さを喜ぶってなかなか出来ませんけれども、聖書の真理としては、神さまはそう命じておられるといっていいのではないでしょうか。

 神さまは旧約聖書は士師記のギデオンなど、御自身の器をお選びになる時、弱い者や欠けのある者を選ぶことが多いですよね。

 この<弱い>というのは、信仰が弱いとか、神さまを信じる力が弱いということではなく――むしろ逆にその部分は強いのだけれども、この世的な強い勢力にはつい及び腰になってしまう……といった弱さのことだったりします(^^;)


 >>最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。
 時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。

(イザヤ書、第60章22節)


 また、何故弱さを喜ぶのかというと、自分の弱い部分に神さまの恵みが注がれることによって――自分の弱さが神さまの栄光に変えられていくから、と言っていいのではないでしょうか。

 つまり、神さまはわたしたちの心の内の信仰をご覧になって(何分、この信仰というのはからし種のような小さなものでもいいと神さまはおっしゃっているのですから!)、信仰の内にわたしたちを堅く立たせ、弱い部分を強くしてくださるのです。

 もしわたしたちが最初から(この世的に)強かったとしたら、それだけで十分満足し、神さまに求めることはなかったかもしれません。けれども、わたしたちが自分の弱さや欠けを覚える時こそ、もっとも神さまのことを求める時であり、そのような謙遜で心砕かれた者をこそ神さまは好まれ選ばれる、ということです。

 この「弱さ」というのはもしかしたら、何かが「出来ない」ということでもあるかもしれません。

 わたし自身にも実際、仮にどんなに努力したとしても「こういうことは出来ないな」と思うことがいくつかありますが、と同時にまわりの人の「出来ない」ことについては感謝なことがとても多かった気がします。

 たぶん、たとえとしてはあまりに馬鹿らしいかもしれませんけれども、わたしの両親はふたりとも、昔はビデオ(今はもう使わなくなりましたねえ・笑)を予約して録画するであるとか、そうしたこと全般がまるで出来ませんでした。今は違いますが(ふたりとも、その後進化したのです^^)、一から予約の仕方を何度教えても「わからない」とか「代わりにやって」という感じでした。

 また、このことが何故感謝かというと、ふたりともこうした現代機器(?)について、何十回同じことを教えても覚えることがなかったんですね。まあ、普通の人だったらその過程のどこかでイライラしたりキレたりしたかもしれませんが、わたしも気の長いほうなので、「あ~ハイハイ」という感じで対応していました。

 ですから、仮に外でどんなに「何故こんな簡単なことも出来ないのか」という人に出会っても、特に驚かないしまるで動じないのです(笑)もしわたしの両親がパソコン操作も当たり前のようにスイスイできる感じだったら、「何故こんな簡単なことも出来ないの?」と思い、必要以上にイライラしたり、相手のことを馬鹿にした態度を取ったりといったことが、もしかしたらあったかもしれません。

 こうした形で、弱さと(神さまの)愛というものは結びついている気がします。

 つまり、「わたしはこんなにも弱い」、「何も出来ない」という時こそ、たったの1%の信仰の力で問題が神さまにあって解決していくというポイントがあるということですよね。この残りの99%については神さまがやってくださるので、わたしたち自身には蟻のような力しかなくても、神さまの御力が働くことで、巨象が倒されてゆくのです。


 >>蟻は神さまにお願いしました。

「神さま。わたしが象を投げ飛ばせるくらい、強くしてください」

「いいだろう。ただし、あなたが象を投げ飛ばすのではなく、わたし自身がそれをしよう」

 蟻は神さまにお礼を言い、感謝し賛美の歌を歌い、主の御名を誉め讃えました。何故といって、これで象に踏み潰される心配をすることなく、安心して生きていけるのですから。

 そして神さまはこの蟻の信仰を義と認められました。 


 ……という、何かそんなことですよね(笑)

 そして、わたしたちクリスチャンは、こうしたことのゆえに神さまのことをなおいっそうのこと褒め称え、どんなことがあっても感謝し賛美の歌を歌い、霊歌を捧げて生きていきたいとますます願う者となるのです

 それではまた~!!




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