ノンビリートな職場のこと(おもに愚痴です;あしからず)、自転車や二足歩行での職場近傍探索を書きます。
ゆうゆう職場



 
 さて正月休みは今日まで。明日の出勤に備え、済ませることは済ませておこうと殊勝な心構えも、遅い朝食(当然、お餅)を済ますと怠け体に打っ遣られる。それ以前に、何をすべきか分からん(分からんようにしようと、身体脳がそそのかす・・・)。畑のエンドウが心配で、昨日から思案している。昨夕、川辺で切り出してきた竹から90cmほどの竹杭(串?)を作ろうと、日向で鉈を振り始める。思いのほかたくさん造り上げるのは欲張り根性のなせる業。採取してきた10本ほどの1間長さの丸竹の出番は無く、夏野菜か何かの役に立てようと囲い込むことに。
 エンドウの幼い苗を冬の北風・西風から守ろうと、まずは防風用の藁を立て掛けるに支えの竹串を作るつもりで川原の藪に出かけた昨夕。その時、ふと、串だけでいいか不安にはなっていた。竹串を畑に突き刺し、藁を巻き付ければ確かに風よけとなる。が、一本立ちの串ではいかにも心もとなく、じきに倒れてしまうのでは。串の支えに細目の竹を横に渡すのが◎と分かるものの、もう暗いし、明日(すなわち今日のこと)のこととする。そんなこんなで、出かけた賢妻との昼食までの間に、再度同じ竹藪に向かい、8本ほど細目の竹を持ち帰る。
 昼食後、エンドウに取りかかればよろしきものを別作業を妻から仰せつかっていたことを想い出す。すなわち、硬くなり始めたお鏡さんを(鏡割でなく)切ってほしい と。しかも、やり方の指導までついていて、亡父は暖かい縁側で押し切りで餅きりしていた と。実は、いくらずぼらな私でも朝食後に砥石で押し切りの刃を研ぎだして準備はしていたのだ。思えば、幼いころ同居していた牛の餌に藁も混ぜていた記憶があり、細かく切ってやるのにこの押し切りを父が使っていたような。また、我が家の荒壁の材料となる藁も押し切ったのでは などなど。
 それではと、曇天で縁側の恩恵もないから、TV;信濃のコロンボ・中村梅雀 を観ながら切る。意外と切りやすくはかどる。妻の意見を素直に聞き入れ、一部の餅からは”アラレ”素材となるように細切りをつくる。20歳ころまでは醤油味のアラレが大好きであったことを想い出す。母が居たころ、1月の寒餅ではたっぷりの”アラレ”・”かき餅”そして”水餅・・・カビないように水中で保存する切り餅 のこと”を作った(搗いた)もの。かき餅用には鎌の刃を使った長大なカンナ状の切り出し道具があって、材料の餅(色粉や青のりで色の付いた)を手にした父が跨いでいたなぁ。これら餅を作るに、父母が若いころには暗い朝から、陽が陰り始める3時頃まで搗いたものらしい。何十臼も搗き上げていたのだ。それだけ、おやつになるお菓子などが無かったのだろう。ところで暮れの30日の私は餅つきで一番しんどい”小附?;コツキ”を機械餅つき機にたよってしても、3臼でバテたほど。歳というか、なまりたくった身体になってしまいつつ…

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 対馬丸 雨降りでDIY »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
 
この記事のトラックバック Ping-URL