麻の道の復活ー産業用大麻による地域活性化

古来から長い麻の伝統を持つ日本で、麻製品を運んだ街道を発掘し、環境資源麻の古き良き文化を次世代へ伝えてゆきます。

「産業用ヘンプの環境改善効果」

2005-01-17 10:57:20 | 産業用ヘンプレポート
マニトバ州では自然エネルギーを使用した発電事業を大きな収入の柱としており、現在は小麦などで生産している、植物由来のエタノール工場も稼働している。このバイオエタノール工場を運営する石油会社のガソリンには10%のバイオエタノールが混合されており、将来ヘンプ由来のエタノールを製造する事も可能であるという話である。マニトバ州では農業が大きな産業になっている影響か、天候や自然にとても敏感で最近の不安定な気候に困っている模様である。政府職員もさかんに地球温暖化の問題を口にしており、農業経営者にとっては深刻な問題である。写真:「マニトバ州政府農業多様化部のブライアン部長と農家視察の帰りに州政府の建物の前にて。彼は新しい農業の可能性を開発する部局の部長で、マニトバ州で栽培される農産物の事なら何でも知っていると言う、この道25年のスペシャリスト。日本向けのソバや小麦、大豆などのプロジェクトに関わった経歴を持つ。」
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「マニトバへ上陸」

2004-11-26 23:37:29 | 産業用ヘンプレポート
人口62万の州都ウィニペグに到着した。マニトバ州の約6割の住民がウィニペグ圏に住んでいる。今回の訪問ではマニトバ州政府の熱心な支援をいただいた。産業用ヘンプによる地域経済活性化に向ける政府の熱意が伝わってくる。今回案内していただいたのが、マニトバ州政府の政府間業務および通商担当マネージャーのショーン。日本に滞在した経験も持つ、国際ビジネスのスペシャリスト。ここでは、しっかりとヘンプを地元の特産品としてとらえ、販売の拡大プロモートを州政府が率先して行っている。民間と行政のつながり,ネットワークの良さが目立つ。少ない予算でかなり効率的な公共事業が行われている模様である。市内の最先端スポットでもある「ザ、フォークス」内にはヘンプ衣料を扱うエコショップ、ヘンプパンやヘンプケーキを販売するパン屋さんも営業し、多くの観光客や地元のお客さんで賑わい、ウィニペグ名物のひとつになっている。 写真:「マニトバ州政府、政府間業務および通商担当マネージャーのショーン。日本に滞在した経験も持つ、国際ビジネスのスペシャリスト。」
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麻で地域活性化!那古野〜信州

2004-08-20 18:32:09 | 麻の道で地域活性化
美麻村にある、国の重要文化財、旧中村邸から発見された、麻の交易の古文書。これにより美麻村の取引先は名古屋だったと解明された。現当主の中村さんのお話では、この名古屋との交易の影響で美麻には名古屋の文化の影響が多く残っていると語っていた。今後この部分を掘り下げ、文化的にもその同一性を証明してゆきたい。一方、送り先であった名古屋での状況であるが、私の実家のある、名古屋市西区那古野1丁目は、1610年、今から約400年前に現名古屋城を徳川家康により築城を命じられたときに、清洲越し(きよすごし)という、当時の尾張の首都であった清洲から街ごと引っ越しを行った大事業により出来た街で、円頓寺(えんどうじ)や浅間神社などの寺社と、商人や限りなく商人に近い武士や職人などが移り住んだ歴史がある。江戸期から昭和にかけて、多くの人でにぎわい、江戸時代にしては広い四間の道幅の道路が整備された事から、四間道(しけみち)と現在では呼ばれる地区となっている。この古い町並みが残る四間道地区と隣接する円頓寺(えんどうじ)商店街が私の生まれ育った原風景である。現在、名古屋駅から歩いて15分と言う都心に残る最後の古い町並みが、相続税などの影響でぞくぞくと取り壊されている。そこで、地元やこの町並みに関心がある人でミーティングを開き、この地域の歴史を掘り下げ、地域を活性化させる動きを取っている。中心メンバーの一人で地元の町会長でもある川原さんが、この春に調査した地元の歴史を小冊子にして刊行された。その中に、約300年前のこの地域の商人の記録のページがあり、驚く事に、僕の産まれた那古野1丁目には2〜3軒の麻商が商売を営んでいた。屋号は、麻屋や麻生屋で、記録によれば7代つづいた名店であったようだ。もちろん、現在では、どこから仕入れて、どのような物を扱っていたのか知る由もないが、今回の美麻村での発見で、ひょっとしたら、中山道などの街道を通って、名古屋に入ってきた麻商品を復元する事が出来る可能性がでてきた。名古屋、美麻と遠くに位置しながら、先祖代々続いてきた交易の歴史がつないだ、まちづくりの貴重なネットワークだと直感している。愛知万博などで、環境循環型資源としての麻が紹介され、その当時の交易の歴史などと会わせて紹介されるべきものである。興味がある人々が自主的に声をあげ、実現に向けて力を集める時期である。麻でつながる地域活性ネットワーク、今後の展開が楽しみである。
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復活!!麻の道

2004-08-20 18:28:07 | 麻の道で地域活性化
美麻フェスティバルの初日、弁護士の丸井先生のご紹介で,現美麻村村長の北沢さんとお会いできる機会をいただいた。とても気さくな村長さんで、村の活性化を麻にかける熱心な思いが伝わってきた。村営の温泉施設ぽかぽかランドで昼食をとったあと、村の名物のひとつ国の重要文化財でもある旧中村邸を案内してくださった。現地につくと、美麻村の前村長で20年間も村長の役職を勤められた現当主の中村さんがお出迎えしてくださった。この旧中村邸は300年以上の歴史を誇り、現存する日本の木造民家では最古の部類に入る貴重な歴史的遺産であるとともに、信濃の産業や文化が実際に体感できる最後の施設でもある。美麻村の産業はなんと言っても麻である。中村家は代々、この地域で麻取引を一手に引き受けてきた名家で、日本の麻産業の歴史をかいまみることができる。数年前、この建物を改修する際に、屋根裏から、江戸期の商取引の古文書が発見された。現在では蔵を改造した資料館に展示してあるが、この古文書によると、大部分の取引先は名古屋であったとある。名古屋の白木屋などの名前も見えるがその名古屋の中でも大取引先が、名護屋、伝馬町の堀田清右衛門なる人物であった。個人的な事になるが、今回ご紹介していただいた、弁護士の丸井先生と、この記事を書いている私、加藤はともに名古屋出身、しかも産まれた病院は、ともに名古屋城内にある名城病院と、30年の歳の差はあるものの、大きなシンクロニシティー(共時性)を感じてしまう。私に取って、地域活性でつながる今回のこの発見が、江戸時代の麻の道を解明する大きな手がかりとなっている。
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美麻フェスティバル

2004-08-18 23:34:30 | 麻の道で地域活性化
長野県の北部、高速の長野インター、豊科インターから車で50分くらいの山あいに美麻村はあります。人口は約1200人、典型的な過疎の村でもある。村名のとおり、美麻村では戦前から麻の栽培が盛んで,昭和30年代には、ほぼ全戸が栽培、出荷していた。戦後の大麻取締法により栽培が許可制になり、化学繊維の普及もあって、1980年代には村で栽培する人がいなくなってしまった。村では、昨年、産業用の大麻の栽培を復活させ、村名由来の麻で地域おこしをはかろうと、麻栽培の規制緩和を構造改革特区に申請している。今回は美麻商工会の主催で、第一回美麻フェスティバルが道の駅で開かれた。会場には麻に関する、食品、繊維、アクセサリー、建材、書籍の販売ブースが東京、名古屋、大阪などから計20社が出店し販売していた。私達も「麻の実ナッツのカップケーキ」と手作りの「麻の実のガトー、麻の実のビスケット」を販売させていただいた。多くの麻の商品の中でも長野県特産の麻の実そばは大人気で、多くの来場者ののどをうならせていた。お客さんも第一回にしてはかなり関心があったようで、地元の人の話では、道の駅ができて初めて駐車場が満員になったということで、小さいながらも一歩一歩前進している感覚があった。私たちの商品「麻の実のお菓子」はカナダ産のオーガニックヘンプシードナッツを使用しているが、どこの麻の実ですか?と多くのお客さんからも質問されたように、将来は国産の麻の実を使ってお菓子づくりができたらうれしい限りである。ほんの数十年前までは、全戸で栽培していた麻をもう一度栽培し、自分たちの村を過疎から救おうという地元の熱意が伝わってくる記念すべきフェスティバルだった。誘っていただいた、ヘンプレボの赤星さんをはじめ、お世話になったみなさまに感謝しています。今後もこの日本の食料、エネルギー自給率をほんの少しでもあげる事ができるように、普段の小さな選択を積み重ねる生き方をしてゆきたい。
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