明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


朝呼び鈴で起される。ついさっきまで北斎を作っては乾かししていたし、腰の痛みが太腿奥や膝下に移動しているので立ち上がるのも難儀であったが、出てみると、向こうのお宅の呼び鈴を押してる二人組。“ああまたあれか”昔のアメリカンコミックみたいな安手の印刷物配る連中である。今日は子連れでない分まだましだが。 北斎を作りながら、そろそろ架空のジャズマンの頭を試しに作ってみようか、と。学生時代の友人が、昔買ってくれた作品を久しぶりに飾ってくれているとフェイスブックで見たのがきっかけである。 私が最初に架空のジャズ、ブルースマンで個展をやったのが、82年である。あれでまた今年個展を、という話しをいただいている。やるといったものの、何十年も作っていないので、期日など決められないでいる。頭が1つできれば、見えてくる物もあるだろう。話しをいただいた時、周囲に「冗談じゃないよな今さら。」と同意を求めた友人達が、全員やれ、という。確かに荷風を作れば荷風ファン、乱歩作れば乱歩ファン、せいぜいそんなファンが喜ぶだけだ、と連中は口を揃えていう。初期の作品は架空の人物なので飾りやすいとも。そういえば、駅ばりの企業ポスターや、TVCM、雑誌に使われたりしたのもそのせいであったろう。 初個展の直後に川崎麻世司会のTV番組に出た。人形だけで私は出演しない約束だったが、デイレクターと私が揉めているのを夜遅く、スタジオ中の疲れた顔のスタッフが見つめている空気に負けた。その代わりタレントみたいに、同じことを初めてみたいな顔して何回もは恥ずかしくてあいえないので一発で、という条件で。第一回と二回の二本撮りで、この新番組、まだ誰も観てないのに感想のお葉書が着ていた。東京12チャンネルからテレビ東京に変わった頃だったか、まだオールナイトフジも始まる前の深夜番組であった。歌のコーナーのパンジーと扇ひろ子が目の前で観られたのは良かったが。
 
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

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