明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



読書の一日。私の読書は一種のロケハンといってよいだろう。作品化するに価する場面を選定し、イメージを膨らませる。そのまま描き、何も加えないほうが良い場合と、時に書かれていない裏側まで描いた方が面白い場合があり、また、両者のバランスが重要である。 セルゲイ・ディアギレフの決定版伝記『ディアギレフ―芸術に捧げた生涯』ジェング・スヘイエン著 鈴木晶訳(みすず書房)がようやく出るようである。伝記好きの私としてはそれこそ待望の書である。岡田かつやはロボコップというより鉄人28号だが、あの頭、ヘアースタイルは、ディアギレフの真似しているようで可笑しくてしょうがない。ディアギレフは頭が大きすぎて、母親が難産で亡くなったらしい。帽子など色々苦労していたが。
世田谷文学館の内覧会。グズグズしているうちに出かけずに終りそうだが、まったく何も観に行かないというのも、と電車に乗る。京王線に乗るとKさんから『俺の女に手』。というメールが着た。おそらく『俺の女に手を出さないで』と書くはずが、送信してしまったのであろう。こういう意味不明なメールはしょっちゅうである。いや何故着たか判らなくもないのだが、これでもあまりに馬鹿々しい話は避けているので書かない。 世田谷文学館は何年ぶりであろうか。1930年代の世田谷はそれこそ二十面相が暗躍した寂しい場所であったろう。村山槐多の二少年図。乱歩邸にあったもので、当館で、この前で乱歩像を撮影したのが懐かしい。図録がハードカバーの立派な物であった。私は世田谷にも郊外というものにも愛着がないので、早く帰りの車中で熟読したい。隅田川の向うへ帰ろう。 
文豪アンケートの6名様の連絡先がようやく揃う。発送まで少々お待ち下さい。半数が志ん生という意外な結果に。背景はK本です。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午前、埼玉より作品を取りに来ていただいた方があり、喫茶店で無事お渡しする。記念に撮影を、ということで店の人に撮って貰った。
私の1冊目の著書『乱歩 夜の夢こそまこと』だが、出版社が倒産し、倉庫も明け渡すという事態だというので、残部の20冊を引き取ることにした。アマゾンを見ると在庫は2冊。あとは店舗の在庫分で終わり、ということであろう。 2009年の県立神奈川近代文学館の『大乱歩展』では私の作品がメインビジュアルとして使われた。会場の書籍売り場には様々な乱歩本が並んでいたが、肝腎の拙著は置いていない。その中の作品が使われている。ここに置かずにどこへ置く、という場面だったのだが。契約的に、すでに私には売れても一銭もはいらないのだが、せっかくだから文学館にお願いしてみたら、真っ先に話をしたが、出版社に断わられたという。理由は判らないが、それじゃ駄目じゃん、という話である。 しかし、本を作ることにより、普段一人で制作している私には、共同作業の楽しみを味合わせてもらった。仮にデザインまで自分でやっていたとしたら、自分で見ていてすぐ飽きる物になってしまったであろう。客観的な目が加わってこそである。 というわけなので、今後作品集に使った作品を、HPで公開していこうと思う。今だったらこうする、ということはあろうが、真面目にやり過ぎるとどこか可笑しい、という現在の私の作風の最初が、この江戸川乱歩であった。周りでバタバタしたりグチャグチャしていても、乱歩先生はあくまで無表情である。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


友人から訊いた話。彼女の学生時代の友人で、NY在住の女性がいる。私も昔会ったことがある、その彼女が最近似顔絵描きになり、プロを目指している。という話を先月聞いた。次に三島由紀夫を描こうと考えているそうで、その話を日本人の知人にしたら、昨年日本に帰って、こんな個展を観て来たというのが、私の『三島由紀夫へのオマージュ展』であった。世の中は狭いという話である。
Kさん風邪がなおったのかT千穂にいるとメール。買い物ついでに行ってみると、咳をしながら元気そうである。それにしても、たとえ“へ”とはいえ、額に10センチ以上の大きな傷があるのだから、人相に影響ありそうなものだが、まったく影響がないところがさすがKさんである。本人もまったく気にしていない。 昨日『三丁目の夕陽』を観てきたという。映画など20年も観なかったのに、私が60過ぎてると安い、と教えてから連続して観ている。映画を観て泣いた、と照れていた。あんたは少し、そういう種類の涙を流したほうがいいんだよ。といっておいた。 映画について人と話した経験がないものだから、まだ観ていない私に対して、ネタバレの話を盛んにしているようだが、何いってるかほとんど判らないので放っておいた。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




お祝いのケーキも一休禅師風にいえば、“冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし”といったところである。五十肩にはここ半年以上悩まされているし、風邪もひきやすくなった。 中学生の時、母方の祖父が亡くなり、その亡骸を見て、親が産んだせいで、私もいずれ間違いなく、死ぬ苦しみを味わうことになってしまった、どうしてくれる、と思った。これは今後よほど楽しくて気持ちの良いことがなければ合わないぞ、とも思った。あげくが今の状態というわけだが、ムチで叩かれて喜んでいる人もいるわけだから、楽しくて気持ちの良い状態も人それぞれということである。 無責任に生きているせいであろう、私は年齢より若く見られがちである。40になってもほうれい線がなかったので、割り箸でこすってみたりした。74で亡くなった父は白髪がなく、私も齢のわりに少ないほうであろう。しかし父は自慢のようであったが、傍で見ていて、あまり可愛気のあるものではなかった。やはり齢相応というのが一番である。 昨年Kさんに連れられフィリピンパブに行ったとき、女の子に齢を訊かれた。またか、と少々ウンザリして答えると信じない。齢より上にいう意味などないだろう。すると片言の日本語で「苦労ガ足リナインジャナイ?」といわれ私は固まった。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日から妙に熱っぽい。インフルエンザと風邪の違いを知らないまま、この齢になってしまった。昨年の個展に、工芸系専門学校の時に教わった先生に来てもらったが会えなかった。本日からグループ展だというので是が非でも行かなければならない。神楽坂の赤城神社の近くが会場なので、その前に母と待ち合わせて父の墓参りに行くことにした。神楽坂の途中で待ち合わせるが、母はあっちへ行ったりこっちへ行ったり用事を済ませていて待たされる。次第に悪化してくるのが判る。2時すぎに食事をしながら熱燗を二合だけ。焼け石に水。みるみる寒気。墓参りを済ませ、赤城神社に向かう。泉鏡花の湯島の白梅の舞台は実はここだ、と地元の人に訊いたことがある。すぐそばの『えすぱすミラボオ』というギャラリーへ。到着するとオープニングパーティーが始まった所。Y先生らしき人を見つけるが、なにしろ三十数年ぶりである。胸のネームプレートを確認して挨拶。 デッサンなど未経験でも入れる学校であったが、私の代は、珍しく男が多く、ほとんど各地で陶芸作家を続けている。トラックの運転手をしてお金をためてきた人など、苦労人もいて、6つもつ7つも年上の人たちとの出会いは、得ることも多かった。学校は経営上の問題も起きて、Y先生は学校と生徒の板ばさみで、後に胃潰瘍の手術をしたということであった。以後、東京で展示をされるときは連絡をいただくことに。 息も荒くなり。なんとか帰宅。解熱剤を飲み、これでもかと着込んで布団にもぐりこみ布団乾燥機をオン。夢うつつで訳のわからないことをブツブツいっているのが自分で判った。時間としては僅か30分ほどであろう。汗をかき、峠を越す。下着を換えこれを書く。百鬼園のことを考えている今日この頃だけに。自分で何をいっていたのか悪夢を録音できれば面白かったのだが。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




百間は写真で見ると齢とともに不機嫌そうな、への字口の角度ががだんだん激しくなり、さらにギョロリとした目玉でいかにも皮肉屋という顔になる。 随筆には随分ノラを中心に猫の作品があり、それらを続けて読んでみると、ノラを失った悲しみで、あんな表情になってしまったのかも、と思えてくる。私は小学校一年に始まり、教科書に出てくる肖像写真には、髭を書いたり1カットも残さず悪戯描きをしたのは断言できるが、百間の顔に溢れる涙を描き加えれば、あのへの字の口は、長期にわたって涙をこらえていてああなった、と思うであろう。 『ノラや』他で日々泣き暮らす百間の様子は、特に愛猫を失った読者には涙ものであろう。私の場合は、以前読んだ時にはさほどの感慨を抱かなかったが、読み返してみてこらえ切れなかったのは、『猫が口を利いた』である。亡くなる前年の作品で、ほんの短い小品である。 先生ほとんど寝たままの状態である。その寝床で猫がオシッコをしてしまう。不自由な身体で枕元のちり紙で拭く。すると足の方で声がする。「騒いだって仕様がない。手際よく始末しておけダナさん」。なんとなく聞き覚えのある調子である。寝てばかりいたらなおるわけないので、なおすように心掛けて昔のように出掛けなさい、という。気分が悪くて堪らないので、枕元のシャンペンを飲もうとして猫に引っぱたかれてこぼしてしまう。「何をする」「猫じゃ猫じゃとおしゃますからは」「どうすると云うのだ」「ダナさんや、遊ぶのだったら、里で遊びなさいネ」「どこへ行くのか」「アレあんな事云ってる。キャバレやカフェで、でれでれしてたら、コクテールのコップなど、いくらでも猫の手ではたき落としてしまう。ダナさんわかったか」 このくだりは何回読んでも涙である。何故なのかは解らない。幸い私は書評家ではないので分析などせず、余韻だけを仕舞っておくことができる。“病床文学”とでもいうジャンルがあるなら、傑作の一つであろう。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


朝、私の書き方が悪かったか「Kさんのご快愈お祈りします」というメールをいただいた。実にもったいない。その10分前に、Kさんから久しぶりにT屋に行きます。とメールが着ていた。久しぶりも何も、一昨日朝からT屋で飲んで、ブラブラしていて風邪をひいたのである。周囲では心配するだけ損だともっぱらである。
久しぶりにTVでマリアンを観た。大騒ぎだった離婚騒動について語っていた。もう十数年前の話らしい。私がまだ黒人のブルースマンを作っていた83年に、日本TVの『美の世界・アートナウ』という番組に出たことがある。司会の榎本了壱氏のアシスタントをしていたのがマリアンであった。性格も良さそうで、実に可愛いらしかった。 当時私は隣がソロバン塾の長屋に住んでおり、そこにカメラが入った。撮影は音声から何から案外大掛かりで、近所のオバサンが何事だと外で作業しているスタッフに尋ねているのが聴こえた。ご近所からすれば、夜中は電灯が点いていて昼は雨戸を締め切っているし、2ヶ月間ではあるが、妙な犬を従えて歩いているし、胡散臭く思われているのは、回覧板を届けに行けば明らかであったが、その日以来住みやすくなった。 スタジオのマリアンは可愛かったが、それよりスタッフの中に気になる人物がいた。音声を担当していたのが後に『スゥインギン・バッパーズ』を結成するギタリストの吾妻光良さんであった。こっそりサインを下さい、といったら仕事中なのでといわれてしまった。当然である。現在は本社役員であるらしい。 マリアンの娘達は芸能活動をしているようだが、私などからすればお母さんの方がまだまだ良い。

去の雑記
HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりに内田百間を読んでいる。例えば『ノラや』。たまたま迷い込んだノラ猫を飼い、ある日突然どこかへ行ってしまう。チラシを大量に配り、必死で探す老人。涙、涙の毎日である。読み始めは可笑しくて吹いてしまうが、そのうちジンとくる。これが、あのしかめっ面の百鬼園先生と思うからなおさらである。 おそらく作者の姿を知っているのと知らないのでは、印象が違うだろう。ということは、作品世界に作者を登場させる私としては、もってこいの人物ということになる。そこらじゅう必死で探し周り、涙にくれる百鬼園先生。創作の余地大有りである。それにしてもノラはどこへ行ったのであろう。 私は昔、たまたま目が合った犬に走り寄られ、それからまる2ヶ月間毎日付きまとわれたことがある。出かけるときは駅までついてきて、帰宅すると暗い玄関前で待っている。それが突然いなくなった。ある日その犬を見かけたのだが、そっぽを向いて私が眼中にない。好きだ好きだというものだから、そこまでいうなら、と振り向いたら、知らん顔である。おそらくこいつはチョロイと媚びてみたが、将来性がない、と私は捨てられたのであろう。まったく馬鹿にした話である。愛犬が曜日ごとに別の家の飼い犬としてすまして飼われていた、という話は遠藤周作のエッセイだったろうか。
Kさんにメールすると肺炎で寝てますと返事。どうせ医者に行ったわけではなく、勝手な自己診断である。つねに心配させるような、余計なことをいう人である。結核や肺癌という場合もある。それでも6つの数字は送ってくれた。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




Kさんより電話。K本の前にいるけど閉まっているという。開店の4時にはまだ間がある。あ、そうかじゃないよ。こんな時間から飲まないよ、と断わる。すでに午前中飲んだそうだが、それほど酔っていないので、案外簡単に引き下がった。Kさんはシラフでは一人でK本に入らない。K本にはKさんのエロがかった与太話の際限のない繰り返しを、黙って聞いてくれる人などいないし、女将さんに出入り禁止をくらったら、どんな常連だろうとアウトである。風邪をひいて寒気がするので帰って寝るそうである。それがいい。 夜。そういえばKさんに文豪アンケートの12から6つの数字を選んでもらわなければならないが、昔付き合った女性が酔っ払って夜中に電話してくるのを嫌がり、家では携帯の電源を切っているので明日に。しかしT千穂に行くと、Kさん結局帰らずヨーカドーで時間潰していて寝てしまい、それから顔をだしたという。体が冷え切っていて調子悪い、とちょっと飲んで帰ったそうである。また朝から飲んで、とみんな諦め顔である。ウサギだってあれほど寂しがらない。 以前、“私が作っているのは誰でしょうクイズ”をしたときの選者は、仕事を終え、T屋で早朝から泥酔状態のタクシー運転手のTさんであった。今回はKさんに、と思ったが。なんで酔っ払いばかり選ぶのか。おそらくクイズ番組のダーツの的や福引のガラガラなどの、グルグル回転し攪拌されているイメージ。あれが頭のスミにあるので、グルグル状態の人を選ぶのであろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


制作  


深川図書館に行く。百間、北一輝関連書など読む。数人平行して作るなら、北一輝も、と押さえがたいものがあるのだが、発表の予定のない物は作ってはならないと戒めている。自分の作った物に刺激されて、ということは有りがちであり、頭山満や大川周明、はては孫文まで、などということになったらどうするんだ、ということである。これは丁度、それまでブルース・ジャズマンを作っていたのに急に江戸川乱歩を作り出して周囲を呆れさせた時と似ているが、江戸川乱歩は椅子や屋根裏に潜んでいるイメージなど、いくらでもわいて出てきたが、北一輝や大杉栄ではそうもいかず、だったら作るわけにはいかないのである。 図書館の帰りに日曜大工センターに寄り、普段は熱帯魚売り場だけで避けていた犬猫のコーナーに寄ってしまう。2日目である。毛並みは百間の飼ったノラというわけにはいかないが、まったく子猫の可愛さはふざけるな、といいたいくらいで実に目の毒である。
文豪アンケートは、日本人に限れば漱石、鴎外、谷崎、など多かったが、やはり文豪の豪の字の重々しさのためか、明治の作家が多かった。幸田露伴、正岡子規、坪内逍遥、旧いところでは滝沢馬琴、新しい所では吉川栄治、安部公房。小泉八雲もいただいた。子規やハーンは正面の顔で本人に見えるか、という問題があるが。ハーンについては実現はしなかったが鏡花とともに幽霊を登場させたいばかりに、アダージョでも随分押してみたものである。 お答えいただいたのは12名。有難う御座いました。6名様を、近所に住む額にへの字の人物に選んでもらいます。おってご住所、ご希望の号を伺います。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




川端康成を作ろうと思いながら、資料を集め始めたところで止まっている。しばらく一人作っては次の人物を作ることが続いたが、数人分の頭部を平行して作ったほうが効率が良い。それは一人にかかりっきりでいると目が慣れてしまい、それを防ぐために本を読んだりテレビを見たりして気分転換をはかるのだが、複数の人物を作っていれば、別の人物に換えるだけで目が慣れるのを防ぐことができ、作り続けることができる。ちょっと気になることが起き、その理由が判らない時など、考え込むより別な人物に換え、しばらくして戻ると問題点に気づく場合が多いのである。4年間、アダージョで一人づつ作ってきたので忘れていた。誰を作ろうかと文豪アンケートなどやってみているのもそのためである。 文豪という感じでもないが内田百間を作ることに決めた。作家シリーズを始めた当初作ることを考えたが、最初の6人の中に、乱歩とタルホがすでに入っていたので止めた。特に似ているわけではないが、丸っこい顔に眼鏡が多すぎてしまうからである。百間の顔は様々なシチュエーションに応えてくれる顔である。完成の暁には久しぶりに人形を携え、列車に乗って撮影に出かけてみたい気もする。

文豪アンケート31日中にお願いします。http://blog.goo.ne.jp/diaghilev/e/664ab1eb93f6a5035e3c97b2022af356



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




掛け軸のように表装されていないものを、ただ丸めておいては台無しにしてしまうので、掛け軸に巻き込んで仕舞うことにした。竹筆で書かれた頭山満の軸には、内田良平と松井石根(いわね)の書が巻き込んである。なんとも大亜細亜な濃い太巻きである。松井といえば、いい加減な極東国際軍事裁判で、南京事件の責任を取らされ、東條等A級戦犯とともに絞首刑になった人物である。しかし実際は関与はしておらず、日本軍の蛮行を歎き、泣いて諌めた人物である。巣鴨プリズンに収容される前夜「かりそめにも親愛なる中国人を虐殺云々ではなんとしても浮かばれないナァ」といった。反省するのも良いが、中には本気で白人から亜細亜を開放しようとした人物もいる。正しく評価されていないのはなんとも残念である。 
先日、布団から出て台所まで行くのが面倒で、電気ポットを買った。昔の電気ポットと違って沸くのが早いは、沸騰すれば勝手に止まるは実に具合が良い。そこで抹茶を飲むことにした。普段は冷凍庫に保存しているが、いつまでももつ物ではないし、普通にしているとなかなか減らない。そこで一番気に入っている萩茶碗で飲んでいる。もっとも、作法も何もあったものでなく、山賊がドブロクを飲み干しているが如きの調子で、茶碗をワシつかんでゴクリとやっている。

文豪アンケートは今月末まで。メールにてお願いします。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


昼にKさんよりお好み焼き屋から電話。銭湯で倒れて数日大人しかったのだが。いってみるとT屋のHさんとメガチューハイという大ジョッキのチューハイを飲んでいる。床屋で散髪し白髪を染めていた。実に判りやすい。今日鎖骨の骨折の件で医者に行く予定でいたが、そこで20年前に付き合っていた人とバッタリあったので、また会えると準備万端だったわけである。だいたい浮気がばれて別れたのだから、先方としたら嫌な思い出のはずだが、それがKさんには解らない。病院へ行く前、T屋に大ファンのかみさんがいたので朝から飲んでしまい、結局医者には行かずにメガチューハイというわけである。 最初の頃、コルセットをかってに緩めてずれたせいで、肩に血が溜まったとかで、コブのようになってしまっている。深川で神輿かついでこうなったことにしたら、といっている。本日も昼間から絶好調で某所で出会った女性の話で盛り上がっている。Kさんが怪我をすると、見ず知らずの方から見舞いのメールがくるし、先日はこんなコメントいただいたんだぜ、といってもただ喜ぶばかりで効き目なし。 午後は図書館で調べ物。その後久しぶりにK本で8時の閉店まで飲み、T千穂へ。飲みながら本を読もうと思ったらKさん御来店。先日は咳がでるので断わったが、二人からしか入店できないK都へ。ひいきのRさんが相手をしてくれて額の“へ”の字の話題で上機嫌のKさん。最後はK路へ。どこへいってもKさんの“へ”の字の話はみんな知っている。プロレスラーでも額の傷であんなに嬉しそうな顔はしない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




東京積雪4センチ。6年ぶりだという。この程度しか降らなくなってしまったのか。天気も良くなり、戒厳令下の帝都の撮影には出かけず。 『三島由紀夫「最後の独白」市ヶ谷自決と2・26』前田宏一著(毎日ワンズ)を読む。2005年に出たものだが、まったく知らなかった。著者は元週間ポストの記者である。事件の直前の11月17日、著者にとって最初で最後となったインタビューをしている。三島はスケジュールを調整し、25日以降の約束はしていないことになっているが、三島に写真撮影を頼むと、「そうだねぇ、二十五日はのっぴきならない用があるんだが、二日もあればカタがつくと思うから二十七日、朝のうちにお電話下さい。そのとき時間決めましょう」といったという。そして今でも三島は市ヶ谷から帰るつもりだったと考えており、目的は死することではなく、訴え、真実に気づかせることだったという。二十七日の約束をした著者ならではの感想であろう。 私にはそう思えないし、未だにニュース映像を見ては、自衛隊員の中から、一人でも二人でも「三島先生お供します」という隊員が現れたらどうするつもりだったんだ、とハラハラする。声届かず、もはやこれまで、と武士がきびすを返し自決する。というのが用意されたシナリオだったはずで、三島のあの場での“演技”からは私にはそれが透けて見える気がするのである。よって映画『MISHIMA』における名優緒方拳のバルコニーの必死の訴えかけは納得がいかない。 三島について書かれているのは第一章であり、後の章は2・26事件についてであり、特に先年発見された青年将校等が獄中で書いた遺書がそのまま掲載されている第三章の『血滾る遺書』が嬉しい。
七時に阿佐ヶ谷。『奇譚倶楽部』という店に『中央公論Adagio』全号を展示いただいているという。行く前に中央線が誇るブルースベーシスト谷口さんのお宅で手打ち蕎麦をご馳走になる。湯煎により70パーセントまで煮詰めるという蕎麦汁。思いっきりドロドロの蕎麦湯も堪能し、一緒に『奇譚倶楽部』へ。発行順に壁に額装されて並べられていた。 帰りの中央線。どうにもトイレに行きたくなり、限界で途中下車したのがたまたま市ヶ谷駅。 東京駅からタクシーでT屋に。先日酔って両乳を露出した女性客等とTVでザ・タイガースを観る。サリーがベースを弾いており、学校の先生になっていたピーがドラムを叩いていた。懐かしくは観たが長生きすると伝説にはならない、とつくづく。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夕方Kさんより昨日銭湯で倒れたと電話。目の前が真っ暗になり、1時間ほど寝ていたそうである。救急車を呼ぶかどうか、ということだったらしい。また洲崎は旧遊郭の中の話である。 その前日、Kさんは非番で飲みに来ていた深川警察の婦警の太股を触った話や、オデコを23針縫ってくれた聖路加病院の美人の女医さんの背中を、痛いにかこつけ抱いていた話を嬉しそうに話していた。婦警といえど、仕事を離れればただの女よ、と本人がそういった、というのだが。60過ぎたKさんの話を黙って聞いていると、まるでアダルトビデオを鵜呑みにした高校生みたいなことをいう。 とにかく常に何か起こるのは、かつて赤線の洲崎パラダイスのアーチがあったところを入ってからに限られている。Kさんのこういった性根がお女郎さんの霊の怒りに触れ、祟られているのだ、といつもいっているのだが。アーチがあった側には、私が昔、川口の鋳物屋に頼まれ、アルバイトで作った銅像がある。いい加減な鋳物屋で、嫌な思いをして、結果恥ずかしい形になってしまっているのだが、水子地蔵のような扱いになっており、お菓子がそなえられていたりしているのを見て嫌なことは忘れた。あれに花でもたむけたらどう?といってみようと思っている。 「だいたい何をしても女は笑って喜んでいるみたいにいうけどさ、去年ビンタされて顔面蒼白になった話し、なんでしないんだよ」。

文豪アンケートは今月末まで。メールにてお願いします。 http://blog.goo.ne.jp/diaghilev/e/664ab1eb93f6a5035e3c97b2022af356



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


前ページ