Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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仮面ライダーザンキ さよならザンちゃん

2005年12月26日 01時29分17秒 | 仮面ライダー響鬼 nano
えっと、ザンキさんが死にました(正確には死亡は先週で、今週はゾンビ)。
そして、同時に「響鬼」という番組も死にました。

折角面白い形になりかけてたのにね。
これなら30話からいきなり「仮面ライダーザンキ」でやれば良かったのに。
ザンキさんばっかり格好良く撮ることを研究してきた成果を見せられてもね。私は「仮面ライダーヒビキ(響鬼)」という番組を観ていたもんでね、唖然とするしかなかとです。それに特撮ファンでもないので、これが今の仮面ライダーの正しいあり方なんだよって言われても、呆然とするしかないっす。

行き当たりばったりの展開を否定しないけど、つーか最初からそういう展開で、それが気に入ってればええねんけど(仮面ライダー555はそういう展開だったけど、あれは最初からそうだったしね)、この番組に対してはそうとちゃうかったからね。

でもさ、これはええ見本だよ、やっつけ仕事っていうもののね。誰かにやっつけ仕事ってどういうものって聞かれた時に、これだよって見せることが出来るサンプルとしてね。反面教師っていう言葉があるけど、これを見てそれを学ぼうってことなんだよね、きっと。

最初から設定破綻はあったけどさ、世界観は壊してなかったんだよ。確かに設定に拘り過ぎるとさ、勢いとかなくなることもあるだろうし、制約が多くなってしまって、こじんまりとしちゃうこともあるやろけどさ。なら設定なんて作らなくてもええやんってことになるのか?その場のノリを重視してるんかもしれんけど、それまでのノリも重視しようよ。

元凶は太鼓祭りからだよな。あれからなんか歯車がおかしくなってきたんだよね。そして製作陣のトップ交代と予算不足?、時間不足?の荒波への対処の失敗。ええ仕事してるよね。これでプロなんだからさ。ハハハ(ヒビキさん風の笑い)。

あかん。愚痴ってもしゃーないよね。鍛えてないよね、自分。

と、ここで終わろうと思ってたんやけど、何がこの番組を駄目(とここでは決めつけます)にしてしまったのか考えてみました。

恐らく役者陣が完全に役(と世界観かな)を捉えきれてなかったのが一点。
30話での明日夢の父親絡みの話で、明日夢とヒビキさんとの接点の一つを壊し、それをその後フォローというか、鬼としてのヒビキさんの面に明日夢を持っていけなかったことが一点。

駄目になった理由として、私は上の二点が大きいのではないかと思います。当然細かいところでは、スポンサー等の圧力や、制作スタイルの変更、時間の猶予、制作費の枯竭とかはあるでしょうけれども。

前者については登場人物に対して役者が演技なのか地なのか区別がつき難かったのではないかなぁと。ただ29話以前は方向性はもやっとしてはいたけれども微かにあってそれに合わせていけばなんとかなったけど、30話以降はそれもなくなって、結構上手い役者ばかりなので任されてしまい、少し見失った上に修正する或いは皆で擦り合せる時間すらなかったので、視線が皆違う方向に向いてしまった。世界観に関しては役者だけの責任ではないので、しゃあないっちゃぁそうやけど。

後者については、物語上、明日夢はヒビキさんに大人としての理想、そして漠然としていたが父親像(一般的なものも含めて)も重ねていたと思う。だから、私は敢えて父親というキャラを出す必要はなかったと思うし、実際効果を上げていたのか疑問です(あの話の、明日夢と母親の会話は良かったけれどもね。でもそれは父親を出さなくても出来る話だと思うし、父親効果とは思えない)。

ここで、ヒビキさんと明日夢の繋がりがブチって切れたような気がする。偶像と実像っていうやつかな。ここで明日夢は偶像としてのヒビキさんは必要なくなった、と。あ、最終回なら良かったのか、これで(おいおい)。

これをやってしまった後、明日夢はもうヒビキさんの弟子になって鬼になるしか、番組としての方向は残っていなかったんではないかなぁと。それなら、この話の後、あきらの弟子を辞める話を絡めて、ザンキさんの話は放っておいて(無論ザンキさんの話はスピンオフでやるけどね)弟子になる話をやるべきだったのでしょうね。

28話、29話を少しアレンジし最終回としたら良かったのではないかなぁ。ヒビキさんと明日夢は再度屋久島に出向き、そこで鎧土蜘蛛に襲われるが、明日夢の機転で倒すことが出来た。「少年、第一歩だな」のヒビキさんの台詞で終了。

というのが一番綺麗だったように思いますね、今となっては。視聴者には、明日夢はヒビキさんの鬼としての弟子になったのかどうかはご自由に判断して下さいで良かったと思う。

前任プロデューサーはそうしようと思っていたのではないかなぁ。明日夢の中の人の演技を見て、当初6話位で弟子化する予定だったのを辞めると決めた時に、番組が終わる時に明日夢が弟子になるかどうかを、明日夢の視点で見てくれた視聴者(この場合はメインターゲットの子供達かな)が決めてくれればええねんという形に持って行こうとしたのではないっすかね。明日夢が自分で考え行動するようになったように、視聴者にもそうなって欲しいという願いを込めて、ね。

あ、また長文になってしまった。あかんなぁ~。


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