崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

散歩と健康

2009年04月15日 05時58分31秒 | エッセイ
 朝、散歩する人がいる。犬を連れて歩く人や手ぶらで歩く人はややスピードが速い。途中で体操のしぐさもしている。一昔前には朝ジョギングが流行した。今散歩の質が変わったようである。もっぱら健康の目的であるようである。散歩と言えばカントの散歩を思い出す。思索と散歩が哲学的にイメージ化されて散歩が格づけられている。
 散歩とは「都会人の忙しさ」から成り立つものである。田園の田舎の老人に散歩を勧めたら田舎で散歩をすると「暇な人」「精神障害者」と誤解されると意外な返事であった。なるほど散歩は都会人の贅沢な生活であろう。都会の密集住宅街から散歩にふさわしい散歩道を悠々と歩くこと、時間を持つことは贅沢であろう。健康という目的ではなく、「自然な散歩は自然に健康になる」と思って散歩をしてみたい朝である。
 

「懐かしさ」の自由

2009年04月14日 05時33分43秒 | エッセイ
 NHK山口の柴田拓氏と豊浦湯玉宇賀の木村忠太郎の子孫たちに会ってきた。早速木村忠太郎の墓とその子孫の木村、中村、堀などの墓に黙祷を捧げ、歴史を語ってもらった。1900年ころ、この村は170軒を焼く大火事があり、木村は新しい住居を韓国に求めて韓国全羅南道の巨文島に着き、日本村を作った。私は1980年代以来巨文島や豊浦湯玉宇賀を親族訪問のように時々訪ねながら研究をしてきている。しかし木村忠太郎の直系の木村良春氏に会うことができなかった。昨日実にこの村を訪ねて30年近くになって初めて会えた。最初にこの村を訪ねた時は子孫たちは心を開いてくれなかった。
 良春氏宅で貴重な資料を見せていただき、長く話を聞くことができた。彼は好意的であった。なぜ彼が心を開いてくれたのだろうか。彼は巨文島が「懐かしい」といった。今まではあの頃が懐かしいという言葉は誤解されやすかったのであろう。植民地に良い生活をしてきたことへの反省がないとか言われたという人もいる。しかし彼らは人間普遍的ともいえるふるさとへの懐かしさを語るのである。それさえ自由に言えなかった不自由な戦後時代があったのである。彼らも時代の変化や高齢になり「懐かしさ」を語るようになった。それはいま生きる原動力にもなっているようである。

チェンジ

2009年04月13日 05時52分51秒 | エッセイ
 オバマ大統領の「チェンジ」(change)という言葉が世界的に使われている。韓国と日本でも変化、変革などの言葉でいわれている。結構なことである。私は教育こそチェンジが本業だと思っている。小学校のレベルを高めたり深化したり拡大したり、内容を代置したりするのが現在の教育の主なありさまだと思う。私は思考や価値観の変化に挑戦し、変えることを主に努力している。
 受け身的態度から積極的へ、自己中心から他人のためにと、利害関係と純粋な人間関係とのバランス、否定的な態度から肯定的な希望へ、冷静と愛情の調和などへの変化こそは「変革」ともいえる。人はファッションには敏感に変わっても考え方は古く、なかなか変えられない。その根本的な変化を考えていくことが本当のチェンジであろう。

復活祭と誕生日

2009年04月12日 04時46分46秒 | エッセイ
 今日2009年4月12日はキリスト教の復活祭と家内の誕生日が重なった日曜日である。春分の後満月から最初の日曜日が復活祭イスターデーである。毎年同じ日ではない。また2020年にも4月12日になる。家内の誕生日に重なっている。私の誕生日は6月(陰暦)であり、昔冷蔵庫がない時代、母は私の誕生日祝いで餅などを準備したものを早く処分しないといけないと苦労していたことを覚えているが、家内の誕生日は桜の満開シーズンでもあり、実に良い誕生日と思う。それもクリスチャンとして復活祭とダブったりすることはほんとうにお目出度いことである。
 キリスト教においては、十字架上で死んだイエス・キリストがよみがえったことの意味での復活である。キリストの処刑後第三日目の復活は「第二の創造」のはじまりである。この思想は死後の霊魂観を意味するものではあるが永遠なる生命、命の大切さを語るものでもある。儒教では子供を産むこと生物的に永遠観をもつ。道教は不老不死の生命延長の信仰である。キリスト教では死を超えて永遠の命を信ずる信仰である。誕生日は年を取る記念ではなく、命への確認と感謝の日である。復活と誕生は同様、一致するものである。

「四季」か「二季」か

2009年04月11日 04時24分25秒 | エッセイ
 世界的には「四季」がある地域はそれほど広くはないはずである。日本のように細長い国や中国のような大国では一部四季があると思う。四季がある国に育ったわれわれは乾季と雨季の二季の地域にはなじみがない。春夏秋冬の四季の区分はおそらく中国の区分法によるものであろう。日本の場合は春は3~5月、夏は6~8月、秋は9~11月、冬は12~2月とそれぞれ3ヵ月間ずつであるが、これは風習的、便宜的な社会通念で定義されているものであり、気候の変化とは必ずしも一致していない。
 韓国では日本より四季がはっきりしている。春が結構長く、バランスを取っている感がある。今日本では桜前線が東北に行っている。しかし私が住んでいる下関では急に初夏のように気温が上昇している。暖房から冷房に変わるのが毎年のようである。
 しかし今年は桜が咲くころが例年より早いとは言われながらも寒さが伴って花を長く楽しむことができる。去年暮れにあるお客様から満開したシクラメンをいただいたが、それが今も窓側に美しく咲いている。「花無十日紅」という歌の歌詞は桜のように満開期間が短いのが美しく感じるという意味である。また美しく感じるものは早く消え去ると感ずる。辛い人生が長生きと逆説的にいう人もいる。アッという間に歳月が過ぎたという人よ、あなたの人生は楽しかったのであろう。

「長周新聞」(2009,4,6、竹下氏筆)書評の全載

2009年04月10日 04時33分52秒 | エッセイ

 崔吉城・菅原幸子夫妻のエッセイ集『日韓に生きる』が、クォリティ出版から発行された。「夫婦が書くエッセイ」としてブログで発表してきたものをまとめたもので、昨年の『下関に生きる』に次ぐ第二集である。
 崔氏はソウル大出身の文化人類学の研究者で、現在下関の東亜大学教授。夫人の菅原氏が看護士を勤めながら毎日、崔氏の文章を校正しつつ共通の価値観をもって公表してきた。今回は、韓国で生まれ育ち、日本で長年研究・教育活動をしてきた崔氏が日日の生活の幅広い分野――たとえば花や季節、住まいや食べ物、対人関係や人生観、教育や研究生活など――で感じたことを自由に綴ったものをそれぞれに項目立てて構成している。
 偽りのない飾り気のない文章であるが、そこには韓国と日本の風土、風俗・習慣の相違、あるいは感受性の機微について、文化人類学者らしい洞察とともに、なにものにもとらわれぬ問題提起も含まれている。このエッセイ集でもふれられているが、著者のこうしたリベラルな立場を形成するうえで、少年期に衝撃を受けた朝鮮戦争での体験がその原点になっているといえるだろう。
 「結局、政治家達が戦争を起こした。政治家への不信は私の戦争体験から来ている」という著者は、文学・芸術をこよなく愛し、民主主義を希求する。そのヒューマニズムが、社会的な構造に迫る骨太さをもって広範な大衆の願いと響き合うものへと発展させられることが期待される。
 (クォリティ出版、B6版・三〇八ページ、一〇〇〇円+税)

"出所祝い"会

2009年04月09日 05時55分27秒 | エッセイ
知人が3月に中学校の教諭を辞職した。もう一人の方は大学の教員を辞職した。二人とも専業主婦になったという。家庭も「家政」というので仕事がないわけではないが、少し楽になったと思える。就職が難しい時期に辞職したということを聞くと職場で問題があったのではないか思われるのは当然である。
 この度、中学校の教諭辞職を祝う集まりがあると誘われた。その会名が"出所祝い"だという。そのわけを聞いた。その職場を刑務所(?)に例えたようである。職場の辛さのほとんどは仕事自体ではない。その職場の中の人間関係である。どんな職場にも大なり小なり縄張り、嫉妬、いじめ、差別、噂、皮肉、など各種ハラスメントが溢れている。狭い職場の中での小さい権力を振り回す人間、その輪を抜け出るとなんら存在感のない人間などが君臨しているはずである。そこから解放されることが辞職であればそれが"出所祝い"になるだろう。その刑務所のようなところに暖かい光を当てることはできないのだろうか。

衛星・ミサイル「失敗」か、「成功」か

2009年04月08日 05時38分23秒 | エッセイ
 北朝鮮の衛星・ミサイルが失敗と成功の相反するニュースに接して戸惑っている。朝鮮新報は労働新聞の記事を紹介している。衛星「光明星2号」が軌道に乗ったということを成功したと伝えている。それは全く国内の科学の力によると高く褒め称えている。日本人がアメリカの衛生に便乗するのとは異なるというのだ。しかし日本の報道やアメリカの報道(Newyork Times)は衛星が軌道に進入(launch)していないので失敗しているという。両方ともその進入の事実を証明していない。これから出るとは思われるが、なぜこのように相反する宣言が出るのだろうか。
 日本のテレビに時々紹介される北朝鮮の中央放送の女性のアナウンサーの「偉大な領導者金正日同志」という朝鮮語は日本人に聞かせたくない。国民には敬語態でなく、金正日氏についてはトーンを高くして褒めている言葉に、私はいつも失笑を越え嘆きを覚える。大体数の日本人が朝鮮語を理解しないことを幸いと思う。その政治が三代も続こうとしている。真空状況の北朝鮮に外部の空気を入れる方法はないのだろうか。それはまず国交正常化によって人が往来するところから始まることを強く希望する。日本も一昔前は戦況について真っ赤な嘘を報道した国家であったことを自覚してより良い方向へと前進していかなければならない。

メガネのお洒落

2009年04月07日 05時15分10秒 | エッセイ
 久しぶりに視力の検査を受けて、かなり悪くなったと言われた。乱視、遠視、近視が一緒に混合しているらしい。高校時代から心理学者のフロイドなどの好きな人物の眼鏡縁に似てるものを着用したりお洒落したこともあった。また一時はお洒落はカバンとメガネであった。いつの間にか眼鏡は自分の顔か自分の姿の一部になった。その眼鏡の縁を変えようと陳列棚を見た。やはり眼鏡の縁が全般的に小さくなっていた。店主になぜ小さくなったかと聞いた。流行に過ぎないという。思い切って変身する意味で今までのものとはかなり変わった物をつけてみた。自分の印象がかなり変わる。なるほどメガネで変身する人も多いことに気がついた。刑事、俳優、スパイなど職柄から、また以外にも山登りや海水浴などでサングラスをかけて洒落を満喫する人も多い。
 私いま朝早くからコンピューターで書く仕事を楽しんで視力を悪くして、悲しいにもかかわらず、お洒落用の眼鏡を手にしている。流行に乗って若干小さく、お洒落なものを選んだ。自己満足である。女性が化粧する心が若干わかるような気がする。

花見よりダンス

2009年04月06日 06時33分51秒 | エッセイ
韓国からの留学生と大学院院生で彼女のチューター役をしている木下愛子さんなどを連れて教会に出席した。木下さんはエアロビックを研究し、主婦たちに教えている。エアロビック(Aerobic)」は1970年にアメリカから始まって世界的に流行している。人間はリズムによって動き、生活をする。特に音楽などのリズムは基本になっている。シベリア系のシャーマンたちはリズムの強い踊りによって神掛かる。エアロビックは楽しい健康律動である。韓国や北朝鮮では「律動」ともいう。アメリカや韓国のキリスト教会で讃美歌にあわせて律動をするところも多い。
 教会で昼の愛餐会の後、亀松宅での花見に多く集まった。私が彼女の紹介と同時にその実演を頼むとすぐやってくれた。彼女の律動に全員が立ってリズムに乗って動いていた。窓から見下ろせる庭の桜の花弁と海の風景を背景に踊る人々の表情はまるで桜の「桃源」であった。花見よりダンスであった。
 

「誤報より誤発」がより怖い

2009年04月05日 04時11分13秒 | エッセイ
 昨日日本政府は北朝鮮がミサイルを発射したと発表し、「情報は誤りだった」と訂正した。「世界的な誤報」ともいわれている。昔韓国が金日成死亡という誤報を発信して「世界的な誤報(?)」になったことを思い出す。今度は「誤報より誤発」がより怖い。私は先日本欄で北朝鮮のテポドンを皮肉にアメリカのものに比べると「烽火」のようなものとしてと書いた。烽火つまり「信号弾」のようなものであろう。それは北朝鮮の「存在感」の誇示であり、SOSであると受けとって欲しいというメッセージであると思う。
 日本にとって北朝鮮は「良い敵」であろう。敵は悪いに決まっているはずではあるが、肯定的には競争相手になりうる。政治的には外に敵を持つのは内政にプラスになるというのはいくら無知な政治家でも知っている。だから戦争もよく起きたのである。
 拉致問題が人権問題としては悲しい問題として追及すべきではあるが、それがそれ以上に「良い敵国」を作るような政治文化として定着するようなことに懸念をもつ。それは私が韓国で長い間暮らした体験から来る偏見かもしれないが独裁政権が北朝鮮からの危機感を政治的に利用したのをよく知っているからである。「スッポンに噛まれた人は形の似ている鍋の蓋を見ても怖くなる」のである。

「山口新聞」報道の全載

2009年04月04日 05時10分13秒 | エッセイ
“愛すべき日韓”語る 東亜大・崔教授エッセー続編刊行
2009年4月3日(金)掲載
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2009/0403/5p.html

刊行された夫婦エッセー『日韓を生きる』
下関市の崔吉城・東亜大教授と妻の菅原幸子さんの共著『日韓を生きる』(クォリティ出版刊)が刊行された。崔教授がブログに毎日書いているエッセーをまとめたもので、崔さんが粗書きしたものを、幸子さんが添削したり文章を整理したりしている。昨年の『下関を生きる』の続編。

 食べ物、健康、言葉、教育、日韓関係、人間関係、信仰など十五項目に分け、約二百五十点のエッセーが掲載されている。下関での暮らしで見たり感じたりした花、季節、住まいなどの身辺雑記から、その時々で話題になる日韓関係など硬軟織り交ぜた内容だが、とくに今回は、日韓の間で感じたもの、日韓比較が中心になっている。

 日本人は「アジアの国々では、礼儀正しく人に迷惑をかけないと肯定的に言われている」としながらも、日本に暮らして「あいさつがなさすぎる感じがする一方で、結婚式などの行事での演説的あいさつは非常に多い。あいさつは人間関係を縮めるか遠ざけるかの機能がある」と受け止め、形式的あいさつでは人間関係の希薄化につながりかねないと懸念を示す。

 崔教授は韓国出身、幸子さんは秋田出身で、看護師として働く。三十年前、東京の教会で知り合い、韓国で挙式。日韓を往来しながら日韓の友人、知人がたくさんいる。崔教授は「私たち夫婦は日韓の混血ともいえる。基本的には両国を愛し肯定的にみている。真摯(しんし)に、時に皮肉に書いても、わが人生そのもの。それをエッセーから感じていただければ」と話す。B6判、千百円(税別)。

立法主義

2009年04月03日 03時34分21秒 | エッセイ
 ユダヤ教では古くから立法主義が強く、人々の行動をあまりにも縛りつけたり理屈化したりしていた。イエスはその立法主義を頻繁に批判していた。そして今の言葉で言うと規制緩和を主張したのである。彼はむしろ愛のない、理屈社会を「愛」で改善しようとした。愛情があるから法律的に結婚届けをする。その愛情をより強く結んでおくためである。単に法律的に結ばれた夫婦は姦淫に過ぎないというのがイエスの考え方である。
 日本の社会は法治社会であるので、規制が多いのは当然である。しかし日本ではその規制の本意を知らず、あるいはそれを無視して理屈的に利用する人が多い。相手を攻撃するために、いじめのために様々な手段が考究される。生徒たちは女性の先生を流産させる会という奇想天外ないじめのアイディアが報道された。「叩いて塵が出ない人はいない」という韓国の諺のように人の不正を探す人もいる。法律や規制を大事にすると同時に、それより人間愛を優先すべきであろう。

座禅は宗教儀礼ではないか

2009年04月02日 05時46分14秒 | エッセイ
 昨年寺での座禅を経験した。騒音や煩い世相事から離れて寺の中で静かに座禅することは宗教的に意味づけることなく、神秘的である。座禅とは世俗から聖なるものへの変身ともいえる。私は時々旅行中誰もいない教会に座って祈ることがある。それも仏教的な座禅と似ているといえる。日本では宗教と政治を厳しく分離していて、このような祈りや座禅を教育課程に入れることはできない。
 しかしお寺の仏教儀礼の一つである座禅に学生たちを公式に参加させて、新聞に良い意味で紹介された事はどういうことだろうか。私は以前、国立大学で聖書勉強会のための教室使用の許可を得ることができなかったことを覚えている。それはそれなりに納得をした。学校行事に座禅を取り入れることは教育的には悪くないとはいえども問題点はある。慎重に考えるべきであろう。それともすでに座禅は宗教儀礼ではなく慣習だというのであろうか。クリスチャンを含む他の宗教者としては座禅を公式に学事に入れることには抵抗感をもつだろうと思う。

「おくりびと」鑑賞

2009年04月01日 05時50分08秒 | エッセイ
「東洋経済日報」に連載中の2回目の記事である。
2009/03/27<三千里>「おくりび」と広島大学 崔 吉城 名誉教授
 今話題の映画『おくりびと』を鑑賞した。私は文化人類学の研究から『韓国の祖先崇拝』(お茶の水書房)を日本と韓国に上梓したりしており、やはり見ないと気がすまない。世に評価された作品だというより私自らその作品の価値を発見して評価したい。まずこの映画を鑑賞して、意外に短く感じた。それだけでも成功したと思える。
 私は今まで韓国、台湾、ロシアなどで数多く葬式やお通やそして埋葬などを見てきた。日本では妻の父母が亡くなり秋田での納棺や葬式を体験し、参与観察したことがある。滝田洋二郎監督の『おくりびと』を見て、伊丹十三監督、1984年作『お葬式』を思い出す。初めてお葬式を出すことになった一家をめぐる父や母など肉親への想い、夫婦の愛、子への愛、親族関係や友人・職場関係、などが描かれている。その体験や観察はあくまでも死は他人ごととしてとらえていた。『お葬式』はその葬式の概論的なものであるとするならば『おくりびと』はそのような総論を踏まえた各論的なもののように思われる。

 『おくりびと』ではオーケストラのチェロ演奏者から納棺師へ変身していく姿を描く。納棺師というあまり知られていない職業から死を見つめた作品である。小林大悟(本木雅弘)は、所属の楽団の解散をうけて演奏家をあきらめ、妻と共に故郷の山形に戻る。「年齢不問高給保証、実質労働時間わずか。旅のお手伝い」という社員募集に旅行代理店だと思った大悟は応募し早速面接、面接官の会社社長は彼を見るなり採用を決める。そして彼は「納棺師」となる。

 この映画から職業観と死生観が伺える。人は無職状態、つまり無重力な状況においては重大な決心が軽く決められる。それがその人の生き方を決めることもある。それにいかに挑戦し、あるいは順応しながら生きるかが人生そのものであろう。大悟自身の決心にもかかわらず妻や周りがなかなか変ってくれない。伝統的に死と出産は黒不浄・赤不浄といわれ、特に死は強い「死穢(しえ)」といい、近い親族以外に触れることがない。それを公開にしたものである。死に携わる職業者は社会的に差別されてきた。この映画はその社会的な、あるいは普遍的な人間の偏見的通念に挑戦している。しかし社会運動ではなく、死を丁寧に扱い、生と愛を反映している。

 科学的かつ合理的な発想の流れには「死」は終わり、死体は「物」という傾向が強い。残虐な殺人と死体解体が頻繁に起こるこの世では死体はゴミ化する。私は韓国と比べて日本の葬式をみて死者、死体を粗末に扱うのではないか、つまり人間についてもそのような偏見のような視点を持っていた。そこにこの映画は死体を「遺体」として尊重し、葬儀場の職員は「あの世へ行く門である」と死後を語る。遺族が火をつける時泣き崩れる。現代人は死をどう受け止め、どう向き合うべきか、人間性回復へのメッセージは大きい。

  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。