朝、散歩する人がいる。犬を連れて歩く人や手ぶらで歩く人はややスピードが速い。途中で体操のしぐさもしている。一昔前には朝ジョギングが流行した。今散歩の質が変わったようである。もっぱら健康の目的であるようである。散歩と言えばカントの散歩を思い出す。思索と散歩が哲学的にイメージ化されて散歩が格づけられている。
散歩とは「都会人の忙しさ」から成り立つものである。田園の田舎の老人に散歩を勧めたら田舎で散歩をすると「暇な人」「精神障害者」と誤解されると意外な返事であった。なるほど散歩は都会人の贅沢な生活であろう。都会の密集住宅街から散歩にふさわしい散歩道を悠々と歩くこと、時間を持つことは贅沢であろう。健康という目的ではなく、「自然な散歩は自然に健康になる」と思って散歩をしてみたい朝である。
散歩とは「都会人の忙しさ」から成り立つものである。田園の田舎の老人に散歩を勧めたら田舎で散歩をすると「暇な人」「精神障害者」と誤解されると意外な返事であった。なるほど散歩は都会人の贅沢な生活であろう。都会の密集住宅街から散歩にふさわしい散歩道を悠々と歩くこと、時間を持つことは贅沢であろう。健康という目的ではなく、「自然な散歩は自然に健康になる」と思って散歩をしてみたい朝である。