崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

崔氏は今でも私の‟韓国学”の師匠

2016年11月12日 06時22分06秒 | 日記

 奥さんがなくなられて遺品として何を残すかという話題が耳に残っている。読書会での倉光誠氏の話である。彼は続いてハングル版の拙著への書評を書いている中、私の文化遺産の保存の価値基準についてご自分の2年前亡くなられた愛妻への思い出から遺品処理の体験の話である。結局思い出の物、それも少なくなっていくだろう、写真くらい思い出のあるものを最後まで残すであろうと。私は夫婦愛に感動した。結果的には自分自身は何を残すのかということになった。
 昨日久しぶりに書店に立ち寄った。知人の文学評論家の『川村湊自選集』を目にして5巻「民俗・信仰・紀行編」を購入した。突然199ページで「社会人類学者、民俗学者として著名な崔氏は今でも私の‟韓国学”の師匠なのだが…」の文が目が留まった。私は生きるために研究しているがこのようにして残るのであろうと感動してしまった。何を保存するのか、何を残すのか、考える暇がない。ただ一生懸命に生きることが残ることだと思う。昨日北京から友人の黄有福先生が来られ夕食を共にしながら回想談をした。今日はワンアジア財団支援講座でお話を聞く、私は通訳もする予定である。
 

 

 

 

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