崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

母の教育

2017年08月13日 05時25分09秒 | エッセイ

 高級帽子に下駄を履いた不均衡な紳士姿で盆休み閉鎖中の大学の研究室に入り資料を持って、帰り道にお中元店に寄りお中元を贈り、また倉光氏の病院にも寄った。3人のお孫さんと娘さん夫婦が団らん、憩いの時間であった。今晩は関門海峡花火大会、天気はよさそうである。倉光氏から韓国語の拙著を日本語訳した原稿をいただいて検討することとなった。
 猛暑の夜の気温は下がり凌ぎ良い季節、仕事を急ぐような焦るような気持ちになる。自ら才能を検証してみると家庭的に恵まれたことが稀、身分や文化などの継承や世襲的なものも全くない。ただ母の教育には感謝する。わたしに「好きなことを自由にするように」放任したような教育、躾であったこと。それが最先端の教育哲学ではなかったかと感心するところである。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「楽しい韓国文化論」6年目 | トップ | 美の、感動の競演 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事