崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「南北統一か否か」(東洋経済日報2017.5.19寄稿)

2017年05月25日 04時56分21秒 | エッセイ
 本欄で呉文子氏の「蘭坡音楽賞」雑感(2017.33)を読んで同感だと思うところが多い。洪蘭坡氏は近代音楽の祖と言われており、代表作の「鳳仙花」や「故郷の春」などが「朝鮮童謡百曲集」に収められている作曲家である。そのような氏が親日派と非難されている。呉氏は「あの時代の生き難さを自分に引き寄せてみる視点も必要ではないだろうか」と述べている。私はそれを読んで1940年、東亜映画製作所の映画『志願兵』の映画監督であった安夕影氏を思い出した。安氏らは「親日派名簿」にリストアップされているという。
 安夕影氏は1947我らの願いは、独立」を作詞し、国民的に愛称されるようになった。それが1950年の韓国戦争後に「われらの願いは統一」と変わって、より多く愛唱されるようになった。今では国民的歌謡の「統一の歌」として南北両方で歌われている。韓国はもちろん北朝鮮でも愛唱されている事実を、私は2002年に北朝鮮訪問時に確認した。その作曲者は有名な童謡作曲家の安丙元先生である。安先生は私の景福中学校時代の音楽担当の教師でもある。その安先生のお父さんが安夕影氏である。私の恩師の安先生はカナダのトロントに移住して活躍し2015年に亡くなられた。享年89歳だった。
 私は戦前に生まれ戦後に育ち、李光洙などの小説を多く読んだが,ずっと後になって彼らが親日作家として非難されていたことを知ってショックだった。崔南善の「不咸文化論」(火、光の朝鮮起源の文化論)や「独立宣言書」などを愛読して民俗学へ傾倒してきた私は彼らが「親日派だ」というのは衝撃的だった。「親日=売国奴」は侮辱語であり愛国に反する。しかし親日が必ずしも愛国ではないとは言えない。少なくともその言葉は韓国の国内用語であり、国際的な用語ではない。
 今回の新政権において南北関係はどうなるのだろうか。韓国戦争で韓半島は統一できず、むしろ厳しく敵対対置するようになった。しかし統一は南北同様国民の念願である。私は韓国戦争で韓国は釜山と済州島しか残らないかも知らないと思ったことがある。もし北側による統一なら独裁共産主義国家になったであろう。
 私の「アジア言語文化」の受講生たちの中の、ベトナムからの留学生たちは民主化と選挙の話には無表情である。その理由を聞くとベトナムには選挙はないからだという。学生の発言があるまで、私はそのことを知っていながらも認識しなかった。17度線で南北が分離対置していたが、ベトナム戦争で民主主義の南と共産主義の北が戦い、北によって武力統一された。北韓、中国なども民主主義的選挙がないのと同様にベトナムにも選挙がない。
 悪名高い分裂主義者と思われるかもしれないが、私は選挙のない大国より民主主義の小国の方がましであると思う。統一か分離独立か。大国か小国か。弱小国家であっても社会福祉のよい幸福な社会を作るのが理想であろう。なぜ帝国主義や、大国主義が望ましいのだろうか。

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2 コメント

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帝国主義や大国主義の必要性 (高木ラブ)
2017-05-27 18:03:33
弱肉強食の世界では生き残るために富国強兵に務めねばなりません。
欧州では近隣のライバルに滅ぼされないため、遠方の他者を踏み台に
していかねばならなかったからでしょう。

それが方向転換するようになったのは航空機による爆撃の発明、
ブロック経済の崩壊、人権意識の普及の三つが大きいと思います。

今時、帝国主義や大国主義が支持されるような国は中露くらいかと。
異文化圏の人々の面倒を見るのはとても大変で普通なら避けます。
ロシアや中国は民族浄化して面倒をなくせばいいという思考ですね。

個人的な予想ですが、南北統一は大国化に繋がらないでしょう。
南主導で統一できたならば民主主義を捨てなくてもいい。ただ
教育を受けてない人々に急に選挙権と参政権を与えるのは危険で
間違いなく民主主義の負の側面が肥大化し、政治は停滞します。
かといって同等の扱いがされなければ深刻な民族対立となります。

統一せずとも兄弟国として仲良く手を取り合えればいいでしょうが、
近隣国をミサイルで脅迫する国を韓国が支援するようになったら
今度は日本やアメリカが韓国と敵対する立場になるでしょう。

平和的という路線であれば時代には逆行するわけですが、
韓国が帝国主義的に北を侵略し植民地支配するしかなさそうです。
Unknown (崔吉城)
2017-05-29 05:56:23
経済の発展、人権意識の普及、南北統一などの問題点が多くありますね。

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