崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

映像を分析する

2013年03月17日 04時47分48秒 | エッセイ
半年ほど前、脱稿した原稿をある友人に送ったら「短い」と言われたので、出版向けに補充すと約束した。また映像編集を協力すると東京の会社に約束した。執筆のためのまとまった時間がとれず原稿が進んでいない。数か月前から隣近所の建物を壊して新しく建築している。せっかく時間があっても建築の現場が気になって窓際に立ってずーっと見下ろして時間を潰していることが多い。新しい建築物はほぼ完成に近い、最後の仕上げになっているのに私の原稿はそれほど進んでいない。早い仕事をモットーにしている私が日本人の「遅い慎重さ」(?)になったのか。仕事が進まず負担を感じている。これがストレスと思う。人にはストレスを酒で発散せず「仕事で解決せよ」と言ったが、いま自分のストレスが気になっている。
 映像を分析している。ストーリーや筋の把握のために全体を観てから停止場面にして画像の構造をメモし、またナレーションを聞いて書きとめ、字幕を書き揃えてみると映像作品がまな板の上の魚のように調理できそうになる。昨日は一日中その作業をして、疲れて隣の工事現場をみると外側は仕上がっでいる。その仕上げ方は丁寧で完璧である。それを自分の作業に参考にする。
 いま楽しく観ている韓ドラの「全部上げる」は次回を待つのが長く感じてしょうがない。緻密なプロット、疑問をゆっくり一つつ処理していく誕生の秘密と母(写真)娘の葛藤のドラマ、高く評価できると思ってネット上で調べると視聴率低下で急に終幕したという。自分がこんなに楽しんでいるのに勝手に視聴者のレベルが低いと思ったりしている。これは私の高慢であろう。否、人は人を好きになり、愛することも自分勝手な高慢から始まるのかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿