崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「一人暮らし」

2011年06月13日 05時26分56秒 | エッセイ
 家内が旅行中、私は「一人暮らし」の二日目、そう感じている。私が旅行に出ることは多くても逆なことはめっだいにない。完全に一人ぽっちになった子供のような気分である。世の中には一人暮らしの人が多い。どのように暮らしているか同情する気持ちになる。その分、私は自立していないと感ずる。まず対話がなくなったこと、面倒を見てくれないことの喪失感である。食事の仕度や薬を飲むまでの細かい役割が失われた。その上やらなければならないことがある。犬の面倒もそうである。家内が私が食べるようにはしてくれているが釜、鍋、入れ物などそのままで、形式や品のない食べ方をして自ら惨めな雰囲気である。ただ自分の口に合うもの、処理すべきものを優先的に食べる。食後の片付けもせざるを得ない。
 一人暮らしの方、誰でも一人になるかもしれない。私は昨日大雨の中に傘をさして大学のオープンキャンパスに参加してきた。バスと電車を利用して、途中本屋にも寄った。このような私の生活ぶりをわが世代の韓国人から見るとかわいそうに見えるかもしれない。韓国であれば親族の中で、大家族の中で、敬老思想(?)によって大事にされるかもしれない。しかし時代は変わった。一人暮らしや核家族へ小規模化している。現代人は自立の楽しさを求めているかもしれない。私は自立心は欠けていると痛感しているところである。明後日からは中国で大学間協定にスピーチをする予定である。私が出かける番である。