美しい言葉たちに敬意をこめて

日本語の詩や和歌を英訳します。英訳のリクエストやご依頼はdeviliana1[at]gmail.comまでお願いします。

Gooブログ継続

2013年10月18日 | ご挨拶
Gooのサービスで終了するのは、Gooメールだけだったんですね。何を勘違いしていたんだろう。Gooの関係者の方ごめんなさい。

Gooブログは続くので、「美しい言葉たちに敬意を込めて」は継続します。英語で発信する「Tanka on the Go」もそのまま残ります。

最近は、翻訳された外国の詩歌を読んでいます。そうすると、俳句に興味を持って書き始める外国人が多いのに気がつきます。たとえば、ノーベル文学賞を受賞したトーマス トランストロンメル氏の「悲しみのゴンドラ」。




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トランストロンメル氏は、晩年、体が不自由になったのをきっかけに、短くてシンプルな詩の形態である俳句をはじめたそう。彼の母国語はスウェーデン語なので、それを日本語にするのは難しそうです。

やはり、詩は意味と音韻の両方がないと作品としてわかりにくいんだよなあと思いました。私も英語の俳句を日本語にしてみて、なんだか納得できないと思っていたのです。

日本語で作られた短歌や俳句といった文学は、もっと外国に出て行ってもいいと思うんだよなあ。凝縮された感情を押さえ気味に表現するオリジナリティーをもっと広く知ってもらいたいと思うんだよなあ。どうしたらいいのかなあ。
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GooブログからTanka on the Goへ

2013年09月13日 | ご挨拶
初めてGooブログで書いたエントリは「人生五十年」でした。

これはなんとなくふっと、Fifty-year mortalityというフレーズが思い浮かび、そのまま

Fifty-year mortality
Dream-like reality
Whereto the lower part of heaven when compared
Nobody never die once created


とブログに書いたのが、2005年08月24日でした。今から8年前です。

いくつかあったブログサービスの中からGooを選んだのは、シンプルだったから。広告も当時は少ないほうでした。

しかし、Gooはブログサービス(無料版)を2014年3月10日をもって終了するそうです。残念です。有料版を使っていたこともあるのですが、私にはあまりメリットがなかったかな。

残念がっててもしょうがないので、心機一転、自分でドメインをとってブログを作ってみました。

Tanka on the Go (どこでも短歌、のような意味)
http://www.tankaonthego.com/


最初は、日本語の短歌を英訳して、それを英語で解説する、世界に向けたブログ、にするはずだったのです。これからどうなるのやらわかりませんが、もし日本語の詩歌が英語になったらどうなるのかなと興味をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひTanka on the Goを見に来てください。

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【鑑賞】与謝野晶子☆君死にたまふことなかれ

2013年06月06日 | 
与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』は、いつか翻訳したいと思い続けていました。しかし題名にぴったりの訳が思いつかず考えあぐねているうちに時間がたっていましたが、この度『日本の名詩、英語でおどる』という本に名訳が掲載されていたので転載します。(pp.76-79)

比較のため、日本語と英語を交互に置いています。


君死にたまふことなかれ

旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて


ああをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

Don't Lay Down Your Life


To my youngest brother, conscripted and sent
to fight on the Liaotung Peninsula, 1904


I cry for you, Brother,
don't you dare lay down your life,
You, the youngest child in our family,
thus cherished all the more-
Mother and Father didn't educate you
to wield weapons and to murder; they didn't
bring you up, to the age of twenty-four,
so that you could kill, or be killed yourself.


堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

You were born into a long line
of proud tradespeople in the city of Sakai;
having inherited their good name,
don't you dare lay down your life.
What does it matter if that fortress
on the Liaotung Peninsula falls or not?
It's nothing to you, a tradesman
with a tradition to uphold.


君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されむ。

Don't you dare lay down your life.
The Emperor himself doesn't go
to fight at the front; others
spill out their blood there.
If His Majesty be indeed just
and magnanimous, surely he won't wish
his subjects to die like beasts,
nor would be call such barbarity "glory"

ああをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。


Little Brother, don't you dare
lay down your life in battle.
This autumn, Father passed away.
Mother manages, somehow, to carry on,
but lives in constant fear for the son
who's been taken from her-
People say ours is a prosperous age,
yet Mother's hair has all turned gray.


暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

Inside the family shop, behind the curtain,
your willowy young wife weeps alone.
Have you forgotten her? Is she in your thoughts?
You two were together for less than ten months.
Think how her heart is wrung. There's only one
of you in this world, remember.
Your family has no one else to turn to.
Don't lay down your life.


---------------------------------------
解説

「君死にたまふことなかれ」は、Don't you dare lay down your lifeと英訳されています。

dareは、否定的な文脈で使われます。英英辞典では、
1. (not usually used in the progressive tenses) to be brave enough to do sth
2. to persuade sb to do sth dangerous, difficult or embarrassing so that they can show that they are not afraid
とありますので、まさか〜しないでくれよ、というニュアンスでしょうか。


lay downは、「横たえる」や「諦める」という意味があるので、lay down your lifeで、「命を諦める」つまり「死ぬ」ということになります。

「君死にたまふことなかれ」という題名としては少し長いところと、丁寧な尊敬語を混ぜた感じがうまく英語でも表現されていますね。

他には、; (セミコロン)の後に次の主語を出しつつ、前の文章を強調するところなど本当にうまいなあと思います。

あと、subjectって国民って意味があると初めて知りました!
 (用例:I am a British subject. 私はイギリス国民です。)


感想

それにしても、私は毎回この詩を読むたびに、「獣の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは」のところで声がうわづってしまいます。音読していなくても、なんだかちょっとスピードが速くなるというか勢いづくと言うか、感情的な読み方をしてしまうのです。

自分の子には、戦争に行って欲しくないよう。

日本の名詩、英語でおどる
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藤原定家☆春の夜の 0038

2013年04月13日 | 新古今和歌集
springtime eve,
a floating bridge of dreams
is torn apart-
the sideways-clouded sky
being cleaved by peaks

Earl Fujiwara Sadaie


春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空

藤原定家



photo credit: andywon via photopin cc


【歌意】春の夜の夢がとぎれて、峰に横雲が別れ、離れてゆく曙の空。

解説:

英訳してみると、「春の夜の夢の浮橋」と「峰に別るる横雲の空」には関係がないことに気づきました。つながらないんです。まるで連想ゲームです。それだけ「春の夜の夢の浮橋」という言葉が有名であり、想像力をかきたてるキャッチコピーなんだ、ということでしょうね。

よって、-(ダッシュ)をつけて続いていることを強調しています。

コメント:

『源氏物語』源氏が明石の上とのつかの間の逢瀬を嘆いて、「夢のわたりのうきはしか」といったのを引用しています。

実は『源氏物語』は1001年頃から書き始めたとされているので、もう千年以上も語り継がれ読み継がれているんですね。『あさきゆめみし』ってマンガで読んだなあ。

故事にある懐王が夢で巫山の神女と契ったという故事から、横雲は神女の艶姿を暗示するようです。

やっぱり春の夜の月ってロマンティックの象徴なんですね。ひさしぶりに夜飲みに行くかなあ。


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フリーランス翻訳者、はじめました

2013年04月11日 | ご挨拶
企業知財部、特許事務所、大学研究室、翻訳会社を経てフリーランス翻訳者として仕事を始めました。

大学を卒業した時から、「いつかは在宅で翻訳をするぞ」とコツコツ準備をしてきましたが、この度、三人目の子どもが生まれて「好きな事をやろう、一生懸命働こう!」と決めました。

専門は特許、学術論文、詩歌です。

こちらのブログでは、詩歌の英訳を主に掲載していますが、特許と学術論文の翻訳についても「翻訳について」で語っています。

翻訳は面白いです。

翻訳とは、言語(私の場合は日本語と英語)が通じない人たちの間にたって、それぞれがわかりやすいように、もっというとそれぞれのルールを理解して、ルールに沿ったフォーマットに直して渡すのが仕事です。

でも、例えば同じ日本語でも古語を現代語に翻訳することだってできます。新古今和歌集を英訳するプロジェクトでは、英訳することと、現代語訳することの両方が必要になってきます。

時々、翻訳した英文よりも、翻訳の際に気がついた事を書いた解釈の部分に共感した、というコメントを頂きます。ブログを続けていてよかったなあと思う時です。

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菅原孝標女☆あさみどり 0056

2013年04月10日 | 新古今和歌集
pale blue and
flowers are misted up-
both looking obscure
the moon
of the springtime


The daughter of Sugawara Takasue


祐子内親王藤壺に住み侍けるに、女房、上人などさるべき限り、物語して、「春秋のあはれ、いづれにか心ひく」など争ひ侍けるに、人々多く秋に心を寄せ侍ければ、

浅緑(あさみどり)花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月

菅原孝標女(すがわらの たかすえのむすめ)


photo credit: byronv2 via photopin cc


【題意】祐子内親王が藤壺に住んでおりました時に、もののあわれを解する女房、殿上人などが世間話をして、「春秋のうちどちらの情趣が心を引くだろうか」などと議論しました時、人々の多くは秋のひいきをしましたので」の意味。

【歌意】浅黄色の霞と花も一つになって霞んでおぼろに見える春の世の月―わたしはその風情に心惹かれます。

コメント:

浅緑って、緑じゃなくて青なんですね。霞のかかっている春の空や霞そのものの色をいうことが多いようです。


興味のある方は、新古今和歌集:もくじまたはブログもくじをどうぞ。

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大江千里☆照りもせず 055

2013年04月09日 | 新古今和歌集
there is nothing like
the night of an obscure moon
on the springtime eve,
when it neither shines
nor beclouded

Oe Chisato

文集、嘉陵春夜詩、不明不暗朧々月といへることをよみ侍りける
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしく物ぞなき

大江千里


photo credit: cosmonautirussi via photopin cc

【題意】「白氏文集」の「嘉陵春夜の詩」の「明かならず暗からず朧々たる月」という句を詠みましたの意。

【歌意】皎々(こうこう)と照るのでもなく、といってすっかり曇ってしまうのでもない、春の夜のおぼろ月に及ぶものはないよ。

コメント:

there is nothing like〜は、〜に勝るものはないという意味です。朧月をobscure moonとして、曖昧な雰囲気を出してみました。

また、eveは、クリスマスイブで言う「前夜」ですが、詩の言葉で「夜」も意味します。なにかが始まる高揚感を感じられるようにしました。

この短歌で思い出すのは、『源氏物語』に出てくる朧月夜という女性です。「朧月夜にしくものぞなき」と口ずさんでいた時に源氏に初めて会うのです。これから始まる期待感が感じられるシーンですね。


興味のある方は、新古今和歌集:もくじまたはブログもくじをどうぞ。
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結婚の誓(コリントの使徒への手紙1 第13章より)

2013年02月18日 | 物語の抜粋
友達の結婚式に参列した時に、式次第に結婚式の誓が載っていました。日本語と英語が併記されていました。

これを見て、結婚の誓(ちかい)とは、男女の間で交わされるというよりは、個人と神との間で交わされるものかもしれないと思いました。

つまり、「神様、私はこの人と一生一緒にいます」ということです。

人と人の間の約束は往々にして反故にできちゃうけれど、人と神との契約は反故にできないものね。キリスト教に限らず、神道の結婚式の誓の言葉も気になります。




photo credit: Millzero Photography via photopin cc


-----------------------------------------------------
I may have the gift of inspired preaching;

I may have all knowledge and understand all secrets;

I may have all the faith needed to move mountains

-but if I have no love, I am nothing.

I may give away everything I have, and even give up my body to be burned

- but if I have no love, this does me no good.

Love is patient and kind; it is not jealous or conceited or proud;

love is not ill-mannered or selfish or irritable;

love does not keep a record of wrongs;

love is not happy with evil, but is happy with the truth.

Love never gives up; and its faith, hope, and patience never fail.

Love is eternal. There are inspired messages, but they are temporary;

there are gifts of speaking in strange tongues,

but they will cease; there is knowledge, but it will pass.

For our gifts of knowledge and of inspired messages are only partial;

but when what is perfect comes, then what is partial will disappear.

Meanwhile these three remain: faith, hope, and love;

and the greatest of these is love.

Paul's First Letters to the Corinthians 13


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コリントの使徒への手紙1 第13章より

たとえ、予言する賜物を持ち、

あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、

たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、

愛がなければ、無に等しい。

全財産を貧しい人人のために使い尽くそうとも、

誇ろうとして我が身を死に引き渡そうとも、

愛がなければ、わたしに何の益もない。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。

わたしたちの知識は一部分、預言も一部分なのだから。

完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。

その中で最も大いなるものは、愛である。
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角田光代☆コイノカオリ

2012年11月20日 | 物語の抜粋
私たちはだれかと家族でいたり好きになったり恋をしたりするけれど、
突然そんな全部を無にすることもできるのだ。

だれとも会わなかったみたいに。

会ったことにこれっぽっちも意味なんかなかったかのように。

そうしてそれきり忘れてしまうことだってありえる。

忘れてしまったら、もうその人は存在しないのと同じことだ。


We become a family, we fall in love, and we love each other,
but suddenly we can turn them all nothing.

Like we never met each other before.

Like our encounter had no meaning at all.

Then it's possible to forget them completely.

Once forgotten, the person's existence is equal to none.


綾さんからいただいたリクエストですリクエストありがとうございました


解説

『コイノカオリ』という短編集にある、角田光代さんの『水曜日の恋人』の中の一節です。
母の恋人だった男性と話していた中学生の娘が、ふと母は女でもあると気付いたときの独白です。

英訳してみると、断定的な言葉が並びました。all, nothing, no at all, completely, equal to noneなど。

また、一行目にある言葉を英語にするのにちょっと迷いました。「家族でいる」ってどういうこと?We are family、は自然な表現ですが、We become a familyというと、養子なのか、改めて家族として頑張って生きていくと言う決意表明のようになってしまいました。

あと、好きになるのは一方的で、恋をするのは双方向なのか?ちょっと主語がWeだとやりにくかったです。


感想

思春期の少女の持つ断定的とも純粋ともいえる表現ができたかな、と思います。でもちょっと硬いかしら〜。

この翻訳のためにひさしぶりに恋愛小説を読んだら、心がすこし若返った気がします(笑)


参考

コイノカオリ
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映画「希望の国」

2012年11月05日 | 映画
子育て中の母が映画を見に行くのは大変です。夫のスケジュールを押さえ、友に前売り券を買ってもらい、早朝から昼食の準備をしてやっと得る貴重な時間なのです。

今回見に行った『希望の国』(➡オフィシャルサイト)は、福島第一原発の事故後の未来、長島県という架空の場所にある原発が爆発したという設定のフィクションです。




この映画は、東京新聞やJapan Timesで特集が組まれていたし、東京MX『日本ダンディ』金曜日の映画研究所で取り上げていたりでずっと見たいと思っていました。

被災地から離れていたとはいえ、私は地震を体感して、放射能汚染に怯え、子どもをどう守れば良いか右往左往しました。まだしているといってもいいでしょう。水は買ってますしね。

映画というのは大抵、見る人がどんな人かによって感想や評価が分かれます。でもこの映画ほど受け取る側の立場が明確にでるものは少ないのではないでしょうか。特に日本人にとって。

例えば私はいずみ(妊娠中の嫁)の気持ちがわかりました。

大切な子どもの健康に害がある可能性が少しでもあるなら、例え周囲から「あたまおかしい」と言われても本を読んで知識を蓄え、防護服に身を包む。

また、親父(農業と酪農をしながら認知症の妻を介護する父親)の気持ちもわかりました。

認知症の妻にとって自宅を離れるのはよくない。だから避難しない。育ててきた命(牛と木)の始末は自分でつける。つまり、牛を殺し、木を燃やす。

さらに加藤(市民を避難させなければならない若い公務員)の気持ちもわかりました。

「行政命令だから」という役所的協調圧力でも、「奥さんによい病院があるから」という思いやり風提案でもない、自分の思いを相手にぶつける若さがある。

でもね、

いずみのように防護服着てスーパーに行って野菜の放射量を測ることなんかできないし、

親父のように肚すえて大切に育てた牛を自分の手で殺すなんてできないし、

加藤のように公務員という枠を超えて自分の声で気持ちを相手にぶつけることなんてできないんです。

保身。ことを荒立てて目立ちたくない。10年後のことより1分後の感情が乱れることを恐れる。

だから、この映画がフィクションであることが逆に私には辛く思えました。現実はこんなによくない。映画の中のほうが希望がある気がして。

なんで監督は『希望の国』ってタイトルにしたのか、知りたいと思いました。


希望の国
クリエーター情報なし
リトル・モア
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