世界の記述

いつか届くことはわかっているけれど、いつ届くかは知れない言葉たち

28

2007-08-03 | 世界の記述
思いがけず時間の突端に立っていることに気づかされる瞬間がある。
風が吹きつける。風はぼくの輪郭を浮き上がらせてくれているのだと思っていたが、今日は違う。どうしようもなく逃れ難いものでないものが、あたかも逃れ難いものの一部のような顔をしてこんなにもまとわりついていたんだよ、ほら、と片っ端から吹き飛ばして見せてくれたのだ。そうしてみると、逃れ難い自分の一部と思えていた自分自身の輪郭の内側である肉体や精神ですら、ほんとうに逃れ難いのかが揺らいでくる。脱ぎ捨てることはできない。だがこれは変転するのではないか。可塑性があるのではないか。改造して可用性を高められるのではないか。肉体の機動性は上げられる。心の透明度もきっと上げられるのではないか。それよりも何よりも、今この場所はここより少しでもとおくへ行くための最前線なのではないか。最前線だということを、輪郭で知る。見回すと池の周りの水性植物群と水鳥たちとそれを囲む照葉樹林が、それぞれ別の道をとおって同じように時間の突端に立っていることが突然了解される。

27

2007-06-23 | 世界の記述
車窓の窓枠に、木化していない青々とした小枝の短く切られたのが置いてある。瑞々しい若芽と若葉を少しばかりつけて。
乗客はそっと見守り触れようとはしないから、このまま遠く終点の駅まで運ばれていくだろう。根元の側は切れ味のよい刃物で長く斜めに切られているから、見つけた駅員は小さな空き瓶に挿して置いておき、しばらくして戯れに庭の片隅に植えるだろう。青々として瑞々しいままに保たれたその若木は、やがて空へと伸び始めるだろう。

若木は、種の生存戦略として挿し木を択び、そして成功した。

26

2007-06-16 | 世界の記述
世界に出会い続けることによって巨大化していくセコイアの木が、その直線的な外見によらず実質的には迷走していることを証明せよ。

25

2007-06-16 | 世界の記述
彼岸と此岸の二つの断崖に挟まれた底の見えない谷間に向かって、時折空から仮設の橋桁のようなものが降りて来る。それは打抜き鋼板の両端を丸く曲げて鉤状にしたもので、寸法が合えばそれが谷の両側にがっしりと嵌まり彼岸への道が架かるのだろうが、実際にはどれも寸足らずにできているので、片側を崖に引っ掛けて回転しながら、あるいは全くどこにも擦らずにそのままふわふわと谷底へ消えて行く。
このように、彼岸と此岸との距離は永遠に実測されない。距離はただ思い馳せられるためだけに存在しつづける。したがって、逸してしまった、失われてしまったという感傷は感傷それ自身のためのものである。どんな架け橋もあらかじめ失われており、距離は夢想されることによりすでに結ばれている。だから「失われた」ものは何もないが、感傷はそれ自身必要だからそれ自体で「起こる」。そして、それによってはじめて、距離を取りまく風景の中のすべての場所が鮮やかに焦点を結ぶ。

24

2007-06-03 | 世界の記述
陽当たりのいいバス停でまばらにしか来ないバスを待っていると、背中から広い舗道を隔てたところで自動ドアがおもむろに開く。振り向いても今通ったとおぼしき人影はなく、自分であるはずはないとは思うのだが自分しかありえない。思い直して前を向き直すと、またそのドアが開く。単に感度過剰なのかもしれないが、その赤外線センサーは間違いなく、ぼくが熱源となって発散する赤外線を捉えて、反応している。
そうすると、ぼくが実体として感知される大きさは、物理的な体の体積ではなくて、実はもっと大きな、赤外線圏と呼ぶべき実在の「雲」をまとった大きさなのかもしれない。さっきのセンサーはその「雲」の一端に触れて、ぼくの存在に「気づいた」のだ。そして、そのことによりぼくはそのセンサーにはじめて、気づく。
えてして気づくということは、気づかれたことに気づくということだ。ぼくたちはいつだって、気づくのに先がけてまず気づかれている。むしろ、「気づく」ということは存在していなくて、気づかれることへの反応のことを、ぼくたちは「気づく」としてただおのれの感覚に内在化している。
ぼくたちは世界に気づかれているからこそ、気づきに驚く。

23

2007-06-03 | 世界の記述
(壜生物)

朝、洗面所の鏡に向かうと、その手前に並んだ、もう何のものだったか忘れてしまった壜の一つから、ぷるぷるしたヒトガタのような生き物が這い出してきて、壜の口に半身を乗り出してぼくを見上げる。壜はデザートボトルという、長年荒野で強い陽射しを受けて薄紫に色づいた壜によく似ているのだが、そんなものがここに並んでいるいきさつに思い当たるところはない。あるいは気がつかなかっただけで、記憶しているよりはるか以前からここにあったのかもしれない。
この壜生物はぼくが歯磨きする間じゅうずっと、鴉口で即興で描いたようなわかりやすい顔つきでそれを見上げていて、終わったのを見届けると、出て来たときと同じのそのそとした動作で壜の中に帰っていく。そしてぼくの一日が始まる。すでに外の光は真白くはち切れている。

22

2007-05-26 | 世界の記述
思考の滑走路のために必要な長さは、天球上の北極と現在地とを結ぶ距離に等しく、つまりは測定不能だから、その線上には一切の建造物を建ててはならない。
しかし樹々は例外である。元からそこに立つ樹はもちろん、新たに樹を植えることも許される。梢の間に生じる強い緑磁界が思考を加速することが知られているためだ。

21

2007-05-25 | 世界の記述
亀を追うアキレス。
さっき亀がいた場所にアキレスが到達したときの現在の亀との距離は漸近線を描いて0に近づいて行くが、その距離を埋めるのに必要な体感時間は実測値と裏腹に双曲線を描いて無限大の方向へ逃げていくので、
恋は永遠。

20

2007-05-19 | 世界の記述
(祈り)

あらゆる人が、それぞれ涙にくれている。
どんな涙もひとしなみに胸に刺さるから、
ぼくは祈りに祈る。祈りに祈って、鬼になる。

ぼくが北から南まで駆け抜けたとき、大地は至るところ旗と血で赤く染まっていた。
涙は尽きるところを知らなかったが、そのわけはいまや一つだった。

19

2007-05-19 | 世界の記述
(ひるね)

気持ちよい日なたでうたた寝して、起きて体重計に乗ったら増えていた。
光合成は、しているらしい。

18

2007-05-19 | 世界の記述
バスの前乗りステップに立っていると程なくバスが消え、地表から30センチの高さを立ったまま滑るように飛んでいる。歩いていてはわからない、生々しい地面の起伏。ここから谷沿いに下流に向かうな。ここは干上がった沼地。あ、今分水嶺越えたな。原寸大の地形図の上を滑らかにたどる、所用時間30分の足裏の旅。

17

2007-05-19 | 世界の記述
黒光りする、背の高い石盤のようなものの真横を思いきり通過してしまう。

16

2006-09-20 | 世界の記述
(ダム湖底の文明)

この町に育った子どもは、特異な原風景を持つに違いない。

真新しい高架橋が、ここから向かいの丘に架かっている。少女は歩行者用の螺旋階段を昇ってその中ほどに現れると、無造作に停めてある自転車のハンドルを掴んで飛び乗り、瀟洒なタイル敷の舗道を駆けて行った。
橋の中央から欄干ごしに見下ろす町のひしめき。パーマ屋と個人経営のスーパーとデザイン事務所とダンススタジオと。
この町はこれから、少女の記憶の底に沈むのだ。
これからここになみなみと満たされる記憶の水の表面は、つるんとして、匂いもなく、嘘臭いほどに静かだ。スケート靴のようなプレイヤーたちが音も立てず高速で行き交う。だが、その水面に首を突っ込んでみれば、重い水の底でゆっくりと進み続ける時間のゆらめきを耳が拾うはずだ。
ぼくらはそうやって、幻の文明を遡りながら水面上の現在を生き続ける。

15

2006-08-19 | 世界の記述
遠くに見えるあの街は今まさに茹っているらしく、上空には入道雲が立ちこめ、ビルが沸いてはふっつりとはじけて消える。

14

2006-08-19 | 世界の記述
電車が見事に鮮やかに通過したので、あとには風景の一片さえ残っていない。