ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

ハチ公前広場と言えば/6扉車が消滅した

2017年07月11日 23時36分00秒 | まち歩き

 渋谷駅と言えばハチ公前広場、とは申しませんが、待ち合わせ場所としてこれほど有名な所もないでしょう。とりあえずここを指定しておけば間違いがないのです。

 そのハチ公前広場と言えば、2006年から緑色の主がいます。

 1954(昭和29)年にデビューした、東急の初代5000系です。ハチ公前広場に置かれているのはトップナンバーであるデハ5001で、上田交通に譲渡されていたものです。1993年に上田交通での運用を終え、東急に帰ってきていました。

 初代5000系は、東急初のカルダン駆動車にして日本初の直角カルダン駆動車であり、デビュー直前までは社内でも(ごく一部を除いて)秘密にされたという話すらあります。正面は非貫通で2枚窓という、いわゆる湘南型のスタイルですが、このスタイルは本を正せば東急車輌製造(現在は総合車両製作所)のアイディアであると言われています。

 登場時から1980年まで東横線で活躍し、大井町線、田園都市線でも活躍しましたが、最後は目蒲線で運用され(車両サイズの関係で池上線では走っていません)、1986年に東急線から引退しました。1977年に長野電鉄に譲渡されたのを皮切りに(余談ですが、当時の鷺沼検車区で長野電鉄色の初代5000系を見たことがあります)、福島交通、松本電鉄、岳南鉄道、熊本電気鉄道、上田交通に譲渡され、活躍しました。特筆すべきは熊本電気鉄道での活躍でしょう(2016年2月に引退しました)。また、台車のみ伊豆急行と西鉄に譲渡されています。

 私が東横線などで乗っていた頃には、向かって左側の窓、室内に方向幕などが取り付けられていましたが、渋谷駅前での展示に際してデビュー時に見立てた方向板が取り付けられています。

 この車両は、渋谷駅前で展示されるまでは長津田検車区および東急車輌製造において保管されていました。ハチ公前広場での展示の際に、後部がカットされています。

 実のところ、駅前での展示よりも長津田検車区または東急車輌製造での保管のほうが望ましかったように思われます。もとより、長津田検車区、東急車輌製造のそれぞれの事情もあったことでしょう。しかし、ハチ公前広場での展示で、車体の痛みがかなり目立つようになっています。正面ガラスに落書きのような傷が付けられていたこともありました。あと何年かすれば、撤去されざるをえないでしょう。

 こちらは2代目の5000系です。2002年に田園都市線にデビューしました。東京メトロ半蔵門線はもとより、東武伊勢崎線・日光線にも足を伸ばします。また、一部が8両編成で東横線(さらに東京メトロ副都心線、西武有楽町線・西武池袋線など)で運用されています。さらに言えば、東横線用の5050系、目黒線用の5080系、横浜高速鉄道Y500系が広い意味での同系列であるほか、大井町線急行用の2代目6000系、池上線・東急多摩川線用の2代目7000系も、この5000系が基本となっています。

 田園都市線の2代目5000系と言えば、最初期の何編成かを除き、6扉車が組み込まれていました。言うまでもなくラッシュ時対策で、最終的には4号車、5号車および8号車が6扉車となっていました。このために2代目5000系は度々編成替えが行われており、東横線の5050系になった(改番された)車両も存在します。

 しかし、ホームドア設置の促進などのため、2016年1月から6扉車が4扉車に置き換えられ始めました。上の写真の5108Fは、私が実際に見て確認した限りでは今年の4月まで6扉車を組み込んでいましたが、結局全車4扉車化されました。5月には、全編成が4扉車化されています。

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