ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

再掲載:東急大井町線途中下車(1)二子玉川駅(その1)

2017年05月16日 01時08分32秒 | まち歩き

 このブログに「東急大井町線途中下車」シリーズを掲載しました。元は私の「川崎高津公法研究室」に設けていた「待合室」で掲載していたものですが、2014年10月13日に休止、2015年1月24日に終了したため、第9弾の北千束駅から第14弾にして最終の大井町駅まではこのブログに掲載しました。また、第8弾の緑が丘駅は「待合室」に掲載したものを、ほぼそのまま、このブログに再掲載しています。

 しかし、第1弾から第7弾までは、このブログに掲載していません。開始から終了まで5年程かかってしまったこともあって「今頃再掲載してどうする?」という気持ちもあるのですが、やはり途中からというのもおかしいので、再掲載することといたしました。

 今回は第1弾の1回目として「待合室」の第431回として2011年7月30日から同年8月6日まで掲載したもので、やはり「待合室」に掲載していた「東急田園都市線途中下車」シリーズの第14弾をも兼ねていました。なお、写真撮影日は2010年6月1日です。

 〈以下再掲載〉

 1990年代に大きく変わった街と言えば、我が高津区の溝口です。その溝口から2キロメートルしか離れていない世田谷区玉川は、21世紀になってから大きく変わりました。2011年3月19日に二子玉川ライズが完全オープンとなりましたが、これが二子玉川駅周辺再開発事業の一環でして、急行停車駅でありながらひなびた感じのあった東口は大きく変わってしまいました。1980年代まで営業していた二子玉川園という遊園地、その後にできたナムコ・ワンダーエッグ、ねこたま、そして二子玉川園の門の真ん前にあった中華料理屋(競馬の馬主でもあった)がなくなりました。東急自動車学校もなくなりました(唐木田へ移転しています)。道路なども変わってしまい、二子玉川園があった頃の面影は失われつつあります。

 小学生の頃から、自転車でよく二子玉川園駅周辺に行きました。大学院生時代は溝の口~早稲田(地下鉄)の通学定期券を持っていたので、よく二子玉川園駅で降り、玉川高島屋南館や東急ハンズなどで買い物をしたものです。2000年8月6日に駅名が二子玉川となりました。その頃は大分市に住んでいましたが、川崎市に帰ると時々寄りました。2004年4月から大東文化大学に勤務していますが、目黒線を利用していたのであまり寄らなくなりました。それでも、時々、大岡山で大井町線に乗り換えては二子玉川に行ったりしたこともあります。2010年4月からは田園都市線を利用するようになり、時々降りて買い物などをしています。今は通勤定期券を持っていますので、途中下車も楽です。

 二子玉川駅を利用する機会は多いため、写真もよく撮っています。そこで、今回は、東急田園都市線途中下車シリーズの第14弾として、二子玉川駅を取り上げることにしました。枚数が多いこと、撮影日がバラバラであることから、何回かに分けて掲載します。

 また、二子玉川駅は、東急大井町線の正式の終点でもあります(営業運転は大井町~溝の口ですが、二子玉川~溝の口は田園都市線に乗り入れる形をとっています)。そこで、今回から東急大井町線途中下車シリーズも立ち上げます。二子玉川駅はその第1弾ということになります。 

 二子玉川駅と言えば玉川高島屋でしょう。駅の西側にあり、1969(昭和44)年に開店しました。渋谷から二子玉川園まで走っていた玉川線と、二子玉川園から砧本村まで走っていた砧線が廃止された年に当たります。開業以来、二子玉川の象徴ともなっています。

 この玉川高島屋ですが、実は百貨店の歴史を大きく変えた店舗でもあります。今もそうなのかもしれませんが、当時、百貨店と言えば都市の中心部にある繁華街、あるいは中心駅の前にあるものでした。しかし、高島屋はその常識を破りました。二子玉川園駅と言えば、1969年の当時、多摩川に近い場所に遊園地があり、渡し船もあった所で、同年に廃止された玉川線の終点にして砧線の起点、そして田園都市線の途中駅に過ぎません。世田谷区の中心ではありませんし、繁華街ではありません。つまり、郊外としか言えない場所です。そこに百貨店ができたのです。つまり、玉川高島屋は郊外型百貨店の第1号なのです。そして、これが大当たりでした(もっとも、開店からしばらくの間は苦しい経営を強いられたという話も聞きます)。その後、二子玉川園駅の西口には金融機関など、様々な業種の店舗が増えていきました。

 奥に二子玉川駅のホームが見えます。二子橋に向かう道路を歩いています。かつては国道246号線でした。旧大山街道でもあります。現在の国道246号線は駅から少し離れ、玉川高島屋の西側の駐車場の上を通り、新二子橋を渡ります。

 駅の北側にドッグウッドプラザがありますが、その工事中であった時の写真です。この辺りにはガーデンプラザのような一角があり、何軒かの飲食店もありました。曜日によってはかなり混んでいたことを覚えています。

 詳しいことはわかりませんが、このドッグウッドプラザの辺りが、かつての玉川線および砧線の駅があった場所です。玉川線は現在の田園都市線とほぼ同じ場所を通り、砧線は二子玉川インの付近から左へ大きく曲がり、中耕地、吉沢、そして終点の砧本村に向かっていました。現在でも、二子玉川インと玉川高島屋SCの東側駐車場との間に痕跡があります。

 砧線は玉川線と同時に廃止されてしまった全線単線の路線です。玉川線は軌道線でしたが、砧線は鉄道線でした。しかし、砧線の車両は玉川線と同じでした。今回の写真にはありませんが、別の日に中耕地駅跡を歩きましたので、機会を見つけて紹介いたします。なお、砧線の廃止後は高津営業所の所管路線である玉06系統が走っています。8の字のような形をした路線です(二子玉川駅→中耕地→吉沢→都市大総合グランド前→砧本村→世田谷総合高校→吉沢→二子玉川緑地前→二子玉川駅)。

 二子玉川駅の近くです。右奥に高層マンションが建っていますが、以前は富士観会館でした。その手前にパチンコ屋があり、1980年代には、そのパチンコ屋の店内放送が駅のホームにまで聞こえていました。

 この先に二子橋があります。かつて、大井町線、田園都市線の電車は二子橋の道路の上を走っていましたが、1966(昭和41)年には現在の専用の橋梁に移っています。二子橋を渡ると川崎市高津区二子、そして二子新地駅でして、二子玉川駅のホームに立つと二子新地駅がよく見えます。

  上の写真の奥に写っている交差点を右折するか、二子橋の脇を通って右折すると兵庫島です。夏の世田谷区たまがわ花火大会の会場もその辺りです。最近は川崎市の多摩川花火大会と同時に行われることが多く、昨年(2010年)もそうでした。川崎市の打ち上げ場所は田園都市線の橋梁と第三京浜との間です。開催日に田園都市線か大井町線に乗ると、両方の窓から花火が見える訳です。

 二子玉川駅の改札口です。田園都市線と大井町線の乗換駅で、もちろん急行も準急も停車しますが、位置の関係で改札口はこの一箇所しかありません。田園都市線でも大井町線でも1号車でないと遠い所です。ホームが多摩川の上まで伸びている関係もあるようです。

  日本で最も改称が多い駅は阪急千里線の関大前駅ですが、二子玉川駅はその次くらいでしょうか。ここは東急で最も改称が多い駅です。まず、1907(明治40)年、玉川電気鉄道の玉川駅が開業しました。これとは別に、1929(昭和4)年、目黒蒲田電鉄の二子玉川駅が開業しました。大井町線の自由が丘~二子玉川の開業に伴うものです。この時点で、玉川と二子玉川は別々の駅であったようです。1940(昭和15)年、二子読売園と改称しました。1944(昭和19)年、名称は二子玉川に戻ります。その10年後、1954(昭和29)年、今度は二子玉川園に改称されました。そして2000(平成12)年8月6日、再び二子玉川に改称されました。二回も当初の名称に戻されるというのは珍しい例でしょう。これには地元の意向が反映されていたようです。

 二子玉川といいますが、所在地は世田谷区玉川で、二子という地名は、少なくとも現在、世田谷区になく、対岸の川崎市側にあります。二子の渡しにちなんでいるのか、かつては世田谷区にも二子という地名があったからなのか、詳しいことはわかりません。世田谷区と川崎市の双方にある地名としては、宇奈根、瀬田(二子新地駅のそばにある狭いエリアです)、等々力などがあります。

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