北京取材ノートブック 

【中国覚醒 改革開放と日系企業】は、過去60年間の中国での日系企業進出ドラマを週1回掲載します。(北京雑感なども)

【中国覚醒】第24回「ある秘策」

2009-11-08 | 【中国覚醒】 改革開放と日系企業
池田は、限定的ながらも、断絶した中国との貿易関係の改善を模索し、岸内閣退陣直後の1960年7月末に日本で開かれた総評の全国大会と、原水爆禁止世界大会に出席することになっていた劉寧一・中華全国総工会主席の日本への入国を認めた。長崎国旗事件以来、中国代表団の訪日は2年3カ月ぶりのことだった。

ちなみにこの劉寧一という人物は、“中国の岩井章”ともいえる労働界のドンで、戦時中にはタクシー運転手1,000人以上を率いた反日デモや、上海で英米資本の企業の労働者を率いて反日ストを挙行した、反日色の強かった活動家である。劉寧一は日本で「政治3原則」が守られるなら、現在の“配慮貿易”を拡大する用意があると言及した。

その一方、廖承志は日中貿易促進会の鈴木一雄・専務理事を北京に招き、周恩来と鈴木の会談が8月27日に実現する。ここで周恩来は一歩踏み込み、「日本人が好んで使う3原則という言い方に沿って」としながら、【1】政府間協定【2】民間契約【3】個別的な配慮――という「対日貿易3原則」を打ち出した。

人民日報が9月13日になってから、周恩来の公式談話記録を発表している。それによると、周恩来が会談で鈴木に言ったのは次のようなことである。



「貿易や漁業、郵便など両国間の協定は今後すべて、これまでのような民間ではなく“政府間協定”で進められるべきである。だが協定がなくても条件が整えば日本企業と中国の貿易公司の間で取引できる。そして、これまでに実施してきた、困難に直面した中小企業向けの配慮貿易も正しいやり方である」



周恩来はやや分かりにくい言い方をしているのだが、要するに、「日中間には3つの貿易方式が可能であること」を示したのである。もっと平たく言うと、わずかな配慮貿易だけではなく、民間貿易を事実上再開してもいい、と表明したのだ。

その文意が伝わりにくいのは、あえて中国側から明らかに一歩下がって日中貿易拡大を認める、という印象を与えない表現にしたのだと思われる。

興味深いことに、中国は「政経不可分」とはいいながら、民間貿易を進めるということは明らかに「政経分離」への方針転換であり、中国の態度の軟化といえる。それを「対日貿易3原則」という形で、焦点をそらしたのかもしれない。

***

鈴木は、この3原則により新しい日中貿易の時代が幕を開けると直感し、直ちに日本側に電報で伝えたのだが、日本側の反応は、政界では冷ややかだった。時の外務大臣である小坂善太郎は無関心の態度を見せた。



「(対日貿易3原則が、中国の)非常に際立った大きな変化であると考えるのもいかがか。貿易というものはやはり両国民の間に相互に欲するという現実の必要というものがない限り、政治的に押しつけてみたって実際には成り立たないと思っておるのであります」



直後の国会では、中国側に歩み寄りがあるが日本はどうするのだ、政府間協定をやるべきではないのか、と再三再四問われても、小坂は「政治と経済は別」などとのらりくらりと答弁をかわしてみせたし、通産大臣の椎名悦三郎は「まだ政府間協定の時期ではない」とはっきり否定した。

中国のやり方は大国主義だ、と反発する向きもあるなかで、首相の池田も、長崎国旗事件の直後、数億円の契約が破棄させられたことを念頭に、「中国と貿易をしたらだまされる」などと発言したため、池田に期待していた中国側を再び苛立たせることになった。

■産業界の歓迎

一方で、産業界の大半は、対日貿易3原則を歓迎したのも事実だ。

経済7団体は歓迎の意を表明し、日本政府に対して政府間協定を進めるよう要請し、各都道府県からは陳情が押し寄せた。「日中政府間貿易協定実現要求全国業者大会」も東京で開催され、約150業種から400人が参加した。それでも、政府はその時期ではないと表明していた以上、必然的に【2】の民間契約をどう進めるか、に焦点が絞られた。

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ところで、岸内閣で通産大臣を務めた高碕は岸退陣後、大日本水産会会長となっていたが、対日貿易3原則が提示された後、60年10月7日から30日までの約3週間にわたり中国を訪れ、周恩来と3回会っている。ちょうど池田内閣の閣僚たちが、国会で対日貿易3原則に無関心を表明していた頃である。

それに関して「周恩来年譜」には、高碕との10月の会談記録が残っており、日本の国会にも話題に上っていないことが書かれている。

筆者は先に、高碕が通産大臣だった時に、国会で「現状を打開する“私案”を持っている」と述べたことについて、「政府間協議についての可能性がある」と書いた(第22回「天津甘栗」)。

実は高碕はこの会談で周恩来に、親米一辺倒の吉田茂・元首相との会談を求めているのだ。しかも、吉田を自分より低く扱っても構わない、とまで言っている。政府間協議につなげるべく、“吉田茂訪中”を秘策中の秘策として動いていた形跡が窺えるのだ。(続く・敬称略)
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