デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

上を向いて歌おう(PART 2 OF 3)

2016-11-25 12:20:03 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽



 

上を向いて歌おう(PART 2 OF 3)





(izawa2.jpg)

飯沢匡: これは強調しておきたいんだけれども、あれがアメリカで受けたのは、九ちゃんの力じゃないですよ。 作詞の永六輔でもないですよ。 中村八大の作曲がいいんです。 だから「上を向いて」が「スキヤキ」になったんです。 九ちゃんの声はどうでもいいんで、イヌが鳴いているのと同じことなんだから。 (笑い) すぐに坂本九だ、永六輔だって出てくるけれども、おかしいですよ。 中村八大の作曲ですよ、問題は。 歌に関する限り、メロディーなんです。 歌詞なんか、ほんとうはどうだってかまわないんです。 (笑い)


(yasuoka2.jpg)

安岡章太郎: しかし、歌詞がさきにできて、それに曲をつけたんだろうから。


(sono2.jpg)

曽野綾子: それがあの二人でつくるときは、ちがうらしいですね。 さきにメロディーがあって、それに歌詞をつけるんですって。

飯沢: 二人でいてね。 中村八大がボロロンとやると、永六輔がつけるんです。 だから、♪ウエオムーイテでしょう。 日本語ではムーと低くなることはない。 ムイテとイが上がるんですよ。

曽野: ムーイテは、ミカンの皮をむくみたい。 (笑い)

飯沢: そうなんです。 ラッキョウをむくみたいな、そんなのないですよ。 これをみても、メロディーがさきだということがわかるんです。

安岡: ♪ナミダガ、コボレ、ナイヨオオオニイなんていうのも、おかしいな。

飯沢: そういう点では、歌詞としては不備なところがあるんだ。 中村八大は損してますよ。 ヒット・メロディーの作曲者としてとりあげてやっていいな。

安岡: そんなことをいうと、われもわれもと作曲家志望が乗出すだろうな。

荒垣秀雄: 中村八大は国際水準からいうとどうですか。

飯沢: とにかく「スキヤキ」が売れたんだから、そうとうなんでしょう。

(写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調のため)




132-133 ページ 『上を向いて歩こう』
著者: 佐藤 剛
2011年7月13日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店




この上の座談は1963年12月27日号の『週刊朝日』に載ったのですよ。 安岡章太郎さんと曽野綾子さんは小説家で、荒垣秀雄さんは朝日新聞の名物コラム「天声人語」を20年以上も書き続けていた論説委員です。 この4人は、誰も音楽の専門家じゃない。



安岡さんが「♪ナミダガ、コボレ、ナイヨオオオニイなんていうのも、おかしいな」と言っていますけれど、デンマンさんもおかしいと思いますか?

いや。。。僕は、あまり詞にはこだわらないから。。。でも、おかしいとは思いませんね。 これを読んでいる人に判断してもらいますよ。 まず、九ちゃんの歌を聴いてみてください。

坂本九~上を向いて歩こう


(kyu125.jpg)

<iframe width="500" height="350" src="https://www.youtube.com/embed/bbH754gScuk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



飯沢さんも言っているように、「上を向いて歩こう」はアメリカでも記録的な人気が出たのだけれど、初めは九ちゃんが日本語で歌っている歌が受けた。 だから、確かに日本語の詞はアメリカ人にとってはどうでもよかったのでしょうね。 でも、イヌが鳴いているようだとは思わなかったはずですよ。



英語の歌詞では歌われなかったのですか?

いや。。。やがて英語の歌詞で歌われるようになった。 英語版を聴いてみてください。

Sukiyaki (Live)

English Version



(sukiyaki9.jpg)

<iframe width="500" height="350" src="http://www.youtube.com/embed/IdK0ALLHqfg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



英語版も、なかなかいいですわね。



確かにメロディーがいい。 僕も、どちらかと言えば飯沢さんのように歌はメロディーだけを聴いて、あまり歌詞には関心がない。 でもねぇ~、「上を向いて歩こう」は歌詞が先にできたのですよ。

でも、飯沢さんは「これをみても、メロディーがさきだということがわかるんです」と言ってますわよ。 曽野さんも「あの二人でつくるときは、ちがうらしいですね。 さきにメロディーがあって、それに歌詞をつけるんですって」と言ってますわ。

だから、この二人は完全に間違っているのですよ。

その証拠でもあるのですか?

ありますよ。 上の本の中でも次の対談を紹介して詞が先にあったことを中村八大さんが認めています。 その対談を読んでみてください。



(endo2.jpg)

遠藤周作: 作曲をなさるときは、いつどこでなさるんですか。


(hachidai2.jpg)

中村八大: 全く決まってないですね。

遠藤: 「上を向いて歩こう」のときは?

中村: あれは三田のアパートにいて、そこの自分の部屋でやったんです。

遠藤: そういうときは、どうするんですか。 ピアノを弾きながら?

中村: いや、ピアノは、作曲のときには使わないんです。 大体、頭の中で固めていきます。

遠藤: 頭の中にメロディーが浮かんでくる?

中村: 浮かんだり、消したり、浮かんだり、消したり。 いろんなやり方がありますけど、あのときは、坂本九が歌うことは、決まっていたわけです。

 <略>

遠藤: それは詞がさきに出来ていたわけですね。

中村: 詞があったわけです。

(写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調のため)




134 ページ 『上を向いて歩こう』
著者: 佐藤 剛
2011年7月13日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店




確かに、中村八大さんは「詞がさきにあった」と言ってますわね。



でしょう!? 音楽が専門でもないのに、飯沢さんと曽野さんは解ったような事を言っている。 でも、それは全くの間違いだった。 『週刊朝日』は1963年当時、発行部数が100万部を越えていた。 しかも、飯沢さんを含めて座談会の4人は「文化人」、「知識人」と呼ばれていた。

つまり、その人たちの言ったことは当時の社会に大きな影響力を持ったわけですね。

そうですよ。。。だから、飯沢さんや曽野さんが間違った事を言ったのを鵜呑みにした人もかなり居たと思うのですよ。

門外漢が音楽のことについてコメントするのは、いけないとデンマンさんは言いたいのですか?

いや。。。言論の自由・表現の自由があるから何を言ってもいいですよ。。。でもねぇ。。。少なくとも根拠のある事を言って欲しいと思いますね。 そうじゃないと、このように、後で証拠を持ち出されて叩かれるのですよ。 飯沢さんも曽野さんも、いい加減な人間だと思われても仕方がない!

デンマンさんも、好き勝手な事をブログに書いているから、いい加減だと思われているかもしれませんわよ。

もちろん承知していますよ。 だから、できるだけ根拠のある事を書くように努力していますよ。

。。。で、『上を向いて歩こう』は単なる偶然でアメリカで人気が出たわけじゃなくて「人の輪が生み出した奇跡」だと、デンマンさんは言いたいのですか?

その通りですよ。 佐藤剛さんが書いた『上を向いて歩こう』という本を読んで僕が分かり易くチャートにしてみました。 じっくりと見てください。


(qchan90.gif)



あらっ。。。「上を向いて歩こう」が世界的に有名になるまでには、ずいぶんといろいろな人が関わっていたのですわね。



本当はもっと多くの人が関わっていたのだけれどチャートには書ききれないので主要な人物や会社、番組だけを書き入れたのですよ。

曲直瀬(まなせ)信子さんと言う名前は聞いたことがないのですけれど、有名な人ですか?

いや、最近の若い人はほとんど知らないでしょう。 でも、当時の芸能界では有名な人だった。 九ちゃん自身が曲直瀬信子さんを恩人だと言っているくらいだから、大きな影響を九ちゃんに与えた人なのですよ。 九ちゃんは一度は歌手になることを断念したのだけれど、曲直瀬信子さんに説得されて歌手に戻ったという経緯(いきさつ)があるのです。

「上を向いて歩こう」でも曲直瀬信子さんは大きな役割を果たしているのですか?

そうです。 当時、九ちゃんは楽譜が読めなかった。 だから曲直瀬信子さんが居なかったら、もしかすると「上を向いて歩こう」は世に出なかったかもしれない。 次のようなエピソードがあるのですよ。



(recital2.jpg)

「...坂本九の曲は、なかなか出来上がらずに、リサイタルの開催当日になって、ようやく取りに来てくれという連絡がありました。
それで当日、(中村)八大さんのお宅に行くと、『上を向いて歩こう』の譜面を渡されました。
そのまま八大さんはどこかへいなくなてしまって、とにかく忙しかったんですね。

でも渡された譜面を見るとすぐに特徴がわかりました。
『オゥオゥオゥオゥ』の部分の意味するところもわかりました。
九ちゃんは音域が狭いので、フォルセットを生かしてほしいと頼んでいたんです。
とても嬉しかったですね。
以前の打ち合わせで、私が思っている(エルヴィス・)プレスリーの特徴とかを、八大さんに一生懸命に説明していたことが、そこには生かされていましたから」

打ち合わせの段階からロカビリーのよさを説明して、参考レコードを一緒に聞いたときには自ら歌ってまで中村八大に理解してもらった成果が、一枚の譜面にはっきりと書かれていたのである。
何とかして坂本九の特徴を生かすための曲を作ってほしいという、プロデューサーの希望が結実していたのである。

「すごくいい曲をもらったと思いました」と喜んだ曲直瀬信子は、再び姿を現した中村八大と一緒に大急ぎでピアノに合わせてメロディーや歌い方の確認をした。
そう、中村八大のピアノをバックに、「上を向いて歩こう」を最初に歌ったのは、曲直瀬信子だったのだ。

リサイタル当日の朝のことだから、中村八大には全く時間がなかった。
お互いに相当に慌しい状況のもとで、とにもかくにも歌を覚えた曲直瀬信子は、それをすぐ坂本九に教えなければならなかった。
実際には、当日のリハーサル会場に出向く移動の車中で、ひとフレーズごとに、まさに口うつしで曲直瀬信子から坂本九へと、歌が伝えられたのだった。

 (中略)

エルヴィス・プレスリーのようにリズムにノッて歌う坂本九を想定した上で、中村八大はこの歌を作ったのである。
そういう曲を作ってほしいと思って参考になる曲を選んで聴いてもらい、中村八大と話し合って流れを作ったのが曲直瀬信子であった。
「上を向いて歩こう」には、まさにプロデューサー、曲直瀬信子の仕事が見事に実を結んだという側面もあったのである。

(写真はデンマン・ライブラリーより
読み易いように改行を加えてます。
赤字はデンマンが強調のため)




244-246 ページ 『上を向いて歩こう』
著者: 佐藤 剛
2011年7月13日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店




「上を向いて歩こう」が出来上がるまでには九ちゃんや曲直瀬信子さんばかりでなく、作曲家の中村八大さん、それに作詞家の永六輔さん、関係した人それぞれに興味深いエピソードがあるのですよ。



チャートの中の石坂範一郎さんという人物はどのようなことをした人なのですか?

この石坂さんという人は東芝レコードの常務取締役でレコード制作現場の実質的な責任者だった人です。

名前を聞いたことがありませんわ。

華々しい音楽史の表舞台には出てこないけれど、日本の音楽を国際的に普及させる夢とロマンを持っていた人ですよ。

具体的にはどのような事をした人なのですか?

1958年に中村八大さんの要望を聞いて水原弘が歌った「黒い花びら」のシングルを発売したのは石坂さんなのですよ。 この「黒い花びら」は第1回レコード大賞になった曲です。 1960年に中村八大さんがアメリカとヨーロッパに遊学したことも、1961年に来日したナット・キング・コールに曲を書き下ろす話が具体化したのも、アメリカで人気が出る前に1962年の春、イギリスのEMIが「上を向いて歩こう」のヨーロッパ発売に動いたのも、いずれも石坂さんが手配したことなんですよ。

つまり、縁の下の力持ちなのですね。

その通りです。

その後どうして第2の「上を向いて歩こう」が出なかったのですか?

その時の人の輪が欠けたからですよ。 石坂さんは1980年4月に74歳で亡くなりました。



 (すぐ下のページへ続く)
ジャンル:
びっくり
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 上を向いて歌おう(PART 3 OF 3) | トップ | 上を向いて歌おう(PART 1 OF 3) »

コメントを投稿

お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL