デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

行田物語 母の懐 (PART 1)

2017-06-13 11:17:05 | ふるさと 行田市
 

行田物語 母の懐 (PART 1)

 


(dakko01.png)


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(mayumi40.jpg)


用件:

喜代司の葬式に出席していただいて

ありがとうございました。



(soshiki03.jpg)


From: takako1234@yahoo.co.jp
To: denman987@gmail.com
Date: Sat. April 29, 2017 5:48 PM


 



夕べは多佳子さんの元気な声を聞いて安心しました。
まさか多佳子さんが喜代司の葬式に参加できるほど体力があり、体調がすぐれているとは思いませんでした。
かなり無理をされたのではないですか?

私が多佳子さんの立場であるなら、まず出席しないでしょう!
はっきり言って“迷惑”と感じてしまうでしょう!

私と多佳子さんには共通点もありますが、
この点に関する限り、私は母方の遺伝子をまったく保有してないようです。
冠婚葬祭は、ほぼ拒絶しています。

母親の葬式に参加したことは例外中の例外でした。。。


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“アイツは義理も人情もないのかア!”

今回の欠席のことでは たぶん、そう思われていることでしょう!
もちろん、そう思われたとて、私は自分の考えている通りに生きるだけですが……。

しかし、私のような生き方で、日本で暮らしてゆくと、まず間違いなく波風が立って 暮らしにくいと思います。
カナダに永住したことは正解でした。

ところで、今、ブログの記事を投稿し終わってから、
バンクーバー中央図書館のパソコンに向かって
このメールを書いてます。

ちなみに、フラッシュ・メモリーの多佳子さんのフォルダーを開くと
最後に書いたメールが出てきました。

次の通りです。。。


件名:

11月5日の土曜日は映画音楽で

盛り上がって楽しかったですよ!



(meikyoku01.jpg)




From: takako1234@yahoo.co.jp
To: denman987@gmail.com
Date: Tues., November 8, 2016 1:56 PM


 



その後体調はいかがですか?

11月7日の月曜日には、喜代司が外出を許可されたので、
正造と3人でお袋の見舞いに行ってきました。

話をしようとしても、意味がなかなか理解できないのですが、
3人の子供たちが来たことははっきりと理解していました。

私が肩を揉んでやったら、「ありがとう」と理解できる口調で答えました。
意識は、はっきりしているようです。

11月16日にバンクーバーに戻りますが、
それ以降にお袋が亡くなったならば、
その時は、再度行田に戻ってくるつもりです。

葬式はなるべく簡素に済ませます。

ところで、『夢遊伝』を読ませてもらいました。

純文学的な良い作品だと思いました。

インスピレーションをもらったので、そのことで記事を書きました。

ぜひ読んでみてください。


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『逝く者と残る者』

では、今日も一日 多佳子さんにとってルンルン気分で過ごせるように祈ってますね。
また会う日までお元気で……。



 



去年の11月8日に書いたのでした。。。
“光陰矢のごとし”と申しますが 本当に月日の経つのが早く感じられます。

2月4日に母親が亡くなって 4月24日に喜代司が突然に逝ったのです。

正造さんから連絡を受けて翌日に手紙を書いたのですが、
その手紙の草稿をここに書き出します。

 


2017年4月24日 月曜日

 

昨夜は突然の喜代司さんの死亡の知らせを受け、
全く予期していなかったので驚きました。

喜代司さんの体は以前と比べれば弱っているとは言うものの
少なくとも まだ2年か3年ほどは生きているだろうと予測していたので
死亡の知らせは青天の霹靂でした。

考えてみると、お袋の死が喜代司さんに生きることの儚(はかな)さと
希望を失わせたのでしょうね。


 


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高校生の頃電車に飛び込み自殺をしようと試みたことがあったけれど、
「俺が死んだらかあちゃんが悲しむだろうなァ~……」
そう思って思いとどまった
ということをお袋から聞かされた覚えがあります。

そう言う訳で私も去年の11月に帰省した時に、
「お袋よりも先に死ぬことだけはしないように……」と喜代司さんに言おうと思ったのですが……。
つい、言う機会を逃してしまいました。

しかし、喜代司さん自身にも、お袋よりも先に亡くなって悲しませたくないという気持ちがあったのでしょう!
だから、お袋が2月4日に亡くなって2ヶ月であの世に逝った言う事が
なんだか、寂しく一人でお墓に入っているお袋の話し相手にでもなろうと思って
お袋のそばに逝ったのだと…… そんな風に思えてきました。


そのように思うと喜代司さんの死が不憫ではなく、
なんだか心温まるようにも思えます。

ところで、4月28日の午後5時にお通夜をやるそうですが、
夕べ、よくよく考えた挙句、日本へ戻ってお通夜に参加することはやめます。

親父さんの葬式にも出なかった。
私は、もともとお通夜とか葬式という行事に意味を見出していないのです。

それで、親父さんが入院中には20日間ほぼ毎日見舞いに行田中央総合病院に通いました。
親父さんとは あまり話をしませんでしたが、その20日間には、
20年分ぐらいの話をしたように思います。

「死んで花実が咲くものか」と昔の人は言いましたが、
死んでから、お通夜やお葬式をしても、意味がないと思うのは、そういうためです。

お袋が亡くなったときに、通夜と葬式に参加したのは例外中の例外でした。
30年以上お葬式に出たことがない!

喜代司さんとも、お袋が亡くなった時に帰省して
食事を一緒にしたり、会ってそれなりに語り合えたことはよい思い出ができたと思います。

そういうわけで、もう20年ほど前から遺書を書き換えていますが、
つねに、自分の葬式は要らない。。。
遺体はバンクーバーの大学の医学部に寄付。
そのようにか固く決めています。

正造さんに、すべてを任せきって、自分が何もしないということを
心苦しく、我侭だとは思いますが、
通夜と葬式だけが亡くなった者を“ともらう”、というものでもないでしょう!

心の内でお袋に対しても、喜代司さんに対しても、充分に“ともらう気持ち”を持っています。
通夜や葬式は私にとって、形式だけの 時間と金を無駄にする行為に見えて、時には滑稽にも思えてきます。

仏教が葬式仏教になって、お葬式に100万円以上がかかるというのは、滑稽としか言えず、
正式にすると400万円もかかるというのは馬鹿バカしく思えてなりません。

 


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坊さんに、合計で60万円も包むのは、さらに滑稽としか思えません。
「坊主まるもうけ!」とは、昔の人はよく言ったものです!

そういうわけで、今回の喜代司さんのお通夜と葬式には出ませんので、
親戚の人たちには、当たり障りのないように正造さんからよろしくお伝えください。

喜代司さんの葬式は、バンクーバーで私なりに心の内で“ともらいたい”と思います。
墓参りなども、私は全く信じておりません。

今年の秋には、これまでどおり行田に帰省して また食事を一緒にしながら語り合いましょう。。。

 


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喜代司さんのお骨も、親父とお袋のお骨と並んで 仲良くお墓の中に入っていることでしょうから、
その時には、例外中の例外で、お墓参りをしてあげようと思います。
心の内のお墓参りのつもりです。

ちなみに、お袋のお通夜と葬式に泰夫さん(デンマン注:お袋の実弟、故人)の妻の安子さんが
あれほど体が弱っているのに、参加してくれたのには、本当に驚きでした。
当時、お礼に伺おうと思っていたのに、ついつい行きそびれてしまいました。

今年の秋、もし健在であれば、蓮華寺にお墓参りした後で
安子さんを お見舞いしたいと思います。

 


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勝手ではありますが、そのようなわけで喜代司さんの通夜とお葬式には欠席します。

あしからず……。

 

追伸:

たまたま、2016年10月6日の手紙を読みなおしたら
(フラッシュ・メモリーに下書きが保存されている)

次のように書いてありました。



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「もし、喜代司さんが2,3日間自宅に

戻れるような機会があるなら、

私と喜代司さんの二人で 那須高原へ旅行して

由香里ちゃんが働いている「自在荘ホテル」で

泊まろうと予定しています。

喜代司さんにとっても、いい思い出になるでしょう。。。」


残念ながら旅行ができるほどの体調ではありませんでした。

このことがマジで心残りです。

多佳子さんに電話で連絡するようなことがあれば、よろしく お伝えください。


_____________________
デンマン




『行田遠野物語』より
(2017年5月27日)


 



実に勝手な言い訳ですが、
これが偽らざる私の本音です。

人生は、マジで儚いものだと つくづく思うこのごろです。
だからこそ、自分の思い、気持ちというものをしっかりと持って生きてゆく、と言う事しかないでしょう!

多佳子さんも悔いが残らないように 自分の心に忠実に暮らしてください。
お互いに、30年、40年も生きられる人生ではありません。

今年の秋は、そういう意味からも多佳子さんのために うれしい“プレゼント”を用意したいと思います。
体調が悪いと この“プレゼント”は楽しめないと思いますので
くれぐれも体調を整えながら 元気で過ごしてください。

葬式の疲れを できるだけ早く取りさってください。
では、今年の秋に またお目にかかるのを楽しみにしています。

喜代司の葬式に出席していただいた事を 改めて感謝いたします。
正造さんも 心強く感じたでしょう。
本当にありがとうございました。

では。。。

 


(byebye.gif)

 






デンマンさんは、いつものように多佳子・叔母さんに長いメールを出したのですわねぇ~。。。


(kato3.gif)

そうです。。。 いつも長い記事を書いてますからね。。。 メールだけ短いものを出すわけにもゆかないでしょう。。。 (微笑)

。。。で、叔母さんからは どのようなご返事が返ってきたのですか?

次のように書いてよこしましたよ。


デンマンさんへ


(aunt201b.jpg)

 

お元気でしょうか?
通夜・葬送の儀 無事に済みました。

ところで、アナログ<--->デジタル どちらも伝達手段として使うのでしょうが、私は真の意味を論理的に知りません。
時計に例えるならば、私はアナログ派。
なんでも物質的なものは体で確かめたいタイプ。

多分、後々 その先々も PCに恋することはありません。
実際、PCの前に座るとき、決してときめきはありません。 恐怖でドキドキします。

本日 4月30日 (日曜日) 午前11時にデンマンさんのメールを拝読しました。
デンマンさんに また「宝の持ちぐされ」と揶揄されるかも知れませんが、メールのやり取りは 2015年の秋、デンマンさんが帰省時 私の家にフラッシュ・メモリーを忘れたときに「自遊空間」に居るデンマンさんへ、その件でメールして以来久しく使っていません。

なので、自分のアカウント名やパスワードを入力する時にはドキドキはさらに上昇。
どうぞ笑ってください。
そもそも私のPC使用の目的は、作文用原稿の升目を埋めるだけで十分なのです。

人は人にどれほどの真実を伝えられるかという事を考えたとき、メールを作動させるときは絶対、必要以外は使用しないと決めていました。
理由は二つ。

①下手である。

②追い立てられているような強迫観念に付きまとわれる(神経疾患だと思う)。

今日はメールで返事をと考えていたのですが、なにやら入力する箇所がいくつかあって、またとんでもなくグチャグチャになる可能性が見えるので郵便に変更しました。

 


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まず喜代司君のご冥福を祈ります。
私はデンマンさんと全く同じ事を考えていた事柄があります。

いろいろな説があるようですが、死没して77日経過すると死者は神の世界に入る。
これは夫の実家である東京の洗足の菩提寺の住職の説法だった記憶があります。
それまでは東雲(しののめ)の光に照らされた朝霧のように、家や家人の周りを廻り、安穏であるように導いている。

私は正造さんから訃報を受けて、すぐに芳江さん(デンマン注:僕のお袋であり、多佳子の一番上の姉)の命日から指を折ったら80日。
まさに霊から仏へと渡り行く時で、芳江さんが神様となり、デンマンさんと正造さんの苦労するであろうことを慮(おもんばか)り、また喜代司君の病苦から救い、母親の懐に呼び寄せたと感じ取りました。
この事を正造さんに話したら、デンマンさんも同じよなことを言っていたそうですね。

棺の中の喜代司君は佐吉・お父さんにそっくりでした。
考えるに加藤家の脳力(能力)の高さは父方のゲノム(genom)だと確信しました。
母方、つまり、犬塚の私の実家の脳力は並です。

精進落としの会食の際に、喜代司君の小学校の担任の先生(広田先生)と隣の席になりました。
彼の逸話、特に体育への比類ない努力と、その成果を力説していました。
どちらの家庭でもそうですが、長男・長女は特別で、喜代司君も長男のデンマンさんの影に隠れてしまっていて、私などは初耳でした。

私の健康を心配してくださりありがとう。
年齢の域だからと一言で片付けてしまえばそれまでですが、知らせがあった後、私は無理は禁物と葬儀のみに出席と正造さんに伝えました。
「ところでデンマンさんは?」
「来ないそうです」

いったん電話を置いたものの、正造さん一人で喜代司君を葬送するこの状況は考えられず、一番近い私は行くきりないと悲しさに胸の詰まるのを押さえて通夜と葬儀に伺うことを伝えました。
この時、思わず言ってしまいました。
デンマンさんて しょうがないわねぇ~……!

通夜は三男の修と臨席。
長男は仕事の都合で出られませんでした。
翌日の葬儀には厚子さんが車で送ってくれました。

美智子は母親のつねちゃんの代わりに出席しました。
喜代司さんの従弟の敏文君(通夜は夫婦で)と恵次君も見えました。

私はお葬式の最後のお別れで棺にお花を埋飾する際、喜代司君の知らなかった一生懸命さを想い不覚にも涙を落としました。

芳江さんの場合、日本人の平均寿命を越えた大往生。

 


(tengoku02.jpg)

 

悲しみよりはむしろ祝典の儀と勝手にとらえ、
私自身を重ねてみて、とても真似ることができない長寿にむしろ羨ましさを感じたくらいでした。

このことを正造さんに話したら、母子である正造さんと姉妹である私とでは立場上感受性の違いがあるのでしょう。
正造さんが一瞬顔を曇らせたので失言だったなと思った次第です。
でも、これは私の本当の気持ちでした。

行田の家に戻ったとき、正造さんにお願いしました。
「立派な仏壇があるのだから、宗教に関係なく3人の位牌を一緒に安置して貰いたい」
正造さんも同じ気持ちでした。

我が家の2階にある自称書斎から、前方の勝願寺の森を見ると、緑が日毎に色濃く変化しています。

 


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若者たちは“この素晴らしき世界”と歌のような心地でしょうが、気温20度から25度に慣れない気だるさも手伝って、芽吹きの季節をうっとうしく感じます。

デンマンさんの言う儚さ。
私も同じく儚む方向に磁石の針が強く動いています。

今、短編・中編と2本平行しています。
いつも同じ事を言っていますが、私の死没までに家族に伝わるような編み方が完了すればと深く念じている毎日です。

正造さんが最後のお別れに棺に向かって言っていました。
秋になったらデンマンさんと納骨しますから……

合掌。

 


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それではデンマンさん、体に気をつけて……。

健康は自己責任でいきましょう。

お互いにね……。

追伸: 最後の方は疲れたので支離滅裂のようです。 意味不明な箇所もあるようですが宜しく読解のほどを……。

 

かしこ

 


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2017年4月30日 九条多佳子

 




多佳子・叔母さんらしい手紙ですわァ~。。。 で、どういうわけで私信を公開しようと思ったのですかァ?



あのねぇ~、多佳子・叔母は、「私はデンマンさんと全く同じ事を考えていた事柄があります」と書いているけれど、似てはいるけれど、見方が対極なんだよねぇ~。。。

どういうことですか?

喜代司さんは高校生の頃 電車に飛び込み自殺をしようと試みたことがあったけれど、「俺が死んだらかあちゃんが悲しむだろうなァ~……」そう思って思いとどまったのです。。。 つまり、せめてお袋より先に逝く事だけは控えなければならないという思いがあったのですよ。。。

それで、お母さんが亡くなったので、その後を追うようにして お母さんのところへ逝ったというのですかァ~?

その通りです。。。 喜代司さんの気持ちが感じ取れる。。。 でもねぇ~、多佳子・叔母の考えは、あくまでも“母親の視点”なのですよ。。。 つまり、僕の母親の命日から指を折ったら80日。 母親が「霊から仏へと渡り行く時で、母親の霊が神様となり、デンマンさんと正造さんの苦労するであろうことを慮(おもんばか)り、また喜代司君の病苦から救い、母親の懐に呼び寄せた」というのです。。。

デンマンさんは、叔母さんの言うことが信じられないのですか?

あのねぇ~、僕は霊だとか、神様に成るだとか、そういうことは信じてないのです。。。 実は、喜代司さんのお骨は、まだ仏壇にあって、お墓の中には入ってないのですよ。。。

でも、喜代司さんの霊魂も、お母さんの霊魂とお父さんの霊魂も 一緒にお墓の中で 仲良く団欒しているのではありませんかァ?

真由美ちゃんは、そう思っているのですか?

そう信じてますわァ~。

真由美ちゃんは、意外に優しい心根を持っているんだねぇ~。。。

あらっ。。。 デンマンさんは私がドライで、心の冷たい女だと思っていたのですかァ?

そうではありません。。。 霊魂を信じているのがちょっとばかり意外でした。。。 最近のミーちゃん、ハーちゃんは、霊魂など信じてないでしょう! どちらかと言えば、僕のように墓は要らない、遺体は解剖実習のために医学部に献体して、あとは無縁仏として埋葬するか、海に散骨してくれればいいと考えているんじゃないのォ~?

現在の日本人で、デンマンさんのように そこまで割り切ってドライな考え方を持っている人は 極めて少ないと思いますわァ~。。。 でも、そういう考え方を持っているデンマンさんでも、今年の秋には喜代司さんのお骨をお墓に収めるのですか?

そうです。。。 お葬式に出ませんでしたからねぇ。。。 秋には、いつものように帰省しますから、気持ちですよ。。。 いくら、霊魂や神を信じていないとしても、実の弟がお骨になって仏壇の中で待っているのですからねぇ~。。。 僕の気持ちを、納骨する形で表すしかないでしょう!? 何もしないというのは、あまりにも情けないことですからねぇ~。。。

じゃあ、今年の秋は、私は日本へ帰れないと思いますので、私の分までよろしくお願いしますゥ。。。

そういうところは、最近のミーちゃん、ハーちゃんらしいですねぇ~。。。 (微笑)



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 (すぐ下のページへ続く)





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