華と亀

「電磁場」前管理人、人妻ディレクターかめやのブログ

レッドブルと共に!

2011-08-08 10:56:25 | かめや雑記
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そう、辛いとき、いつもあなたは元気をくれるね。

かめやはレッドブルと共に。

ブログパーツを発見!

立ち位置、そして時間の経過

2011-07-24 10:59:49 | テレビディレクター
前回の自分の記事を読んで、時間の経過を感じる。

前回は、初めて被災地に入ったときの感想をありのままに書いた。
推敲せず、できるだけいい子ぶらずに、ミーハーに書いた。
それを今あらためて読み返すと、いろいろなことが分かる。

言葉づかいや、表現の仕方に、もう少し配慮があってもいいと思う。
今読んだら、イラっと、ヒヤッとする箇所がある。
だけど、当時の自分はあんな感覚を持っていたんだな。
そういうのは「参考までに」覚えておこう。

もしかしたらだけど、あれくらいミーハーに書いた方が
初めて読む人には共感を持って読んでもらえるのかもしれない。
ただ、ブログは、ミクシィとかと違って、誰がいつ読むのかも分からない。
だから「敢えて言えば」というニュアンスを入れ込むのが難しい。

そんなことをゴチャゴチャ考えて、
表現をおさえて、他の人を傷つけたり
他の人に不快な思いをさせたりしないようにして…ってしてくと
他の人が書くブログと、ほとんど同じような感じになってしまう。

難しいなぁ。

8月末に、他のディレクターや記者たちと
震災に関する手記をまとめた本が出ることになりました。
タイトルは「明日へ ~被災者50の物語(仮)」。

◎磁さんの強力バックアップのもと、かめやも入稿しました。
本屋さんに並んでいるのを見かけたら、お手に取って読んでみてください。
印税はすべて震災義援金になります。

この前、番組でスコップ団をレポートしたyoutubeは削除されてしまったけど、
本という形で引き継がれたのには、何か自分の執念を感じる…

◎磁さん、本が出来上がったら寄贈させていただきます!

埋めなきゃいけない溝

2011-06-13 13:24:46 | かめや雑記
昨日おとといと仙台へ行き、津波の被害にあった山元町の泥かきをやってきました。
そのときの模様はコチラ。スコップ団っていうのに入ったんです。

その写真を見てもらえればわかりますが、
もう、すんごい汚いんです、津波に飲まれた後の家というのは。

部屋の中はありとあらゆるところ、引き出しの奥の奥にまで塩水が入り込んでいる。
その一部は逃げ場を失って、腐ってヘドロになっている。

庭はどこかから流れてきたゴミ(って言っちゃいけないのかもしれないけど
その家のものじゃない上に、もう塩水に浸かって使えないものである限り、
その家に流れてきたゴミだと思う)がこんもり堆積して、
しつこく絡みついてる。何十センチあるんだ!?

グルッと裏に廻ると、裏庭にもこんもり。あぁ、もう、無理っす、オレやりたくないっす。

風呂釜や洗濯機、トイレの便器、シンク下にヘドロが溜まってるなんて
見たことがない、っていうか、見ないよね。
ドラマや映画だったらそこは手を抜くんじゃないだろうか。
でも津波だから容赦がない。全部きっちりヘドロ。すげークサイ。
一体どんな勢いで流れ込んだら、キッチンの引き出しの奥までビチョビチョになるんだ。

で、20人がかりで泥をかきます。
おとといやった家は、11時くらいから16時までやっても終わらなかった。

だけど、次の日も泥かいて、最後は綺麗になった。
縁側に座って、綺麗になった庭を見ながら水を飲んだら、とても美味しかった。

前の日記に、「生と死の溝を埋めなきゃ」という話を書いたけど、
なんかそれに近かったかもしれない。
泥かきをしなかったら、誰も近寄りたくない家。
家主でさえ近寄りたくない家。
ドアノブも電気のスイッチも触りたくないし、畳に寝転ぶなんて…誰があんな湿った畳に寝転ぶか!

それが、泥かきをしたら、「どうぞ」と人を上げたい家になる。
どう?少し埋まった気がするよね?

最初に書いたブログのコメント欄に、この日の感想を書きました。
初めてスコップ団に参加した人間としての感想を、正直にね。
これでスコップ団に入る人が一人でも増えてくれたら良いなって思います。

ちなみに、現在と過去の溝

2011-04-26 08:47:15 | テレビディレクター
(ちなみに、過去と現在の溝は、当然のことだけれども
地震の前と後、津波の前と後だけではなく、
毎朝毎晩、一年中、そして東北だけでなく世界に宇宙に横たわっている。

時間は連続していると思い込むことは、ラクだけれど、シンプルだけど、
時にことを複雑にしてしまう。

これ、私の昔からの課題です。)

石巻のさくら、満開

2011-04-26 07:58:31 | テレビディレクター
「石巻市の高台にある公園の桜が、けさ満開を迎えました」と
テレビで中継をしていたんだけれど。

淡い桜の花越しに見えたのは、真っ平らな街並。
薄茶色の瓦礫と、その奥に小さく見える青の海。

さらに、海岸線から川沿いにPANしていく。
どこまでも、どこまでも、何もない。
木も草さえも生えていない。

街を覆っていたコンクリートの建物が剥がされ、
さらに船や車が撤去されて、
土がむき出しになっている。

数キロ先を行く軽トラが、はっきりと目で追える。

去年と変わらないのは、桜の花の色だけ。
そこに、現在と過去を隔てる深い溝が映っていたと思う。

私は想像力を欠いた人間なので、
あの街に住んでいた「命」を想像し
あの街で築かれた「暮らし」や「家族」を想像することが
どうしてもできません。

テレビを通して、高台から見ている自分がいるだけです。

その公園には大勢の人が桜を見に来ていました。
朝早かったので、おそらく地元の方が散歩をしていたのでしょう。

桜の花の下だけが人間が行き交う世界、その下には広い広い死の世界。
あの世とこの世の対岸みたいだなと思ったりして。

死んでしまった街だと思って見ると、身体がこわばる。
怖い…死は怖い。

でも、

それでもあの街に帰りたいと願う人たちがいる。
だから、私たちは、生きて
生と死の溝を埋めなきゃならないんだなぁ。

言葉の力

2011-04-23 13:55:28 | かめや雑記
地震と津波の被害に遭った人たちと、
遭ってない自分との差をどう考えてどう言葉にすれば良いか、
分からないまま1ヶ月も経ってしまいました。

けど先週たまたまあるブログを読んで、あぁそうだなと納得できる言葉がありまして。

「彼らは、たまたまそこにいただけ。オレらはたまたまそこにいなかっただけ。
彼らは可哀想でも惨めでも弱くもない。」

その通りだなぁと。腑に落ちました。

地震と津波があってから、
仕事も気持ちも行動もブレブレで…
だからずっと、言葉を探していました。

ブログの管理人である平了(たいら・りょう)さんは今、
仙台に住みながらボランティアとしてドライアイス集めに走っています。

これがブログ。
http://blog.goo.ne.jp/cheapdust

本職は広告会社?代理店?のお仕事をされているそうです。
ほぼリアルタイムの記録と、胸に迫る言葉が、
思考停止の脳みそを少し動かしてくれると思います。

そして今日も揺れた

2011-04-12 03:36:14 | かめや雑記
1000年に一度と言っても過言ではない大地震。
被災した人たちと魂を一つに乗り越えよう、と思う反面、
被災した人たちと入れ代わることができないのに
何を言ってるんだという自問自答。

せめてもの救いは
仕事を通じていろいろな人の声を聞き、
自分自身も考え、行動し、理解に努めたこと。

vervalも言ってるけど、本当に大変なのはがんばり続けること。
気持ちを絶やさないこと。

私が4年間勤めた青森も揺れ、大勢の友人が恐怖に震えました。
その一人のコメントを、以下に引用します。

* * *

The cherry tree puts forth new buds and a bird is chirping in the garden. Earthquake is one of the activities of nature which doesn't directly kill people and nature by shaking. But the radiation takes all our joy of spring and even this fresh spring breeze can become the constant menace. The nuclear plants cast a shadow over my mind making me wonder if I can enjoy spring like this next year and ever after.

庭の桜の蕾が膨らみ、鳥がさえずっている。地震は自然の営みであり、揺れることが人や自然を殺す訳ではない。でも、原発は小さな春の喜びを奪い、春風さえも脅威にしてしまう。久しぶりの天気で、植物たちが一斉に生き生きとしている。来年、再来年もこんな穏やかな春を迎えることができるだろうか… 原発の存在が、春を喜ぶ心に影を落とす。

* * *

原発をむやみやたらに反対と言える立場じゃないけど、
こういう文章を読むと、途方に暮れてしまうなぁ。
何年かかるんだろう。

「風が吹くとき」とか「沈黙の春」を思い出す…と思っていたら
そういえば渋谷のアップリンクで
レイチェル・カーソンを地震前からしつこく上映してたな。
あれは偶然?(たぶんそう)

私は地震に関しては、もう本当に何の言葉も持たないのですが、
もう一人、タレントの篠山輝信さんが
被災した方へ宛てた手紙の一節も印象的だったので引用します。


「これから皆で乗り越えて行く一歩が
あとで僕たちの宝物になると思います。
それまで一緒にがんばりましょう」


本当に、そうだなぁと思う。
目に焼き付け、胸に刻まなきゃ。


上達すること

2011-03-04 13:00:24 | かめや雑記
普段だったら、自分の担当していた仕事が終わると、
10時間も20時間も 2日も3日も
食う→トイレ→寝る→食う…のエンドレスリピートが続くところなんでやんすが、
先週はこの負のスパイラルを抜け出して
メチャ行動的にいろんなことをしました。

おかげで5日間、
本当にムフフで、アハハで、超ハッピーなホリデイを過ごせて
思わず「労働に感謝」!…いや、それは違うが(でもある意味ではそう)。

一番素晴らしかったのは、自分がいろいろと上達していく感じを
久々に実感できたこと。
高校でバスケ部に入って以来、かもしれない。

まず、料理。牛スネ肉のいちじくワイン煮が、3回目にしてやっとうまくできた。

そしてダーツ。生まれて初めてやったんですが、
そのときの先生が、教えるのがとても上手な方で(行きずりの40代クリエイター)。
最初は的に当てるだけでもひーこらだったのが、
5時間後には「真ん中だ」「20のトリプル狙え」みたいになってました。

次の日、昼過ぎに起きたら思いっきり青空だし。

カレンダーも3月だし。

今年もやってきた、春。
毎日いろんな出会いに、ウズウズです。
本当に、かめやにはまだ知らない楽しいこと美しいものが
目の前にザクザクあるんだなと思って、嬉しいっ!!!!!

謹賀新年

2011-01-17 10:13:52 | かめや雑記
皆様、新年あけましておめでとうございやす!

ご挨拶が遅くなってしまって、まっこと恐縮です…。

今年こそは物臭かめやの汚名を返上できるよう、精進して参ります!
どうか本年もご愛顧戴けますよう、宜しくお願い致しやす。

さて(とか言ってサクッと話題を切り替えようとしてるみたいですが
決して自分のしたことをなかったことにしようとしてるワケではないんです…ホントです…)
今年は、新年早々ドキッとすることがありやした。

ある偉い方に
「欲張ったり、調子に乗りすぎたりせず
常に平常心を保ち続け、
自分の器に合わないことは決して手を出さず、
下準備を怠らないように」と…
もろ図星な忠告を受けたでやんす。

か、神様、
一体どこで見てたんでやんすか!?

(注:おみくじの話です)

これは有り難い戒めとして、深く心に留めておかねば!と思う一方で、
今の自分が「常に平常心」で達成できることや、
今の「自分の器に合った」ことを想像して、しばらく頭を抱えてやした。

家人の姉夫婦には一歳の娘がいるのですが…
いやぁ、その両親や祖父母に与えるインパクトの
なんと大きなことか!
あそこまでとは言わないまでも、
せめて子を産んだり育てたりしないんなら
それに匹敵する生産性を上げねばならないんじゃと思ったんでやんす。

そのためには少しは「平常心」を捨てて、「自分の器」に合わないことにも挑戦していかねばと思うし、

ただ「調子に乗りすぎ」て「下準備を怠る」ことだけはないように働こうと、
改めて初心に返った次第でやんす。

な、なんか、難しい理屈をこねくりまわしたカッコ悪いエントリになってしまったからこの辺でおしまい!

Are we ready to end?

2010-12-20 23:20:35 | かめや雑記
昨日、NHK「週刊こどもニュース」の最終回でした。

かめやが東京へ異動してきて最初に配属になった番組が「週刊こどもニュース」で、
当時は右も左も、イエスもノーもわからないような有り様で、
なのに一人で焦って舞い上がって、全然ダメなまま放送前夜を迎えたことがよくありました
(勿論、そんな晩はみんなで頭を抱えるワケですが…)。

観る側から作る側に変わって一番ビックリしたのは、
こんなに作って伝えるということは難しいのかということ。

おそらく5年以上経った今やっても、きっと同じように七転八倒するんだろうなと思います。

けど、だからこそ、できることならいつか「週刊こどもニュース」にカムバックして、
当時の至らぬ振る舞いや仕事ぶりを挽回する位の面白い番組を作りたかったでやんす…

そして、お世話になった皆さん、
迷惑かけても最後まで付き合ってくださった皆さん、
いつも大きな笑顔で(苦笑まじりにでも)励ましてくださった皆さんに、
少しでも恩返ししたかったです。

無力感のせいか、最終回の手ふりカットはいつもよりも長く感じやした(いや、多分ホントに長かった)…

皆さん、本当に、お疲れさまでございました。