何度も来ていただいていた方には申し訳ないと思いつつ
更新がしばらくできませんでした。
ごめんなさい。

画像は菩提樹の雑記帳より拝借しました。
7月15日深夜未明。
ココでよく登場する愛知県長久手町にある
芸術館cafe菩提樹
のオーナーであり、あたしの大切な友人でもある大島千佳さんが
クモ膜下出血のためお亡くなりになりました。
倒れられる10分前までピアノを弾いておられ(最後の曲は「美しき青きドナウ」だったそうです)
いつも音楽に囲まれていた彼女らしい最期。
知りあってから15年分の思い出が
涙とともに溢れだし、どうすることもできず
この数日、ただただ泣いていました。
二人で世界地図を広げ空想世界旅行に何度も出たっけ。
時には料理を持ち寄り、二人で食卓で世界旅行。
ここ数年は大抵彼女の淹れたコーヒーがお供。
コーヒー一杯で何時間もいろんなことを語り合ったっけ。
実際には保育園のお迎えがあったのでタイムリミットありでしたが
それでもギリギリまで喋り続けてました。

戦争や紛争で罪のない子供たちが命を落としたり傷つくのに心を痛めていた彼女。
今はその子供たちを集めピアノを弾いていたりするのかな。
それとも自由になった貴女の魂は
愛するあの場所、あの街、あの人
気になると言っていたあの場所、あの国
自由に飛び回ってるのかな。
サヨウナラ。
は言わないよ。
いつかきっと、貴女とはどこかで会える
そんな気がしてるから。
また会えたら、また色んな話をしようね。
沢山のことをありがとう。
そして安らかにお眠りください。
また会う日まで・・・
更新がしばらくできませんでした。
ごめんなさい。

画像は菩提樹の雑記帳より拝借しました。
7月15日深夜未明。
ココでよく登場する愛知県長久手町にある
芸術館cafe菩提樹
のオーナーであり、あたしの大切な友人でもある大島千佳さんが
クモ膜下出血のためお亡くなりになりました。
倒れられる10分前までピアノを弾いておられ(最後の曲は「美しき青きドナウ」だったそうです)
いつも音楽に囲まれていた彼女らしい最期。
知りあってから15年分の思い出が
涙とともに溢れだし、どうすることもできず
この数日、ただただ泣いていました。
二人で世界地図を広げ空想世界旅行に何度も出たっけ。
時には料理を持ち寄り、二人で食卓で世界旅行。
ここ数年は大抵彼女の淹れたコーヒーがお供。
コーヒー一杯で何時間もいろんなことを語り合ったっけ。
実際には保育園のお迎えがあったのでタイムリミットありでしたが
それでもギリギリまで喋り続けてました。

戦争や紛争で罪のない子供たちが命を落としたり傷つくのに心を痛めていた彼女。
今はその子供たちを集めピアノを弾いていたりするのかな。
それとも自由になった貴女の魂は
愛するあの場所、あの街、あの人
気になると言っていたあの場所、あの国
自由に飛び回ってるのかな。
サヨウナラ。
は言わないよ。
いつかきっと、貴女とはどこかで会える
そんな気がしてるから。
また会えたら、また色んな話をしようね。
沢山のことをありがとう。
そして安らかにお眠りください。
また会う日まで・・・











お友達が亡くなられて・・・でにさんの心も涙でいっぱいですね。
きっと天国で楽しくお過ごしだと思います。お友達にまた会える日までニコニコのあんねでがんばりましょうね。
彼女がつなげてくださそうとしていた方が何人かいらっしゃるのですが、その方たちと彼女亡き今色々お話しさせていただいて、ようやく少しずつですが元気が出てきたところです。
いつまでもウジウジしてるのは彼女は好きではないので、そろそろ自分を取り戻さないとね!
Aleynacigim さんのこと、きっと天のどこかで見守ってくれています。彼女が生きれなかった分も、Aleynacigimが、幸せな人生を送ってください。
「二人で世界地図を広げ空想世界旅行に何度も出たっけ。
時には料理を持ち寄り、二人で食卓で世界旅行。」
私も、世界の写真集みたいな分厚い本を開けて、一人で空想にふけっていたことがあります。一緒に分かち合える友人がいたということは、祝福ですね。
これからも、ブログ読ませていただきますね。
故、大島さんに心から感謝して、、、
どうお返事したらいいのか、考えているうちに時間が経ってしまいました(汗)。
彼女が残してくれたもの、教えてくれた大事なことがあたし達の中で生き続けることで彼女も生き続けていく・・・そう思いました。
一緒に行こうと約束していた国や場所へ、いつか一人でも行ってみようかと思います。
わたしは大島千佳さんがお亡くなりになった事すら今日初めて知った薄情な友人です・・・。
お父様からの寒中見舞いで千佳さんの訃報を知る事になりました。千佳さんとはウィーンの語学学校で知り合いました。当時若かったわたしにとっては本当に大好きなお姉さんでした。
帰国してからも時々しか連絡は取れませんでしたが本当に色んな話をしました。
毎年必ず年賀状を下さっていた千佳さんから連絡が無く心配していたのですが・・・まさかこんなことになっていたとは目の前が真っ暗です。
先程まで泣いていました。
千佳さんとの想い出が蘇り、あの優しい話し方でウィーンでの想い出を語ってくれた千佳さん、日本に帰ってからは数回しかお会いできなかった千佳さん、お店を始めたと聞いて一度は遊びに伺いたかったのに毎日忙しくて中々実現しなかった事を思い出し涙が止まりません。
もう半年も前に天国に行ってしまわれたのに何も知らなかったわたしを千佳さんは許してくれるでしょうか?
ウィーン時代の友人達には大変遅れましたがわたしがメールや手紙でお知らせします。
亡くなった日の早朝、妹さんから連絡をいただいたあたしもいづみさんと同じように泣き続けていました。今でもふと思い出しては涙が出そうになりますし、クリスマスのイベントに参加したのですが、大島さんの姿が見えないことが悲しくて悲しくて、半年も経つのに、まだ現実を受けれられないでいる自分に驚きました。
でも大島さんなら、こう言わないかしら。
「しょうがないじゃん、だってこうなっちゃったんだから!」
笑顔で天国で待っていてくれるような気もしますし、自由になって大好きなウィーンを散歩してるんじゃないかな、とか、輪廻というものがあるならば、縁があったあたし達は、また会えるんじゃないかなって・・・。
葬儀の日、弔問客の間をキレイな蝶が一羽ヒラヒラ舞っていました。まるでみんなに挨拶をするかのようにヒラヒラと軽やかに。その華麗な姿が忘れられません。
大島さんのことになると、いまだにどうお返事させていただけばいいのか、分からなくて心がグラグラしてしまうので、まとまりのないお返事でごめんなさい。