「なんだこの野郎!」の向こう側

2017年12月14日
僕の寄り道――「なんだこの野郎!」の向こう側

“つまずきやすさの原因のひとつは視覚に頼りすぎることにより、思い込みという情報を信頼しすぎることにあるかもしれない。物にでも心にでも、人は自分自身に蹴つまずいている。昨日の夕方も、買い物に出た本郷通りの歩道で敷石に蹴つまずいて転びそうになった。歩道の敷石にある段差を注意して見ていなかったというより、均一に敷き詰められた歩道の敷石に段差などあるはずがないという思い込みが、わずかな出っ張りにもつまずかせたのだろう。本郷通りの歩道では植えられた街路樹のイチョウが元気に根を張って、あちこちで敷石を持ち上げている。”(2017年11月21日「つまずきと転倒」

……と日記に書いた。そうしたらやっぱり本郷通りの歩道にできたわずかな膨らみ、敷石の段差に蹴つまずき、「タタッ」とたたらを踏んで転びかけつつ踏ん張ってこらえた若者がいた。笑ってはいけないとこっちもこらえながら「やっぱりね」と思う。若者ですらこうなので、このわずかな出っ張りで転ばされている老人が多いのではないか。

転びかけて危うく踏みとどまった若者は「なんだこの野郎!」と言うような顔をして後ろを振り向いていたが、そこにはただ風が吹いているだけ(追悼:はしだのりひこ)。自分が自分の思い込みを裏切る敷石のかすかな盛り上がりに転ばされかけたことに気づいただろうか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

柿の色

2017年12月13日
僕の寄り道――柿の色

子どものころ色の名前はクレヨン、クレパス、不透明水彩絵の具に書かれた名前しか知らなかった。それらは「やまぶきいろ」とか「だいだいいろ」とか、暮らしの中で連想できる平易な言葉で書かれていた。

学校でポスターカラーを使うようになって、しゃれた色名がいろいろあることを知ったが、社会人になると色との付き合いも仕事となり、インクメーカーの色見本番号や、プロセスインクの掛け合わせパーセンテージを使うようになり、色名を口にする機会が減った。

介護用品メーカーの仕事をしていたらサックスブルーという色名が登場したが聞いたことがない。のちになって調べたらドイツザクセン地方の藍染にちなむ色名がザクセン青で、どうやらそれを薄めた色を指していたのだった。子どもの頃、女の子のピンク色に対して男の子に水色のパジャマが用意されていたが、ちょうどあんな色で、ジュビロ磐田のチームカラーがサックスブルーだという。

なかなか覚えられなかった色にカーキ(Khaki)があり土埃(つちぼこり)を意味する。最初にカーキで食べ物の柿を連想してしまったのが原因らしく、思い浮かべるカーキは柿の画像に張り付いて間違ったままだ。ベージュと聞いて人が指し示す色にばらつきがあるように、カーキを検索するとネット上にはさまざまな人それぞれのカーキ色がある。

毎年新潟と北海道の友人そして妻の義姉に静岡の極早生温州ミカンを送っているが今年は気ぜわしさにとりまぎれて送り忘れた。いっぽう貰い物は例年リンゴが多いけれど今年は柿を何度もいただいた。

夕食の準備ができるのを待つ間に柿をむいておくと食卓が華やぐ。テーブルの真ん中に柿の色があると心に明かりが灯るようだと好評なので、貰い物を食べ終えてしまったあとも柿を買って帰り、毎日ひとつずつむいて明かりを灯している。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

その日暮らしと眠り

2017年12月12日
僕の寄り道――その日暮らしと眠り

読書量が増えたのは電子書籍のおかげで、読書時間が増えたのは毎日 21 時就寝という早寝が習慣となったおかげである。早寝をすると早起きになるので、すっきり目が覚めた早朝、寝床に入ったまま手のひらのスマホで本を読むというささやかな楽しみが生まれる。

そういう早寝早起き習慣が身についたのは老人と同居して在宅介護をしていたからで、みんなお父さんお母さんのおかげです…ということにしている。譫妄(せんもう)じじいだった義父は真夜中に騒ぎ出すと家族を叩き起こして朝まで寝かせないので、寝られるときに寝ておこうというのが唯一の防衛手段だったのである。

アマゾン奥地に住むピダハンは危険から身を守るため「寝るな、ヘビがいる」と言って熟睡せず、そのかわりしょっちゅう転寝(うたたね)しているという。寝られるときに寝ておこうという生活の知恵であり、イヌやネコなどの動物も寝られるときに寝ておこう主義のように思われる。

一度かぎりの人生だ、起きていられるときに起きて遊んでおこう主義は現代人に特有な病いなのではないかと、イヌネコが好きで寝られるときに寝ておこう主義者の夫婦は思う。いつでも寝られるように外出をせず家にいて、夫は眠くなるまで本を読み、妻は鍵盤を叩いて音と遊んで、とりあえず親の看取りが終わるまでそんな暮らしをするだろう。多分昔の人はそんな暮らしのうちに一生を終えて永眠していたのだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

冬の苔玉

2017年12月11日
僕の寄り道――冬の苔玉

2015 年 12 月 29 日にわが家にやってきた南天の苔玉は苔が死滅してしまったのでその縛りを解き、2017年春から鉢植えになったがいまも元気に暮らしている。苔玉売りの仕立て方が良かったのか、そもそも南天がそういう性質なのか、二年経ってもあまり大きくならないのも気に入っている。

7 月 18 日にビー玉くらいの雹が叩きつけるように降って以来、過保護にして室内に置いていたけれど、いつまでも甘やかしておけないので外に出してみた。二年前の 12 月も寒風の中で売られていたのだ。

東京も 0 度近くまで冷え込む朝になったので心配したが、室内に置いていた時より元気で新たな芽を出してたりしている。そもそも寒いなどという感覚がないのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「にんき」と「ひとけ」

2017年12月8日
僕の寄り道――「にんき」と「ひとけ」

未明に目が覚めて所在ないので布団に入ったまま「人気のない」と書くところを「人気(ひとけ)のない」と書いたスポーツ記事をネットで読む。

「にんき」も「ひとけ」も「人気」と書き、「にんきがない」と読まれたくないので振り仮名を括弧付きで添えたのだろう。「ひとけ」と読まれたいが「にんき」と読まれたくない、もしくはその逆が書き手の希望としてあるからで、どちらも同じ漢字表記の「人気」なので困っちゃう(山本リンダ風)

千駄木の「薮下通り」

「ひとけ」と書いて「人気」と変換されて表記選びに困っちゃうことは自分にもある。どうしようかと迷うときは「にんきのない」を「人びとに気受けしない」、「ひとけのない」を「人の気配もない」と字数が増えるのを厭わずひらいた書き方にするのが好きだ。ひらくことで「人気(にんき)」という現象の仕組みや、「人気(ひとけ)」が現象の感じ方であることが明らかになってくる。

で、こうやって「にんき」も「ひとけ」も「現象」にかかわることであると書いてみると、明らかになったところをさらに突き詰め、現象というむずかしい言葉の中身もひらいてしまいたくなる。現象である「気受け」とか「気配」の「気」って何だろうということになるわけで、このところ「氣」について書かれた本を読んでおり、これがえらくおもしろい(…というところにひとまず落とす)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

視線と壁のある坂道

2017年12月7日
僕の寄り道――視線と壁のある坂道

この坂道沿いには警備の警察官が多く、いかがわしい者を見るような視線を投げかけてくる。ずいぶん前のことだけれど、秋は並木が綺麗なので写真を撮っていたら職務質問されたことがあり、何を撮っていたのかと聞くので
「街路樹がきれいなので」
と答えたら、無線機で
「えーー、(ガーガー)紅葉が綺麗なので写真を(ガーガー)撮っていたと(ガー)言っています(ガー)」
とか報告をし、背負ったカバンを開けさせられ中身を見られた。

昨日も写真を撮っていたら、最近テレビで気になる政治家のボディガードのような目つきで睨まれた。切り通しにしてもひどく切り立った壁であり、どうしてあの坂はいつも嫌な視線を感じるのだろうと思い、帰宅して何があるのか地図を確認したら首相官邸だった。そうかこんな場所にあったのか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

上総と下総

2017年12月7日
僕の寄り道――上総と下総

当たり前の話だけれど考えたことがないから知らないということが多い。考えてみれば「あ、そうか」と思うことなのだけれど、考えるきっかけに恵まれないだけだ。知らないことを考えるきっかけは内部ではなく外部からやってくる。

この夏に経験した「あ、そうか」のひとつに、北を上にして描かれた地図上で、なぜ上総(かづさ)が下総(しもうさ)の「下」にあるのかという疑問とその答えがあった。知っている人は知っていて当たり前のことでも、考えたことがないので知らないまま人生が終わった可能性が高い。

この夏は東海道由比宿を歩き、東海道本線を往復しながら山川菊栄『わが住む村』を読んだ。菊枝が暮らした神奈川県鎌倉郡村岡村、現在の藤沢市内より東の東海道について考える機会があり、東海道に三浦半島の走水(はしりみず)の地名が出るので意表を突かれた。

地下鉄南北線から地上に出た溜池山王

徳川幕府成立とともに整備された東海道ではなく、古代東海道は藤沢あたりを過ぎると三浦半島へ南下し、走水から海を渡って房総半島富津(ふっつ)あたりに海路でつながっていた。そこから再び陸路を北上して下総に向かったわけで、古代東海道によって京の都に近い下の方が上総、遠い上の方が下総になるわけだ。

上総一宮藩について調べて来られた市井の研究家が本をまとめられるのでお手伝いすることになり、第一回目の打ち合わせで霞ヶ関に出かけた。編集を担当する友人に会うので、
「そうそう、恥ずかしながらこの歳になるまで知らなかったんだけど上総と下総って……」
という話をしようと思っていて忘れたまま帰って来た。

打ち合わせを終えてふたたび溜池山王へ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カレー南蛮百連発:047 本駒込松月庵のカレー丼

2017年12月6日
カレー南蛮百連発:047 本駒込松月庵のカレー丼

大学生となって上京した頃の東京では、まだインド人が作る本格カレーを食べさせる店が少なくて、口コミを聞いて遠くまで出かけたものだったが、最近ではインド人が営むカレー屋が乱立して珍しくもなんともなくなった。

そのかわり、いかにも家庭風な手づくり日本カレーを食べさせる店が少なくなった。メニューの端に「カレーライス」と書かれている喫茶店、ラーメン屋、蕎麦屋のカレーは妙に粘っこくて胃もたれし、専門カレーショップでさえひどいものではレトルト臭がする。業務用が市場に浸潤しているのだろう。

決算で経理事務所の人が来ていて昼食が遅くなったので、久しぶりに近所の蕎麦屋へ行きカレー丼を頼んでみた。
「最近はインド人のカレーじゃない日本人のカレーが劣化して、変なカレー屋に入るより蕎麦屋のカレー丼の方が美味しい。ああ、日本カレーっていう感じがする」
と言ったら妻が
「わかる」
と言っていた。その妻は「むじなそば」をすすっていた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「Kバス」で行こう

2017年12月5日
僕の寄り道――「Kバス」で行こう

この夏は編集委員をしている郷土誌『季刊清水』の取材で、清水区由比で運行されている「ゆいばす」に乗って夏の山里を訪ねた。『「ゆいばす」で行こう』と題して原稿を書き、小さなコミュニティバスならではの体験が楽しくて忘れがたい夏になった。

北区王子にある飛鳥山アートギャラリーに大野五郎の絵画が展示されているので見に行った。大野五郎は北区出身の洋画家で「赤羽モンマルトル」の中心的存在だったが、なぜか晩年は八王子にアトリエを移している。北区に在住した文化人の八王子移住といえば田端文士村に居住し、のちに八王子名誉市民になった滝井孝作を思い出す。


無料なので見に行こうと思い立ち、駒込駅前から飛鳥山まで北区のコミュニティバス「Kバス」に乗ってみた。『「ゆいばす」で行こう』は「A列車で行こう」にかけてタイトルをつけてみたのだけれど、こちらの「Kバス」だったらもっとわかりやすかったかもしれない。

かつて王子駒込間は都営バスが運行されていたが、地下鉄南北線開通と前後して廃路線になってしまった。当時都営バスの路線縮小に関して、そのかわりに地下鉄があるではないかと石原都知事が広報誌に書いていて、この人はやっぱり庶民の暮らしを理解できないのだなとがっかりした。

地下鉄南北線の駒込駅王子駅間には西ヶ原駅がひと駅あるだけだが、その間には病院もあれば福祉作業所もあり、なにより東京は坂が多い。わずかひと停留所区間の足欲しさに、寒風の中でバス待ちするお年寄りもいて、車内は身動きできないくらい混み合っていた。これから先のことを考えて都営バス復活も考えて良いのではないか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カレー南蛮百連発:046 飛鳥山さくら亭のカレーうどん

2017年12月25日
カレー南蛮百連発:046 飛鳥山さくら亭のカレーうどん

東京都北区王子の飛鳥山公園。京浜東北線沿いの「あじさいの小道」から石段を登りきった場所に茶店があり、店の名を「飛鳥山さくら亭」という。かつてこの場所には菓子や飲み物を商う売店があって店番のおばあさんがいた。

1960年代の飛鳥山はいまの旧渋沢家飛鳥山邸の場所が通称「カトリック」(★飛鳥山カトリックの由来についてのコメントつき日記)と呼ばれる空き地になっていて、よく忍び込んで野球をした。野球の行き帰りにここで買い食いをしたが、金のないガキ大将が仲間にいて悪いことをして迷惑をかけていた。いじめっ子なので諌める勇気もなく、手に入れたチューインガムをもらったりしたのでいわば共犯である。

飛鳥山アートミュージアムで大野五郎の絵を見た帰りにのぞいたらメニューにカレーうどんがある。まさかあの売店のおばあちゃんの子孫がいまの店主でもあるまいと思いつつ、カレーうどんの一杯でも食べればチューインガムの罪滅ぼしになるだろうと思い、テーブルに座ってカレーうどんを注文した。

注文を受けた奥さんが横に立っていて
「料金前払いでお願いします」
と言うので過去の悪事の片棒担ぎがバレたかのように、飛び上がるほどではないけれどドキッとした。ピリッと辛いカレーうどんだった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ