輪ゴム

2016年8月13日
僕の寄り道――輪ゴム

郷里静岡県清水の葬儀では、斎場に着くと炉前で読経にあわせて焼香し、炉に棺を納めて着火し、控え室で精進落としの折り詰めを食べながら火葬が終わるのを待つ。この夏もそういう葬儀があった。

百歳近くなった伯母は年相応にボケが進んでいるが未だに危なっかしいひとり暮らしをしている。折り詰めが食べきれないから持って帰ると言いだし、近所に住んで見守っているひとり娘が、
「こんな暑い時期にそんなものを持ち帰って食べたら食中毒になっちゃうからやめて!」
と言う。

ようやく納得した伯母が
「わかった、もったいないけど仕方ないね。じゃあ、そのかわりこの立派な輪ゴムを手首にはめて持って帰らせてちょうだい」
と言う。

従姉が、
「せっかく喪服着ておめかししてるのにやめて! 輪ゴムなんかいくらでも買ってあげるから、そんな体裁の悪いことしないで!」
と泣きそうになって絶叫しているので笑った。

それ以来、輪ゴムを見ると、人の生死と泣き笑いを連想してしまい、人間が作ったものの中でもひときわ不思議な道具の一つだなと思う。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
思い出した! (浮雲)
2016-08-15 00:45:51
思い出しました。輪ゴムって、なぜか腕にはめたくなったものです。今も、買って来た箱にぎっしりとつまっているのに、買い物をした袋などにくっついている輪ゴムを捨てられず、大事に残したりしている自分に笑ってしまいます。
 
 
 
とっておく ()
2016-08-15 06:22:08
「もったいない」もよい日本語だけど「とっておく」もいいですよね。
 
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