『驢馬』

2017年5月16日
僕の寄り道――『驢馬』

長野県駒ヶ根出身で元編集者である妻の友だちがいる。彼女から届いた林檎に混じって井上井月(いのうえせいげつ)の句集が同封されていて首をひねった。伊那谷を中心に放浪と漂泊を生きた俳人なので、読むふるさと産品として送ってくれたのだろうと思う。

田端文士村記念館の企画展「“画かき村”の絵描きたち」を観に行ったら、同人誌『驢馬(ろば)』が展示されていて、1926年創刊としては、あまりに垢抜けた体裁の同人誌なので感心した。

詩雑誌。1926年4月―1928年5月,全12冊。驢馬発行所発行。室生犀星のもとに集まった中野重治,堀辰雄,窪川鶴次郎,宮木喜久雄,平木二六らによって創刊された同人雑誌。(百科事典マイペディアより)

近藤富枝『田端文士村』 (中公文庫) を読んでいたら、その同人誌の今で言うロゴは「田端の素人書家空谷山人・下島勲の手になるものだという。室生犀星の弟子(犀星によれば友人)たちによる同人誌に、犀星は毎月三十円出すだけで口を出さなかったが、下島が書いた驢馬の文字を紙面いっぱいにレイアウトしたのは犀星だという。

下島勲は芥川龍之介の最期を書き残した田端の開業医なのだけれど、芥川によって俳人や書家への道を拓かれたともいえる人で、彼はふるさとである伊那で幼いころ井月と親しんだ人だった。

大正九年になると、下島は『井月句集』を自費出版することを思いついた。それは一所不住のために、井月の句はあちこちに詠み捨てられたままになり、捨てておいては散佚する一方であることを惜しんだためであった。(中略)『井月句集』の編集は下島だが、本の体裁、レイアウトの面は、これも すべて龍之介の案によるといってもよろしい。が、中国旅行後の疲労で、芥川は湯河原に静養することになり、いまは創作に専念している瀧井孝作が、 芥川の依頼で万事を代行した。空谷山房刊と奥付に記されたが、いわば田端人がよってたかって手助けした、むしろ田端山房刊とでもいいたいような本が、大正十年十月二十五日に誕生した。 (近藤富枝『田端文士村』中公文庫)

ということで井上井月と驢馬が自分にとってうまく繋がったというだけの日記だ。下島勲書、室生犀星レイアウトだという同人誌『驢馬』をもう一度見たいと思い、昼休みに田端文士村記念館まで行ってきた。「写真撮影はお断りします」とあちらこちらに張り紙がある薄暗い展示室で、仕方がないので手帳を広げて創刊号をスケッチしてきた。


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