電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
寺尾と西倉沢の時計つき掲示板
2017年7月28日
僕の寄り道――寺尾と西倉沢の時計つき掲示板
猛暑の旧東海道由比を歩いていたら声をかけてくれたご婦人がおり、暑いから冷凍庫で冷やしておいたチョコレートをめしあがれと言う。この地域の人は親切なのだ。
ひとついただいて礼を言ったら残りも持って行けと言い、
「どっちの方からいらっしゃった?」
と聞くので
「東京から来ました」
と答えたら
「そうじゃなくて由比と興津、どっちの方からいらした?」
と言うので、ああそうかと思い
「由比駅前から歩いて、これから薩埵峠を越えて興津駅まで歩きます」
と言ったら
「この辺は自動販売機もないもんで、飲み物は用意してある?」
と聞くのでだいじょうぶですと答えた。
ちょうどよいので
「このちょっと手前、寺沢自治会館に入る細道の角に時計のある掲示板がありますね」
と言ったら
「ええ、由緒ある物らしいです」
と答える。
「あの掲示板の脇には《昭和五年十二月》、反対側には《退團記念》って書いてありますけど、いったい何から退団したんでしょう」
と聞いたら
「さあ、私はこの辺の者じゃないのでわからない」
と言う。
「ああ失礼しました、由比の方じゃないんですか」
と聞いたら
「いいえ由比ですけど、ちょっと山の方なんです」
と言う。《どっちの方》や《この辺》が、海岸ぞいの狭隘な地域では尺度が随分違うのだ。
ご婦人に礼を言って別れ、西倉沢まで来たら同じようなコンクリート製掲示板があり、こちらは大正十参年に作られ、裏には由比町西倉澤分團の入団者と退団者の名前が彫られていた。
ああそうか、とやっと謎が解けた。どうやらこの地区では消防団の退団者名と入団者名を刻し、記念として地域に時計つき掲示板を寄贈していたらしい。
こういうコンクリート製の掲示板は、どこか別の地域でも見たことがあるけれど、東京だったか千葉だったか思い出せない。いずれにせよ街灯と時計と掲示板が、地域にとってとても大切だった時代の、ほのぼのとする地域遺産である。
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