集合と風景の手ざわり

2017年4月19日
僕の寄り道――集合と風景の手ざわり

トライポフォビアというカタカナ状の言葉があり、漢字にして固めると「集合体恐怖症」という俗名になる。恐怖症とつくものの俗名なので病気と認められているわけではない。だが人間には病気と認めてもらえないからこそつらい症状というものがある。

プチプチした同じかたちの穴や粒状のもの、その集合した状態を見ると、身がすくみ、鳥肌が立ち、震えがこみ上げるように辛いらしい。そう書いてみると、自分の少年時代にもそういう体験の記憶があるし、妻はいまでもそういうものに身震いして嫌悪感をあらわにする。

近くの公園にある像の遊具

人間にはそもそも、「そういものを恐れて逃げなさい」という、身震いのような注意信号が原初的防衛反応として備わっているのかもしれない。そういう原初的な恐怖をやり過ごす方法を自分で獲得しながら大人になったように思う。いまはもう、やり過ごし方を知っているので、少なくとも他人の前で過剰に反応することはない。

ほとんどの人が自然に獲得する、そういう原初的恐怖への耐性は、さまざまな日常的経験を組み合わせて安全な網目状になっていく。それを「正常な発達」などと言ってしまうから、つらい人はなおさらつらくなる。

肌ざわりや手ざわりについて考えると人間の感覚はますますもって不思議だ。学生時代に買った現代美術における集合の魔術について、こころの構えをかえて読んでみたくなった。現代美術には集合の「魔」を利用した表現技法がある。全集が納戸にあるはずなので探してみる。


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