石をかぞえる

2017年4月1日
僕の寄り道――石をかぞえる

 

雑誌編集会議で清水帰省があったので、早めに出発して三保に寄り道した(3/31)。駿河湾に面した外海側の海岸で、波の音を録音してみたかったからで、そういうことを不意に思いつき、そういうひとり遊びが何歳になっても好きだ。

 水上バスでついた三保の内海側

三保の外海側海岸は丸い玉砂利ばかりで、波が寄せて返すたびにジャラジャラと硬い音を立てる。ここの海岸は波が右から左へと斜めに打ち寄せるので、ジャラジャラの音も右から左へと移動して聴こえる。

 

三保の外海へ通う道

リニア PCM のレコーダーで試し録りしてきたものをステレオ装置で再生してみたらやはりとても面白い。映像なしで音にだけ集中していると、ジャラジャラ音をたてている石の数が数えられそうな気がするのが不思議だ。

三保の外海側海岸

来月はウィンドジャマーすなわち風よけと三脚を持参してちゃんと録ってみようと思う。なぜそういうものが必要かというと三保の外海側は風があって風切り音が入ってしまうから、そしてレコーダーを手持ちして波打ち際に立っていると、時折寄せる大きな波に驚いて後ずさりする足音が録れてしまうからだ。

今回の試し録りでそういうことがわかったので次回はしっかり準備して出かける。


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かもめはかもめ

2017年3月31日
僕の寄り道――かもめはかもめ

清水駅みなと口に出ようとしたら改札から自由通路を通り、延伸された歩行者デッキよって江尻漁港の岸壁まで、産業道路を跨いで降りられるようになっていた。

最初からそうすれば良かったものを、どういう理由があったかは知らないけれど、もたもたすることで町の活性化に対し、長きにわたる多大な損失をもたらしてきたと思う。人は空を飛べないのだ。

仕事に疲れて窓辺に立てば小鳥や鳩やからすが飛ぶ姿を眺めて心癒される恵まれた環境にいる。それでも清水魚市場脇の低空を悠然と飛ぶかもめを間近で観ていると、かもめは翼で風をつかむ名人だなぁと改めて思う。

からすも好きで眺めていて飽きることがないけれど、岸壁に腰掛けてかもめをかまいながら、ぼんやり一日過ごしたらしあわせだろうなと思う。


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三保の掩体壕

2017年3月31日
僕の寄り道――三保の掩体壕

三保は本町より先に行くとからきし土地勘がなくなる。東西南北の方位はわかるけれど、公道、私道、農道についての知識がない。内海側の桟橋に水上バスがついて下船し、外海側の海岸目指して松林の中をひたすら東進した。そうしたらかならず海辺に出ることだけはわかる。

道の脇に古いコンクリート製の構造物が露出しており、これはもしかしたらと脇に回って下に降りたら、やはり第二次大戦中の掩体壕(えんたいごう)だった。

第二次世界大戦中に日本海軍が開発した特攻兵器震洋を格納しておくための掩体壕が三保には残っている。これは有名なものより小ぶりのようで、震洋のためではないにせよ、やはり掩体壕には違いないと思われる。

戦争の悲惨さを語り継ぐ負の文化遺産なのだけれど。特段保存の計画もないようで、粗悪なコンクリートから錆びた鉄筋が露出している。敗色が深まる世界文化遺産構成遺産の三保で、これを作った人たちはどんな気持ちだったのだろうと小石に触れてみた。


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江尻船溜まり時間つぶし

2017年3月31日
僕の寄り道――江尻船溜まり時間つぶし

静岡県清水。江尻桟橋 9 時 10 分発三保桟橋行きの水上バスに乗りそこねたので、次の 10 時 10 分発を待つあいだ、江尻船溜まりを散歩した。この町に住んでいた子ども時代は珍しくもなんともなく、見慣れすぎて意識に上ることもなかった光景がどれも新鮮に映る。

船尾に日の丸を掲げた水産庁の漁業取締船「ながと」が停泊していた。1998 年、清水湾内にあるカナサシ重工で竣工したこの船の総トン数は 499 トンで、500 トンクラスの船はこれくらいの大きさがある。

その先に串木野の第一共進丸が停泊していた。2001 年竣工のこの船も同じくカナサシ重工製で 399 トンある。久しぶりに大きなマグロがベルトコンベアで陸揚げされる風景を見た。

振り向いたら、庵原の山並みの向こうに南アルプスへ連なる山々が見え、まだしっかり冠雪していた。冬でもほとんど雪が舞うこともない温暖な港町だけれど、この岸壁からは雪山が見えたのだなとあらためて気づいた。

しばらく遠い山並みを眺めていたら、江尻桟橋に水上バスが接岸したのが見えたので急いで戻って乗船した。



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竜爪と竜南街道

2017年3月21日
僕の寄り道――竜爪と竜南街道

静岡県清水。「清水に住んでいないのに清水の人より清水に詳しい」などとおだてられつつ笑われたこともあったけれど、いささか清水について知らないことが増えてきた。

お彼岸の墓参りを終え、久しぶりに次郎長通りの魚初に寄ろうと思い、清水駅前バス乗り場で折戸車庫行きを待っていたら、年配の女性から
「ベイドリーム清水に行くにはこのバスでいいんですか?」
と聞かれてエスバルスドリームプラザしか思い浮かばない。バスが発車しそうなので
「すみません、東京から来たのでわかりません」
と答えたら
「私もそうなんです」
と言う。

バスの運転手に聞いたらベイドリーム清水は駒越北で下車すればいいと言う。そうか、野田合板跡にできた大型商業施設のことかとようやくわかった。2011年オープンというから、清水の実家片付けを終え足が遠のいて以降のランドマークだ。

大内新田の墓地で墓参りをし、北街道押切南交差点にできた新しい道に出た。この道はいつか巴川を渡って大坪町へと繋がるのだと思われるが計画の詳細も知らない。その道を渡りながら押切方向を見たらふたこぶ型の竜爪山が真正面に見えた。

100メートルほど西に並行して狭隘な古道である竜南街道があるが、竜爪の南で竜南街道とはよくつけたものだなと思う。竜爪山が民間信仰の対象として賑わった頃は、本当に竜南街道経由で柏尾峠を越えて参詣した人もいたのだろう。(2017/03/19)

【関連する日記】
旧北街道と竜南街道


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保蟹寺山モクレン祭り

2017年3月19日
僕の寄り道――保蟹寺山モクレン祭り

 

お彼岸なので静岡県清水にある曹洞宗保蟹寺(ほうかいじ)に墓参り帰省した。この日は第一回「モクレン祭り」を開催すると寺の護持会から知らせがあったので苗木代も届けたかったからだ。

静岡県立大学環境サークルCO-COによる大内竹林再生プロジェクトで、生え放題になっていた竹林が整備され、十年前、山の斜面に植えたハクモクレンが開花しているという。

大内観音太鼓、餅まき、焼きそば・おしるこ・おむすび・綿菓子や飲み物による接待もあるというので駒込駅5時20分発、清水駅8時50分着の電車で朝食も取らずに出かけたが、予想以上の盛り上がりでびっくりした。大内の人々がこんなに集まったのを見るのは祖父の葬儀以来だ。

一度も姿を拝んだことのないご本尊、蟹にのった薬師如来像がご開帳されているというので本堂に上がって拝見していたら、思いがけない人に会ってびっくりした。自転車にのって偶然通りかかったそうで、蟹にのった薬師如来のお引き合わせで、こちらも初めての対面となった。

 

【関連する日記】2005年11月14日
■ 蟹と帰化人と薬師如来と徐福



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山モクレン祭り

2017年3月9日
僕の寄り道――山モクレン祭り

郷里静岡県清水の寺にわが家の墓があって実母と義父の骨を納めてある。その寺の護持会から檀家総代を差出人とした封書が届いた。毎年届く活動報告かと思ってしばらく放ってあったのだけれど、仕事が一段落したので開封したら嬉しい便りだった。

「10年前に植えた寺の表山のモクレンが、皆様の日頃の手入れのお蔭でとてもきれいに咲き始めました。そこで花を観ながら檀家の皆様と寺との親睦を深め、寺の活動にご理解を深めて頂く為にこの祭りを企画致しました。いろいろな催し物を用意しましたので一日、ゆっくりお寺で遊ぶつもりでお出かけください。」

2005年3月、羽衣橋から眺める巴川。正面に見える山の麓に寺がある。

観光の目玉もない小さな山寺なのでなんの行事もなかったのだけれど、檀家や近隣住民、そして県立大生の応援を受けて新たな祭りを興したらしい。これから増やしたいというモクレン植樹の寄付も募っているので、当日は墓参りを兼ねて参加してみようかと思っている。


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清水8時50分着

2017年2月28日
僕の寄り道――清水8時50分着

編集委員をしている雑誌『季刊清水』の本年度第0回編集会議、別名反省会があったので清水に日帰り帰省した。特集「清水と宗教の関わりを探る」の巻頭で全体を牽引していただいた舞鶴高専教授吉永進一先生を囲んでのランチパーティ形式となった。

いつも通り早起きし、小田原まで小田急を使って帰省した。通勤だけでなく通学客もいる東海道線に乗り越え、朝日に映える海を見ているとあれこれ湧き起こる感慨がある。一緒に海を見ていた児童にも児童なりの感慨があるのだろう。

小田原駅を出て根府川あたりを通過中

●駒込

|  5:20発
|    JR山手線(内回り)[池袋方面行]17分
|  5:37着
○新宿
|  5:46発
|    小田急小田原線(急行)[小田原行]1時間27分
|  7:13着
○小田原
|  7:18発
|    JR東海道本線(普通)[沼津行]47分
|  8:05着
○沼津
|  8:08発
|    JR東海道本線(普通)[浜松行]42分
|  8:50着
■清水(静岡)

 

エスパルス通りの床屋さんに教えてもらった、意外にウッディな桜橋橋梁裏

8時50分に清水駅に着き、改札を出たら桜橋「櫻珈琲」の神戸秀雄氏が迎えにきてくれていたので喜んで拉致され、「櫻珈琲」店舗裏の談話室で正午近くまでビールを飲みながら歓談した。あれこれ前年度のできごとをまとめ、明日から始まる新年度に向けて心のネジを巻いた。

 

桜橋駅ホーム

昭和六年竣工の桜橋橋梁下がたしかに板張りであるのを確認し、桜橋駅から静岡鉄道に乗って新静岡まで出た。


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四十数年振りの現像

2017年2月9日
僕の寄り道――四十数年振りの現像

高校で写真部員だった頃は ASA(ISO)400 のモノクロフィルムを 6400 まで増感現像し、早いシャッターが切れるよう感度を高く設定して使っていた。高校生がカメラをぶら下げて町歩きするには、登校前か下校後の薄暗い時間帯しかなかったからだ。

ピント合わせはもちろん、露出もシャッタースピードと絞り操作による手動なので、露出に失敗したフレームがたびたび発生し、ネガフィルムを見ると露光オーバーだと真っ黒、露出不足だと真っ白になっている。それらのフィルムもすべてフィルムスキャナを使ってデジタル化してある。

高校時代、1970 年から 73 年までの写真を整理しながら、ふと思いついき Photoshop を使って露出失敗の写真が救済できるか試してみた。露光不足で真っ白(スキャンしたデータは反転しているので真っ黒)なフレームは難しいけれど、露出オーバーで真っ黒(スキャンしたデータは反転しているので真っ白)なフィルムを、明るさとコントラストを組み合わせてレベル調整すると、写っているものが判別できることを主眼とすれば、かなり救済できることがわかった。こんな真っ白なスキャンデータにも画像情報はちゃんと記録されている。

高校生にとって高価な印画紙を使っての救済は現実的でなかった。それゆえ思いつきもしなかったのだけれど、パソコン暗室なら簡単にできるとわかって感動した。これは静岡県清水市のさつき通り。左のペブシの看板に「さくら」とあるのは東映映画館のさくら劇場。左の道へ折れれば清水市役所、通りを渡った右側には花菱百貨店、道路には清水市街線の路面電車が走っていた。その歩道を外国人カップルが歩いている。

 

よくこんな写真を撮ったな、高校生なのに意外に度胸があったんだなと驚いた。なにしろ撮影して以来、昨日初めて見た写真なのだ。四十数年振りにコンビュータを使って現像し直したことになる。


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江尻より一本松遠望

2016年12月12日
僕の寄り道――江尻より一本松遠望

清水駅前から見た帆掛山(標高304m)山頂の一本松公園。コンパクトカメラの望遠でのぞいたら東屋の屋根もしっかり見えた。

「やぁ見えた見えた」
というだけの他愛ない写真だけれど、かつてはこういう山頂の木が海の人々の目印になったわけだ。

白黒写真は大正時代の帆掛山一本松。

駿州大内観音鷲峯山霊山寺
東海の絶佳地大内観音山上名木一本松並に富士の遠望

と写真注釈にある。



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夕焼けの見え方

2016年12月12日
僕の寄り道――夕焼けの見え方

静岡県清水駅前から見た 12 月 8 日の夕焼け。東京で見慣れた夕焼けとは違う、いかにも清水らしい、多感な時期に見慣れた故郷の夕暮れと感じたので何枚も写真に撮った。

そして帰京し、数日のあいだ思い出すたびに眺めているが、なにが東京で見慣れた夕暮れと違うように感じさせたのかがわからない。こういう遠景の夕暮れがあって、その手前に飛蚊症のように影となった前景の雲がある夕焼けが、いかにも清水らしいような気がするけれど違う気もする。

おそらく気分の問題にすぎなくて、とるにたらぬ気分が一直線に揃ってビンゴになっているのだろう。こうして気分の問題にひどく引っかかってしまうのがふるさとの魔法なのかもしれない。そんな甘ったるい夕暮れだったのでいちおう日記に付け加えておく。


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庵原の杉山青年夜学校

2016年9月29日
僕の寄り道――庵原の杉山青年夜学校

郷里静岡県清水庵原地区でいまも「しんめいさん」と呼ばれて語り継がれる殖産家がいて片平信明(かたひらのぶあき1830-1898)という。貧しい山村では油桐(あぶらぎり)別名毒荏(どくえ)と呼ばれる木を育て、実から油を絞って売ることでかろうじて生計を立てていたが、油の輸入で売り上げが減って村は困窮した。

名主であった片平は茶の栽培をすすめ、一方自宅納屋の二階で青年の夜学校を開いた。明治9年柴田順作の指導で杉山報徳社を設立、明治14年には柑橘栽培を導入して産業の振興につとめ、明治21年夜学校を建てて青年勉学の道場とした。山の人々が街場の人に搾取され続けないためには、勉学こそが生きるための武器であった。

編集委員をしている戸田書店発行『季刊清水』の取材のため、9月29日(木)その杉山青年夜学校を見に出かけた。清水駅前9時30分発のしずてつジャストラインバス庵原線吉原行きに乗り杉山バス停で下車すると、老人憩いの家として活用されている校舎は川沿いの道路脇にあった。

杉山青年夜学校。左端、二宮金次郎像の後ろにあるのが油桐

バス停の時刻表を見ると吉原終点で引き返してくるバスは10時25分に杉山を通過し、それを逃すと14時20分まで清水行きバスはない。あわてて校舎周りの写真を撮り、清水駅売店で買った稲荷寿司で遅い朝食にした。いまだに報徳思想を忘れない庵原の人々のような二宮金次郎像があり、その見つめる道の先へと無人でやってきたバスに乗って引き返した。


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人をおこす

2016年9月7日
僕の寄り道――人をおこす

9月7日、郷里清水の友人からいわゆる「町おこし」系の人を紹介され、最近は「いわゆる町おこし系」の人たちが好きではないのだけれど、前もって資料のビデオを送ってもらったら、からだを張って「自分起こし」をしているので会ってみる気になった。午前8時1分駒込発の日帰り帰省である。

打ち合わせを終え、江尻船溜りで見上げた空

戦後すぐからある割烹料理店で、中高生の頃はお呼ばれで何度か行ったことがある店、その三代目にあたるという。
「町おこしとは人を助けることだ」「協力してくれる住民ひとりすら幸せにすることもできずに地域活性化だの町おこしだの、片腹痛い」などと西部邁が書いたことを改ざんしながら「いわゆる町起こし系」の人の悪口を散々言ったら、そうだそうだと気があうので、できるだけのことは手伝わせてもらうことにした。清水帰省の楽しみがまた一つ増えた。


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禅寺の先生

2016年8月20日
僕の寄り道――禅寺の先生

静岡市清水区横砂中町にある医王山東光寺で夏休み子供坐禅会を開いている副住職は若い。学生時代を過ごした神奈川の大学で知り合った女性と結婚し、夫婦で協力しながら子どもたちの世話をしている。副住職は学校で6年間理科を教えていたそうで、奥さんの描いたイラスト入り禅教材がたくさん置かれているのを見ても、二人の教育にかける熱意が伝わってくる。

猛暑なので子どもたちの給水と休憩タイムが何度かあり、その間にぶらぶら境内を歩いて眺めていたら、彫られた名前に見覚えがあるので、
「ひょっとしたら先代住職、おじいさんにあたる方は校長先生をされていませんでしたか?」
と聞いてみたらその通りだと言う。
「実は清水市立第二中学校在学中、三年間校長先生だったのがあなたのおじいさんです」
と言ったら驚かれていた。ご健在かと尋ねたら十数年前に他界されたという。

夏休み子供坐禅会に参加している少女でひときわ利発そうな子がおり、何をするにしても気が利いているので写真を何枚も撮った。あとで知って驚いたのだけれど、その子は副住職夫婦の子どもであり、あの校長先生の曾孫だった。校長先生がこの仲の良い孫夫婦と、闊達な曾孫の顔を見たらきっと喜ばれることだろう。


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息と観察

2016年8月20日
僕の寄り道――息と観察

郷土誌の編集委員を一緒にやっている友人が、静岡市清水区横砂中町にある医王山東光寺で開かれている夏休み子供坐禅会を取材するというので、カメラをぶら下げて出かけて行き興味本位のアシスタント役をした。

子どもたちに混じって正座をする機会が何度かあったが、正座など数年に一度するかしないかのことになってしまい、一分も経たないうちに筋肉が悲鳴をあげるので、写真を撮るふりをして立ち上がり、なんとか半日をやり過ごした。

正座はしないけれど、毎日未明に目をさますとじっとして目を閉じ、自分の呼吸に集中し、集中している自分の状態を観察するようにしている。病気のとき自然にそうしている自分から学んだ。人にとって最も大切なのは息と観察だとつねづね思っている。

息が整った状態を観察しているように座禅を組む子どもたちを、外側から観察しているだけでありがたくて、実はそういう観察にも座禅を組んでいるような効果があるかもしれない、などとと言い訳をするようにカメラのシャッターを切りながら本堂内を歩き回っていた。


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