standstill 30 minutes 停止 30 分間

2017年5月6日
僕の寄り道――standstill 30 minutes 停止 30 分間

去年も一昨年も、連休中は特養ホーム入所中の義母が発熱して病院に入院していた。連用日記をつけ始めてもう四年になるので、毎日その日の日記帳を開くことで、大きな年周期、繰り返しとしての人生が風景としてひらけてきた。

2002 年から続いている義母の介護を縦糸とし、それに翻弄されるように右往左往して過ごす妻と自分の日々が横糸として織られていく人生の布地に、周期性がおりなす模様として人生の風景が見えている。

「かあさんもそうだけれど、人間って毎年おなじ次期におなじようなものを食べ、おなじような人に会い、おなじような出来事で泣き笑いしてるんだね」
と二人で読みかえして笑っている。お百姓がつけている連用日記にも、そういう年周期によって織りなされる風景が広がっているのだろう。

妻が趣味で手作りしている 20 弁オルガニートの手回しオルゴール、その録音と編集を手伝っていたら、目を閉じるようにして聴く音だけの世界、そのおもしろさに心の目が開いた気がしている。

この小さな録音機を持って、いま生きて感じられているこの世界を記録し、いつでも繰り返し再生できたらどんなにいいだろう。そう思っているうちに今年も黄金週間が巡ってきた 。

折りよく郷土誌の編集会議、そして思いがけない友人との別れが出来(しゅったい)し、二度の帰省があったので、水上バスで波打ち際まで行き、海辺で三十分間立ち止まって音を採集してきた。

黄金週間のこりの日々、妻は毎日淡々と母親の元に通い、自分は掃除と片付けをしながら、録音してきた波音を編集している。

 われわれは幾度となく郊外を散策し、注意の程度はさまざまであるにせよ、樹々や湖沼を、牧場や畑を、丘や家々を、光と雲とのめまぐるしい交替を見ている。しかしわれわれがこの一つの対象に注目していたり、あるいはこれとあれとを合わせ見ているかぎり、「風景」を見ているという意識はまだ生じない。それが生じるには、視野に映じる個々の内容がもはやわれわれの意識を把えていてはいけないのである。個々の要素を超えたところに、それらの特殊な意味と結びつきもせず、またそれらから機械的に寄せ集められたのでない、一つの新しい全体を、統一的なものを、われわれの意識は所有しなければならない。かくしてはじめて風景はうまれる。 (ゲオルグ・ジンメル『風景の哲学』杉野正訳)

録音機が収集した音に耳を澄ますと、無音の空隙(くうげき)は想像するより遙かに少なく、思いがけないほど多くの名付け得ぬ音の断片で満たされている。それらの全体が、心の中で次第に風景の体を成してくるまで、三十分というのはちょうどいい時間単位なのではないかと思う。

そしてそういう、人生を風景として眺めうる聖なる諦観を身につける練習として、この三十分間がちょうどよく心地よいのではないかと自分では思っている。

清水の海辺で採集し「standstill 30 minutes 停止 30 分間 採集、風景化以前の世界のために。」と名付けた音の手づくり CD ができあがる。脚色も加工なし、ただの波音と言われればただの波音にすぎない。
「本人がひとりで面白がっているので、どんなものだか聴いてみたい…と思われる奇特な方には差し上げます」
と告知したら聴いてやろうという嬉しい便りが届いている。


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転石角をとどめず

2017年5月2日
僕の寄り道――転石角をとどめず

郷里静岡県清水、駿河湾に面した三保の波打ち際では小石が夜も眠らず転がり続けている。

ザッバーーーンと寄せた波がザーーーッと引くときにする、カラカラカラカラと小石が転がる音が好きだ。波に揉まれて角がとれるため、柔らかめの石はずいぶんと丸い姿をしている。そういう三保の丸い石が好きだ。

息子さんが船員を目指して三保の地で学んでいた友人は、三保を訪れるたびにその丸い石を拾っていた。新潟にあるその友人宅を訪ねたら、拾って帰った丸石が庭の隅に、大切そうに敷き詰められているので呆れつつ感心した。

そこまでして石に愛着する気持ちをはかりかねていたのだけれど、拾いたくなる気持ちはその日の心境にもよるのだろう。

4 月 30 日は妙に足元の石が気になり、気にいったのを見つけるたびにポケットにねじ込み、そのうちポケットに入りきれなくなって、三保本町のコンビニでもらったビニール袋に入れてホテルへ持ち帰った。

友人の通夜と告別式が終わり、帰り支度をしてリュックサックを担いだらずっしりと持ち重りがする。葬儀の返礼品と、友人たちにもらった手土産と、拾った石の分だけ重たくなっているのだ。

石のように転がって東京まで帰れたら楽だろうなと思う。新潟の友人は重さに唸ることもなく、石を自動車に積んで帰ったのだ。突き詰めていえばモータリゼーションとは人が石ころのように転がって楽をすることなのかもしれない。


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内と外2

2017年4月30日
僕の寄り道――内と外2

4 月 27 日帰省して録音した内海と外海の波音。編集会議とその打ち上げを終え、静岡駅新幹線ホームに立ってメールチェックしたら、清水の友人が亡くなったという訃報がとどいていた。二歳年上なのでまだまだ若く、突然の知らせでびっくりした。結局、4 月 30 日の通夜、5 月 1 日の告別式に参列するため清水に引き返すことになった。

実は録音機の操作ミスをして外海の波音が録れていなかったので、早めに家を出て、また三保に寄り道した。亡き友人が笑ってプレゼントしてくれたリカバリーチャンスなのかもしれない。外海の浜辺に腰を下ろし、録音機を据え、レベル調整をして慎重にスイッチを押す。

録音した音は音楽 CD にし、standstill 30 minutes(停止 30 分間)と名付け、「採集、風景化以前の世界のために。」とでも副題をそえてみようと思う。録音して手元に置きたかったのはよくある「音の風景」的なものではない。「風景」とは人の心が作る外側のとらえ方であり、内側で風景化以前の状態を採集できないかと思っている。

今度はしっかり録れていたので、編集用に GarageBand をダウンロードした。友人との別れと妙にタイミングのあった波音採集で感慨深い。録音を終え、三保の海辺を写真に撮り、友人が続けていたブログのタイトル「きょうの清水」とひとこと添えてネットに投稿したら、すかさず別の友人から、サブタイトルだった「ふるさとの話をしよう」という返信があった。

【追悼】2001 年に知り合って以来の友人、磯谷臣司さんが亡くなられた。胃の全摘手術を受けて回復した友人は多いので、楽観していたぶん衝撃が大きい。そういえば磯谷氏のハンドルネームのひとつが「磯波」であったことも妙に感慨深い海辺である。


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内と外1

2017年4月29日
僕の寄り道――内と外1

かつて定点をさだめて行われる気象観測を定点観測と言ったが、いまは定点観測という言葉だけが広義に用いられている。

馬齢を重ねて生きのびたことの褒美なのか、立ち止まってじっとしていることが苦にならなくなった。意味なくじっと動かない無用の者となる自由を、喜びとして感じられるようになってきた。いつか石ころに還るための訓練かもしれない。

定点から世界を観測するのは楽しいけれど、停止して世界を観察することの楽しみもわかってきた。いわば有用の定点観測ではなく、無用の停止観察である。

世界遺産の構成遺産である三保の松原。駿河湾から海の一部を抱え込んで湾を作っている砂嘴(さし)のことを三保という。

当然、波穏やかな湾内と、潮流が岸辺を洗う外海側では、寄せる波の性質も違っている。そのちょっとした違いこそが、大きな違いよりおもしろい。

三保の内海

そんな海辺に腰をおろし、三十分ばかり停止してじっと波音に耳を澄ませていると、自分の内側にちがった世界が開けてくる。

三保の外海

それが楽しくてたまらないので、帰省すると JR 清水駅に隣接した江尻船だまりから水上バスに乗って三保に寄り道する。

波打ち際に録音機を置き、三十分間と決めて波音を録音し、帰京してステレオ装置で再生してみるととても面白い。三十分間浜辺に腰を下ろしてじっとしているのも楽しいし、三十分間で録音されたものをじっと聞いているのも楽しい。

三十分間、海辺でじっとして録音をすることで得た教訓。

1 30分は長い
2 誰もいない場所を選んでもいつの間にか誰か来る
3 カラスが興味津々で録音機に寄って来る


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石をかぞえる

2017年4月1日
僕の寄り道――石をかぞえる

 

雑誌編集会議で清水帰省があったので、早めに出発して三保に寄り道した(3/31)。駿河湾に面した外海側の海岸で、波の音を録音してみたかったからで、そういうことを不意に思いつき、そういうひとり遊びが何歳になっても好きだ。

 水上バスでついた三保の内海側

三保の外海側海岸は丸い玉砂利ばかりで、波が寄せて返すたびにジャラジャラと硬い音を立てる。ここの海岸は波が右から左へと斜めに打ち寄せるので、ジャラジャラの音も右から左へと移動して聴こえる。

 

三保の外海へ通う道

リニア PCM のレコーダーで試し録りしてきたものをステレオ装置で再生してみたらやはりとても面白い。映像なしで音にだけ集中していると、ジャラジャラ音をたてている石の数が数えられそうな気がするのが不思議だ。

三保の外海側海岸

来月はウィンドジャマーすなわち風よけと三脚を持参してちゃんと録ってみようと思う。なぜそういうものが必要かというと三保の外海側は風があって風切り音が入ってしまうから、そしてレコーダーを手持ちして波打ち際に立っていると、時折寄せる大きな波に驚いて後ずさりする足音が録れてしまうからだ。

今回の試し録りでそういうことがわかったので次回はしっかり準備して出かける。


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かもめはかもめ

2017年3月31日
僕の寄り道――かもめはかもめ

清水駅みなと口に出ようとしたら改札から自由通路を通り、延伸された歩行者デッキよって江尻漁港の岸壁まで、産業道路を跨いで降りられるようになっていた。

最初からそうすれば良かったものを、どういう理由があったかは知らないけれど、もたもたすることで町の活性化に対し、長きにわたる多大な損失をもたらしてきたと思う。人は空を飛べないのだ。

仕事に疲れて窓辺に立てば小鳥や鳩やからすが飛ぶ姿を眺めて心癒される恵まれた環境にいる。それでも清水魚市場脇の低空を悠然と飛ぶかもめを間近で観ていると、かもめは翼で風をつかむ名人だなぁと改めて思う。

からすも好きで眺めていて飽きることがないけれど、岸壁に腰掛けてかもめをかまいながら、ぼんやり一日過ごしたらしあわせだろうなと思う。


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三保の掩体壕

2017年3月31日
僕の寄り道――三保の掩体壕

三保は本町より先に行くとからきし土地勘がなくなる。東西南北の方位はわかるけれど、公道、私道、農道についての知識がない。内海側の桟橋に水上バスがついて下船し、外海側の海岸目指して松林の中をひたすら東進した。そうしたらかならず海辺に出ることだけはわかる。

道の脇に古いコンクリート製の構造物が露出しており、これはもしかしたらと脇に回って下に降りたら、やはり第二次大戦中の掩体壕(えんたいごう)だった。

第二次世界大戦中に日本海軍が開発した特攻兵器震洋を格納しておくための掩体壕が三保には残っている。これは有名なものより小ぶりのようで、震洋のためではないにせよ、やはり掩体壕には違いないと思われる。

戦争の悲惨さを語り継ぐ負の文化遺産なのだけれど。特段保存の計画もないようで、粗悪なコンクリートから錆びた鉄筋が露出している。敗色が深まる世界文化遺産構成遺産の三保で、これを作った人たちはどんな気持ちだったのだろうと小石に触れてみた。


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江尻船溜まり時間つぶし

2017年3月31日
僕の寄り道――江尻船溜まり時間つぶし

静岡県清水。江尻桟橋 9 時 10 分発三保桟橋行きの水上バスに乗りそこねたので、次の 10 時 10 分発を待つあいだ、江尻船溜まりを散歩した。この町に住んでいた子ども時代は珍しくもなんともなく、見慣れすぎて意識に上ることもなかった光景がどれも新鮮に映る。

船尾に日の丸を掲げた水産庁の漁業取締船「ながと」が停泊していた。1998 年、清水湾内にあるカナサシ重工で竣工したこの船の総トン数は 499 トンで、500 トンクラスの船はこれくらいの大きさがある。

その先に串木野の第一共進丸が停泊していた。2001 年竣工のこの船も同じくカナサシ重工製で 399 トンある。久しぶりに大きなマグロがベルトコンベアで陸揚げされる風景を見た。

振り向いたら、庵原の山並みの向こうに南アルプスへ連なる山々が見え、まだしっかり冠雪していた。冬でもほとんど雪が舞うこともない温暖な港町だけれど、この岸壁からは雪山が見えたのだなとあらためて気づいた。

しばらく遠い山並みを眺めていたら、江尻桟橋に水上バスが接岸したのが見えたので急いで戻って乗船した。



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竜爪と竜南街道

2017年3月21日
僕の寄り道――竜爪と竜南街道

静岡県清水。「清水に住んでいないのに清水の人より清水に詳しい」などとおだてられつつ笑われたこともあったけれど、いささか清水について知らないことが増えてきた。

お彼岸の墓参りを終え、久しぶりに次郎長通りの魚初に寄ろうと思い、清水駅前バス乗り場で折戸車庫行きを待っていたら、年配の女性から
「ベイドリーム清水に行くにはこのバスでいいんですか?」
と聞かれてエスバルスドリームプラザしか思い浮かばない。バスが発車しそうなので
「すみません、東京から来たのでわかりません」
と答えたら
「私もそうなんです」
と言う。

バスの運転手に聞いたらベイドリーム清水は駒越北で下車すればいいと言う。そうか、野田合板跡にできた大型商業施設のことかとようやくわかった。2011年オープンというから、清水の実家片付けを終え足が遠のいて以降のランドマークだ。

大内新田の墓地で墓参りをし、北街道押切南交差点にできた新しい道に出た。この道はいつか巴川を渡って大坪町へと繋がるのだと思われるが計画の詳細も知らない。その道を渡りながら押切方向を見たらふたこぶ型の竜爪山が真正面に見えた。

100メートルほど西に並行して狭隘な古道である竜南街道があるが、竜爪の南で竜南街道とはよくつけたものだなと思う。竜爪山が民間信仰の対象として賑わった頃は、本当に竜南街道経由で柏尾峠を越えて参詣した人もいたのだろう。(2017/03/19)

【関連する日記】
旧北街道と竜南街道


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保蟹寺山モクレン祭り

2017年3月19日
僕の寄り道――保蟹寺山モクレン祭り

 

お彼岸なので静岡県清水にある曹洞宗保蟹寺(ほうかいじ)に墓参り帰省した。この日は第一回「モクレン祭り」を開催すると寺の護持会から知らせがあったので苗木代も届けたかったからだ。

静岡県立大学環境サークルCO-COによる大内竹林再生プロジェクトで、生え放題になっていた竹林が整備され、十年前、山の斜面に植えたハクモクレンが開花しているという。

大内観音太鼓、餅まき、焼きそば・おしるこ・おむすび・綿菓子や飲み物による接待もあるというので駒込駅5時20分発、清水駅8時50分着の電車で朝食も取らずに出かけたが、予想以上の盛り上がりでびっくりした。大内の人々がこんなに集まったのを見るのは祖父の葬儀以来だ。

一度も姿を拝んだことのないご本尊、蟹にのった薬師如来像がご開帳されているというので本堂に上がって拝見していたら、思いがけない人に会ってびっくりした。自転車にのって偶然通りかかったそうで、蟹にのった薬師如来のお引き合わせで、こちらも初めての対面となった。

 

【関連する日記】2005年11月14日
■ 蟹と帰化人と薬師如来と徐福



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山モクレン祭り

2017年3月9日
僕の寄り道――山モクレン祭り

郷里静岡県清水の寺にわが家の墓があって実母と義父の骨を納めてある。その寺の護持会から檀家総代を差出人とした封書が届いた。毎年届く活動報告かと思ってしばらく放ってあったのだけれど、仕事が一段落したので開封したら嬉しい便りだった。

「10年前に植えた寺の表山のモクレンが、皆様の日頃の手入れのお蔭でとてもきれいに咲き始めました。そこで花を観ながら檀家の皆様と寺との親睦を深め、寺の活動にご理解を深めて頂く為にこの祭りを企画致しました。いろいろな催し物を用意しましたので一日、ゆっくりお寺で遊ぶつもりでお出かけください。」

2005年3月、羽衣橋から眺める巴川。正面に見える山の麓に寺がある。

観光の目玉もない小さな山寺なのでなんの行事もなかったのだけれど、檀家や近隣住民、そして県立大生の応援を受けて新たな祭りを興したらしい。これから増やしたいというモクレン植樹の寄付も募っているので、当日は墓参りを兼ねて参加してみようかと思っている。


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清水8時50分着

2017年2月28日
僕の寄り道――清水8時50分着

編集委員をしている雑誌『季刊清水』の本年度第0回編集会議、別名反省会があったので清水に日帰り帰省した。特集「清水と宗教の関わりを探る」の巻頭で全体を牽引していただいた舞鶴高専教授吉永進一先生を囲んでのランチパーティ形式となった。

いつも通り早起きし、小田原まで小田急を使って帰省した。通勤だけでなく通学客もいる東海道線に乗り越え、朝日に映える海を見ているとあれこれ湧き起こる感慨がある。一緒に海を見ていた児童にも児童なりの感慨があるのだろう。

小田原駅を出て根府川あたりを通過中

●駒込

|  5:20発
|    JR山手線(内回り)[池袋方面行]17分
|  5:37着
○新宿
|  5:46発
|    小田急小田原線(急行)[小田原行]1時間27分
|  7:13着
○小田原
|  7:18発
|    JR東海道本線(普通)[沼津行]47分
|  8:05着
○沼津
|  8:08発
|    JR東海道本線(普通)[浜松行]42分
|  8:50着
■清水(静岡)

 

エスパルス通りの床屋さんに教えてもらった、意外にウッディな桜橋橋梁裏

8時50分に清水駅に着き、改札を出たら桜橋「櫻珈琲」の神戸秀雄氏が迎えにきてくれていたので喜んで拉致され、「櫻珈琲」店舗裏の談話室で正午近くまでビールを飲みながら歓談した。あれこれ前年度のできごとをまとめ、明日から始まる新年度に向けて心のネジを巻いた。

 

桜橋駅ホーム

昭和六年竣工の桜橋橋梁下がたしかに板張りであるのを確認し、桜橋駅から静岡鉄道に乗って新静岡まで出た。


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四十数年振りの現像

2017年2月9日
僕の寄り道――四十数年振りの現像

高校で写真部員だった頃は ASA(ISO)400 のモノクロフィルムを 6400 まで増感現像し、早いシャッターが切れるよう感度を高く設定して使っていた。高校生がカメラをぶら下げて町歩きするには、登校前か下校後の薄暗い時間帯しかなかったからだ。

ピント合わせはもちろん、露出もシャッタースピードと絞り操作による手動なので、露出に失敗したフレームがたびたび発生し、ネガフィルムを見ると露光オーバーだと真っ黒、露出不足だと真っ白になっている。それらのフィルムもすべてフィルムスキャナを使ってデジタル化してある。

高校時代、1970 年から 73 年までの写真を整理しながら、ふと思いついき Photoshop を使って露出失敗の写真が救済できるか試してみた。露光不足で真っ白(スキャンしたデータは反転しているので真っ黒)なフレームは難しいけれど、露出オーバーで真っ黒(スキャンしたデータは反転しているので真っ白)なフィルムを、明るさとコントラストを組み合わせてレベル調整すると、写っているものが判別できることを主眼とすれば、かなり救済できることがわかった。こんな真っ白なスキャンデータにも画像情報はちゃんと記録されている。

高校生にとって高価な印画紙を使っての救済は現実的でなかった。それゆえ思いつきもしなかったのだけれど、パソコン暗室なら簡単にできるとわかって感動した。これは静岡県清水市のさつき通り。左のペブシの看板に「さくら」とあるのは東映映画館のさくら劇場。左の道へ折れれば清水市役所、通りを渡った右側には花菱百貨店、道路には清水市街線の路面電車が走っていた。その歩道を外国人カップルが歩いている。

 

よくこんな写真を撮ったな、高校生なのに意外に度胸があったんだなと驚いた。なにしろ撮影して以来、昨日初めて見た写真なのだ。四十数年振りにコンビュータを使って現像し直したことになる。


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江尻より一本松遠望

2016年12月12日
僕の寄り道――江尻より一本松遠望

清水駅前から見た帆掛山(標高304m)山頂の一本松公園。コンパクトカメラの望遠でのぞいたら東屋の屋根もしっかり見えた。

「やぁ見えた見えた」
というだけの他愛ない写真だけれど、かつてはこういう山頂の木が海の人々の目印になったわけだ。

白黒写真は大正時代の帆掛山一本松。

駿州大内観音鷲峯山霊山寺
東海の絶佳地大内観音山上名木一本松並に富士の遠望

と写真注釈にある。



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夕焼けの見え方

2016年12月12日
僕の寄り道――夕焼けの見え方

静岡県清水駅前から見た 12 月 8 日の夕焼け。東京で見慣れた夕焼けとは違う、いかにも清水らしい、多感な時期に見慣れた故郷の夕暮れと感じたので何枚も写真に撮った。

そして帰京し、数日のあいだ思い出すたびに眺めているが、なにが東京で見慣れた夕暮れと違うように感じさせたのかがわからない。こういう遠景の夕暮れがあって、その手前に飛蚊症のように影となった前景の雲がある夕焼けが、いかにも清水らしいような気がするけれど違う気もする。

おそらく気分の問題にすぎなくて、とるにたらぬ気分が一直線に揃ってビンゴになっているのだろう。こうして気分の問題にひどく引っかかってしまうのがふるさとの魔法なのかもしれない。そんな甘ったるい夕暮れだったのでいちおう日記に付け加えておく。


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