竜爪と竜南街道

2017年3月21日
僕の寄り道――竜爪と竜南街道

静岡県清水。「清水に住んでいないのに清水の人より清水に詳しい」などとおだてられつつ笑われたこともあったけれど、いささか清水について知らないことが増えてきた。

お彼岸の墓参りを終え、久しぶりに次郎長通りの魚初に寄ろうと思い、清水駅前バス乗り場で折戸車庫行きを待っていたら、年配の女性から
「ベイドリーム清水に行くにはこのバスでいいんですか?」
と聞かれてエスバルスドリームプラザしか思い浮かばない。バスが発車しそうなので
「すみません、東京から来たのでわかりません」
と答えたら
「私もそうなんです」
と言う。

バスの運転手に聞いたらベイドリーム清水は駒越北で下車すればいいと言う。そうか、野田合板跡にできた大型商業施設のことかとようやくわかった。2011年オープンというから、清水の実家片付けを終え足が遠のいて以降のランドマークだ。

大内新田の墓地で墓参りをし、北街道押切南交差点にできた新しい道に出た。この道はいつか巴川を渡って大坪町へと繋がるのだと思われるが計画の詳細も知らない。その道を渡りながら押切方向を見たらふたこぶ型の竜爪山が真正面に見えた。

100メートルほど西に並行して狭隘な古道である竜南街道があるが、竜爪の南で竜南街道とはよくつけたものだなと思う。竜爪山が民間信仰の対象として賑わった頃は、本当に竜南街道経由で柏尾峠を越えて参詣した人もいたのだろう。(2017/03/19)

【関連する日記】
旧北街道と竜南街道


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保蟹寺山モクレン祭り

2017年3月19日
僕の寄り道――保蟹寺山モクレン祭り

 

お彼岸なので静岡県清水にある曹洞宗保蟹寺(ほうかいじ)に墓参り帰省した。この日は第一回「モクレン祭り」を開催すると寺の護持会から知らせがあったので苗木代も届けたかったからだ。

静岡県立大学環境サークルCO-COによる大内竹林再生プロジェクトで、生え放題になっていた竹林が整備され、十年前、山の斜面に植えたハクモクレンが開花しているという。

大内観音太鼓、餅まき、焼きそば・おしるこ・おむすび・綿菓子や飲み物による接待もあるというので駒込駅5時20分発、清水駅8時50分着の電車で朝食も取らずに出かけたが、予想以上の盛り上がりでびっくりした。大内の人々がこんなに集まったのを見るのは祖父の葬儀以来だ。

一度も姿を拝んだことのないご本尊、蟹にのった薬師如来像がご開帳されているというので本堂に上がって拝見していたら、思いがけない人に会ってびっくりした。自転車にのって偶然通りかかったそうで、蟹にのった薬師如来のお引き合わせで、こちらも初めての対面となった。

 

【関連する日記】2005年11月14日
■ 蟹と帰化人と薬師如来と徐福



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山モクレン祭り

2017年3月9日
僕の寄り道――山モクレン祭り

郷里静岡県清水の寺にわが家の墓があって実母と義父の骨を納めてある。その寺の護持会から檀家総代を差出人とした封書が届いた。毎年届く活動報告かと思ってしばらく放ってあったのだけれど、仕事が一段落したので開封したら嬉しい便りだった。

「10年前に植えた寺の表山のモクレンが、皆様の日頃の手入れのお蔭でとてもきれいに咲き始めました。そこで花を観ながら檀家の皆様と寺との親睦を深め、寺の活動にご理解を深めて頂く為にこの祭りを企画致しました。いろいろな催し物を用意しましたので一日、ゆっくりお寺で遊ぶつもりでお出かけください。」

2005年3月、羽衣橋から眺める巴川。正面に見える山の麓に寺がある。

観光の目玉もない小さな山寺なのでなんの行事もなかったのだけれど、檀家や近隣住民、そして県立大生の応援を受けて新たな祭りを興したらしい。これから増やしたいというモクレン植樹の寄付も募っているので、当日は墓参りを兼ねて参加してみようかと思っている。


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清水8時50分着

2017年2月28日
僕の寄り道――清水8時50分着

編集委員をしている雑誌『季刊清水』の本年度第0回編集会議、別名反省会があったので清水に日帰り帰省した。特集「清水と宗教の関わりを探る」の巻頭で全体を牽引していただいた舞鶴高専教授吉永進一先生を囲んでのランチパーティ形式となった。

いつも通り早起きし、小田原まで小田急を使って帰省した。通勤だけでなく通学客もいる東海道線に乗り越え、朝日に映える海を見ているとあれこれ湧き起こる感慨がある。一緒に海を見ていた児童にも児童なりの感慨があるのだろう。

小田原駅を出て根府川あたりを通過中

●駒込

|  5:20発
|    JR山手線(内回り)[池袋方面行]17分
|  5:37着
○新宿
|  5:46発
|    小田急小田原線(急行)[小田原行]1時間27分
|  7:13着
○小田原
|  7:18発
|    JR東海道本線(普通)[沼津行]47分
|  8:05着
○沼津
|  8:08発
|    JR東海道本線(普通)[浜松行]42分
|  8:50着
■清水(静岡)

 

エスパルス通りの床屋さんに教えてもらった、意外にウッディな桜橋橋梁裏

8時50分に清水駅に着き、改札を出たら桜橋「櫻珈琲」の神戸秀雄氏が迎えにきてくれていたので喜んで拉致され、「櫻珈琲」店舗裏の談話室で正午近くまでビールを飲みながら歓談した。あれこれ前年度のできごとをまとめ、明日から始まる新年度に向けて心のネジを巻いた。

 

桜橋駅ホーム

昭和六年竣工の桜橋橋梁下がたしかに板張りであるのを確認し、桜橋駅から静岡鉄道に乗って新静岡まで出た。


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四十数年振りの現像

2017年2月9日
僕の寄り道――四十数年振りの現像

高校で写真部員だった頃は ASA(ISO)400 のモノクロフィルムを 6400 まで増感現像し、早いシャッターが切れるよう感度を高く設定して使っていた。高校生がカメラをぶら下げて町歩きするには、登校前か下校後の薄暗い時間帯しかなかったからだ。

ピント合わせはもちろん、露出もシャッタースピードと絞り操作による手動なので、露出に失敗したフレームがたびたび発生し、ネガフィルムを見ると露光オーバーだと真っ黒、露出不足だと真っ白になっている。それらのフィルムもすべてフィルムスキャナを使ってデジタル化してある。

高校時代、1970 年から 73 年までの写真を整理しながら、ふと思いついき Photoshop を使って露出失敗の写真が救済できるか試してみた。露光不足で真っ白(スキャンしたデータは反転しているので真っ黒)なフレームは難しいけれど、露出オーバーで真っ黒(スキャンしたデータは反転しているので真っ白)なフィルムを、明るさとコントラストを組み合わせてレベル調整すると、写っているものが判別できることを主眼とすれば、かなり救済できることがわかった。こんな真っ白なスキャンデータにも画像情報はちゃんと記録されている。

高校生にとって高価な印画紙を使っての救済は現実的でなかった。それゆえ思いつきもしなかったのだけれど、パソコン暗室なら簡単にできるとわかって感動した。これは静岡県清水市のさつき通り。左のペブシの看板に「さくら」とあるのは東映映画館のさくら劇場。左の道へ折れれば清水市役所、通りを渡った右側には花菱百貨店、道路には清水市街線の路面電車が走っていた。その歩道を外国人カップルが歩いている。

 

よくこんな写真を撮ったな、高校生なのに意外に度胸があったんだなと驚いた。なにしろ撮影して以来、昨日初めて見た写真なのだ。四十数年振りにコンビュータを使って現像し直したことになる。


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江尻より一本松遠望

2016年12月12日
僕の寄り道――江尻より一本松遠望

清水駅前から見た帆掛山(標高304m)山頂の一本松公園。コンパクトカメラの望遠でのぞいたら東屋の屋根もしっかり見えた。

「やぁ見えた見えた」
というだけの他愛ない写真だけれど、かつてはこういう山頂の木が海の人々の目印になったわけだ。

白黒写真は大正時代の帆掛山一本松。

駿州大内観音鷲峯山霊山寺
東海の絶佳地大内観音山上名木一本松並に富士の遠望

と写真注釈にある。



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夕焼けの見え方

2016年12月12日
僕の寄り道――夕焼けの見え方

静岡県清水駅前から見た 12 月 8 日の夕焼け。東京で見慣れた夕焼けとは違う、いかにも清水らしい、多感な時期に見慣れた故郷の夕暮れと感じたので何枚も写真に撮った。

そして帰京し、数日のあいだ思い出すたびに眺めているが、なにが東京で見慣れた夕暮れと違うように感じさせたのかがわからない。こういう遠景の夕暮れがあって、その手前に飛蚊症のように影となった前景の雲がある夕焼けが、いかにも清水らしいような気がするけれど違う気もする。

おそらく気分の問題にすぎなくて、とるにたらぬ気分が一直線に揃ってビンゴになっているのだろう。こうして気分の問題にひどく引っかかってしまうのがふるさとの魔法なのかもしれない。そんな甘ったるい夕暮れだったのでいちおう日記に付け加えておく。


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庵原の杉山青年夜学校

2016年9月29日
僕の寄り道――庵原の杉山青年夜学校

郷里静岡県清水庵原地区でいまも「しんめいさん」と呼ばれて語り継がれる殖産家がいて片平信明(かたひらのぶあき1830-1898)という。貧しい山村では油桐(あぶらぎり)別名毒荏(どくえ)と呼ばれる木を育て、実から油を絞って売ることでかろうじて生計を立てていたが、油の輸入で売り上げが減って村は困窮した。

名主であった片平は茶の栽培をすすめ、一方自宅納屋の二階で青年の夜学校を開いた。明治9年柴田順作の指導で杉山報徳社を設立、明治14年には柑橘栽培を導入して産業の振興につとめ、明治21年夜学校を建てて青年勉学の道場とした。山の人々が街場の人に搾取され続けないためには、勉学こそが生きるための武器であった。

編集委員をしている戸田書店発行『季刊清水』の取材のため、9月29日(木)その杉山青年夜学校を見に出かけた。清水駅前9時30分発のしずてつジャストラインバス庵原線吉原行きに乗り杉山バス停で下車すると、老人憩いの家として活用されている校舎は川沿いの道路脇にあった。

杉山青年夜学校。左端、二宮金次郎像の後ろにあるのが油桐

バス停の時刻表を見ると吉原終点で引き返してくるバスは10時25分に杉山を通過し、それを逃すと14時20分まで清水行きバスはない。あわてて校舎周りの写真を撮り、清水駅売店で買った稲荷寿司で遅い朝食にした。いまだに報徳思想を忘れない庵原の人々のような二宮金次郎像があり、その見つめる道の先へと無人でやってきたバスに乗って引き返した。


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人をおこす

2016年9月7日
僕の寄り道――人をおこす

9月7日、郷里清水の友人からいわゆる「町おこし」系の人を紹介され、最近は「いわゆる町おこし系」の人たちが好きではないのだけれど、前もって資料のビデオを送ってもらったら、からだを張って「自分起こし」をしているので会ってみる気になった。午前8時1分駒込発の日帰り帰省である。

打ち合わせを終え、江尻船溜りで見上げた空

戦後すぐからある割烹料理店で、中高生の頃はお呼ばれで何度か行ったことがある店、その三代目にあたるという。
「町おこしとは人を助けることだ」「協力してくれる住民ひとりすら幸せにすることもできずに地域活性化だの町おこしだの、片腹痛い」などと西部邁が書いたことを改ざんしながら「いわゆる町起こし系」の人の悪口を散々言ったら、そうだそうだと気があうので、できるだけのことは手伝わせてもらうことにした。清水帰省の楽しみがまた一つ増えた。


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禅寺の先生

2016年8月20日
僕の寄り道――禅寺の先生

静岡市清水区横砂中町にある医王山東光寺で夏休み子供坐禅会を開いている副住職は若い。学生時代を過ごした神奈川の大学で知り合った女性と結婚し、夫婦で協力しながら子どもたちの世話をしている。副住職は学校で6年間理科を教えていたそうで、奥さんの描いたイラスト入り禅教材がたくさん置かれているのを見ても、二人の教育にかける熱意が伝わってくる。

猛暑なので子どもたちの給水と休憩タイムが何度かあり、その間にぶらぶら境内を歩いて眺めていたら、彫られた名前に見覚えがあるので、
「ひょっとしたら先代住職、おじいさんにあたる方は校長先生をされていませんでしたか?」
と聞いてみたらその通りだと言う。
「実は清水市立第二中学校在学中、三年間校長先生だったのがあなたのおじいさんです」
と言ったら驚かれていた。ご健在かと尋ねたら十数年前に他界されたという。

夏休み子供坐禅会に参加している少女でひときわ利発そうな子がおり、何をするにしても気が利いているので写真を何枚も撮った。あとで知って驚いたのだけれど、その子は副住職夫婦の子どもであり、あの校長先生の曾孫だった。校長先生がこの仲の良い孫夫婦と、闊達な曾孫の顔を見たらきっと喜ばれることだろう。


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息と観察

2016年8月20日
僕の寄り道――息と観察

郷土誌の編集委員を一緒にやっている友人が、静岡市清水区横砂中町にある医王山東光寺で開かれている夏休み子供坐禅会を取材するというので、カメラをぶら下げて出かけて行き興味本位のアシスタント役をした。

子どもたちに混じって正座をする機会が何度かあったが、正座など数年に一度するかしないかのことになってしまい、一分も経たないうちに筋肉が悲鳴をあげるので、写真を撮るふりをして立ち上がり、なんとか半日をやり過ごした。

正座はしないけれど、毎日未明に目をさますとじっとして目を閉じ、自分の呼吸に集中し、集中している自分の状態を観察するようにしている。病気のとき自然にそうしている自分から学んだ。人にとって最も大切なのは息と観察だとつねづね思っている。

息が整った状態を観察しているように座禅を組む子どもたちを、外側から観察しているだけでありがたくて、実はそういう観察にも座禅を組んでいるような効果があるかもしれない、などとと言い訳をするようにカメラのシャッターを切りながら本堂内を歩き回っていた。


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自動車人間

2016年8月18日
僕の寄り道――自動車人間

郷里静岡に帰省して人を訪ねるたびに「自動車で送りましょう」という申し出を辞退するのに苦労する。郷里の人々は歩かない傾向が強いのだと思う。たかだか 2 キロ程度の道のりを歩くと言っただけで驚かれ、歩きたいのだと言うと笑われる。

故郷に帰省するたびに乗り合いバスの運行ルートと本数が減っており、乗客もまばらなのでバス会社もそうせざるをえないのだと思う。歩く人がいない証拠に、歩く人を中心とした道路整備も、文化的な環境整備も沈滞しており、観光客らしい人たちから「旧東海道はこの道でいいんでしょうか」などと質問を受けるたびに恥ずかしい思いをする。

この町は人が暮らす場という役割が消失して、自動車が通行する機能しか残らないのではないかと思う。道路都市に暮らす自動車人間。「いつか年をとったら故郷へ戻られませんか」などと聞かれるたびに、「そうできたらいいなと思うようになりました」などと適当な返事をしているけれど、この中心市街地にはぜったいに帰りたくないと思う。人口も減り続けるわけだ。

仕事の取材を終え、午後 4 時からの会議まで時間があったので自動車から降ろしてもらい、芹沢銈介美術館で企画展「書物のよそおい」を観覧し、そのあと登呂遺跡内をぐるぐる歩いた。ここに来てこうして「農耕集落跡を歩きまわるのが好きなんです」などということは、笑われるの地元では言わない。

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それから先のことは

僕の寄り道――それから先のことは
(2016年8月1日)

昔の話をするのが面倒くさくなった。古い人間が古いことを知っているのは当たり前で、それをわざわざすすんで話すのは年寄りの説教くさいし、若者が間違った昔話をしていると訂正するのも余計なことである気がする。せいぜい、「若者が昔を懐かしがってばかりいるなんてもったいない」と心の中で意見するだけにしている。

最近は清水駅に降り立つと、市街地には足が向かなくて、死んでしまった人や病気で寝ている人たちばかりがいる、清水北部の北街道方面へ気持ちが誘われてしまう。サイモン & ガーファンクルの『マイリトルタウン』を口ずさんだりして、一時間に一本の北街道線バスに乗る。バス発車時刻に間がありすぎると、大好きな『八木春』でカツカレーを食べる。

能島の従弟に会ったので、「最近話題の桜ヶ丘病院移転先、最初に候補に挙がっていたのは能島と聞いたけど、どこだったの」と聞いたら、大内新田の旧北街道歴史の道が大内田んぼに抜けていった懐かしい場所だった。この先の田中の一軒家で祖父母に育てられたが、旧北街道とともに遊水池に没している。大内田んぼを抱くように帆掛山(扇山)がある低湿地で、先々のことを考えたらここでも旭町でもなく桜ヶ丘移転の方がいいよ、と心の中で言ってみる。

従弟が静岡駅前まで車で送ると言うので、「清水に帰省するときは歩くのが楽しみなんだから散歩がてら北街道を行く」と断った。今日はこれから夜勤があるというし、年下の者にはもっと他にやることがあるはずなのだ。時間がもったいない。いつも先のことを考えていろと心の中で説教を垂れ、加藤和彦『それから先のことは』を口ずさみながら炎天下を歩いたが、鳥坂で挫折して素直に静岡駅行きバスに乗った。


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金属製看板のある山沿いの道

2014年10月10日(金)
金属製看板のある山沿いの道

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編集会議で静岡帰省した(2014/10/08)。わが家の墓がある清水区大内の保蟹寺は、山裾の崩落危険地域にあるので、台風18号の被害がないか、ちょっと心配になって墓参りに寄ってみた。

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保蟹寺入口前の小道は何代も前の東海道とも言える古道で、山さえ崩れなければ水のつきにくい場所なので、かつて入口脇には高部村役場、その奥に高部小学校の前身があった。水害の模様が全国ニュースで報じられた大内地区だけれど、この古道と山側はやはりぎりぎりで冠水を免れていた。

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今でも当時の古い石積みが、ずっと高部ゴルフの方まで古道沿いに残っている。先ごろ、保蟹寺は駐車場を整備したが、このあたりは石積みの技能を持つ人が多くて、整備工事もすべて檀家の人たちがやってしまったと住職が話していた。

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そういう古い道なので、昭和の時代は人通りがそこそこあり、商店もあったことを覚えている。道沿いの建物には、古い金属製看板が残っていて、今はもうない掲載主が多く、清水市繁盛記の物言わぬ語り手となっている。

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まちの懐かしさ

2014年5月17日(土)
まちの懐かしさ

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「最近、清水は墓参りだけでスルーして旧静岡市に用事が多いのですが、東京の植民地的な中心市街地ではなく、ちょっとはずれた町並みを歩くと、昔の清水のような懐かしさが感じられて感動します。本当の東京下町より、第二、第三の東京山の手と言われた中央線や私鉄沿線にある古びた町並みの方が、昭和の東京下町情緒をいまも伝えているのと同じ現象です。」

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ブログへの書き込みに答えて返信ともつかないこんなコメントを書いたけれど、これは最近旧静岡市街を歩くたびに感じることだ。東京の住まいに近い谷中、根津、千駄木地区もそうだし、静岡駅北口に近い商店街もそうだけれど、街が活性化と呼ばれる現象で賑わっても、そこから得られた富をどこか遠くへ持ち去るための、道具として使われているだけのように見えて仕方がない。

02
そういう現象から外れた地域では、経済の右肩下がりの坂道から滑り落ちないように、あえぎあえぎ暮らしているように見える。静清合併直後頃の清水がそうだったけれど、清水の町はもうすっかり桶の底まで抜けてしまい、今ではあっけらかんとした聖諦すら感じるし、ダウンシフトの果てに新たな幸せへの可能性を感じる段階へ進化を果たしつつあると感じることも多い。清水はしぶとい街なのだ。まだそこまで至らない旧静岡のやるせなさに、かつての清水を見ているような懐かしさを覚えるのかもしれない。

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東京山手線内で暮らしていると、自家用車に乗る必然性もあまり感じなくて、親たちとの暮らしが終わったことをきっかけに処分してしまったけれど、日用雑貨の買い物は郊外の大型店しか選択肢がないので、不便を感じることが多い。

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先日も東京から静岡に出たついでに、ジャンボエンチョー静岡店に寄って買い物をした。地図を見たら静鉄音羽町駅が近そうなので、下車して歩いたら、まるで昔の清水を見るような懐かしい町並みを歩いて胸がいっぱいになった。懐かしさというのは場所ではなく層をなした時の断面露出部にあるのかもしれない。

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