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芭蕉の俳句(117)

水曜日、。旧暦、8月27日。

夕方、仕事が一段落したので、江戸川に散歩に行った。白鷺が一羽、夕日を背景に佇んでいる。一声叫んで、一飛びする。つげ義春の名作「鳥師」が思い出される。その白鷺もちょうど、水門の近くにいたのだった。



病雁の夜寒に落ちて旅寝かな     (猿蓑)



■初めは、さして、心に残らない句だった。しかし、これを近代のリアリズム句のように事実の句だと考えず、旅寝をしている芭蕉の心に映じた景だと考える(『古池に蛙は飛び込んだか』長谷川櫂著pp.152-153)と、俄然、余韻のある深い句になる。どこかの旅の途中で、病む雁が一羽落ちるのを見たか、その音を聞いて芭蕉が想像した景なのだろう。しかも、このとき、病んでいた芭蕉は、病む雁と己を二重写しにしていた。心の中の雁であり、己でもある。ここにあるのは、近代の主観/客観という二項対立ではない。雁という自然と己は相互に浸透し合っている。しかも、病む雁が夜寒に落ちる劇は、己の心の中でもあり、外でもある。時間的に言えば、「今」でもあり「過去」あるいは「未来」でもある。近代は、外に向かっては自然支配、内に向かって管理社会を招来したが、この句の詠まれた場所は、明らかに近代とは異なっている。そこに立ったときに感じる何かを感じることが、この句を味わうポイントなのだと思う。
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