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獄門島

土曜日、。午前中、仕事、午後、図書館で仕事。夕方、紀伊国屋で、『数学する遺伝子』(早川書房)という面白そうな本を衝動買い。ぼくは、ずっと以前から、英語やドイツ語の組み立てと数学はよく似ていると感じてきた。この本は、人間の言語能力と数学能力は、同じ脳の特性から出ているという仮説から出発して、二つの能力の関連にメスを入れているようなのだ。本屋で広告を見て、即、購入した。数学関連が少ない趣味の一つになってきた感じ。



一ヶ月前になるけれど、新聞の特集で、横溝正史の『獄門島』の特集を読んだ。そのとき、なんとも言えず、懐かしかった。中高生のときに、何冊か読んだ記憶があるからだ。推理小説は、一時期、熱中して読んで、それきりまったく読まないけれど、横溝の世界は、どこか、諸星大二郎に通じるところがあり、郷愁を覚えた。記事によれば、芭蕉の発句が事件のキーになっているというではないか。これでは、読まないわけにはいかないのである。

読んでみて、まあ、面白いといえば面白いけれど、子供だましだなと感じた。現実にありえないことを想定して、物語が成立しているからだ。たとえば、芝居で使う張子の釣鐘を警官が懐中電灯で調べたとき、それを張子だと気がつかぬわけはない。小心な漢方医や善良な町長が殺人をしてきて、何の動揺も何の行動の変化もないわけがない。そもそも、網元の側近三人(村長、漢方医、住職)が、いくら、網元の死を目前にした願い事とは言え、殺人を引き受ける設定に無理がある。かりに、非常に濃い主従関係から死後もその意向を実行するとしても、根本的な問題が残る。重要情報を確認せずに殺人という重大な行為を実行に移すはずがないという問題である。つまり、網元の孫の一人が戦死し一人が生き残った場合に、この網元の意向が実行されるはずだった。孫の一人の戦死は、金田一耕介自身が島に伝え、官報で確認された。しかし、もう一人の孫の生存情報源が実にあいまいなのである。この点を側近の三人は確認していない。つまり、現実にその孫が島に生還して姿を確認してから殺人プログラムが稼動されるはずである。

まあ、そんなわけで、中高生のときよりもスレてしまったぼくには、物足りないものが残った。ただ、作中、次の箇所が印象に残った。

「お小夜か、あれは気ちがいでしたな。あんたは知るまいが、この中国筋にはカンカンたたきという筋のものがある。四国の犬神、九州の蛇神、それとは少しおもむきがちがうが、ふつうの者と交わりができぬものとしてある。いわれを話すと古いが、なんでも陰陽師安倍晴明が、中国筋へくだってきたとき、供のものがみんな死んでしもうた。そこで晴明さん、道ばたの草に生命をあたえて人間とし、これをお供にして、御用を果たしたが、さて、京へ帰るとき、もとの草にもどそうとすると、そのものどものいうことに、せっかく人間にしていただいたのだから、このままでおいてくだされと頼んだのそうだ。そこで、晴明さんんもふびんに思って、そのまま人間にしておくことにしたが。もとをただせば草だから、たつきの業を知らぬ、晴明さん、そこで祈祷の術を教えて、これをもって代々身を立てよといいきかされたというのじゃが、その筋のものを草人、一名カンカンたたきといって、代々祈祷をわざとしている(後略)」(横溝正史『獄門島』p.302 角川文庫)

横溝正史は、漁民の生活や網元の権力など、じつによく知っていて、作中に描いている。そうした前半部分の方が作品としてはリアリティがあっていいように思う。推理小説という枠が前面に出た後半部分は、上述した理由から、ぼくとしては、評価できない。そんな中に、ふいに挿入されたのが、上記部分である。この話、実に面白い。調べてみようかなと思っている。



獄門島 (角川文庫)
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コメント ( 2 ) | Trackback ( 1 )
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コメント
 
 
 
2593 (2593)
2009-07-30 20:20:06
私もこの部分について興味がありまして、いろいろと探していたところ、ここにたどりつきました。結局、答えがわからず、推測でしかいえませんが、阿倍晴明について、いろいろしらべると、どうも彼自身、ある集団の広告塔、現在のヒーロー的存在と考えると、、、ある集団については、戦国時代の忍者集団やあのう衆等の特殊技術集団ではないかと、、、だから、話に神秘性を持たせるために、このように伝えたのではないかと、、、
 
 
 
Unknown (冬月)
2009-07-30 21:57:43
■どうも、はるばる、当ブログまで。阿倍晴明は、コミック、『陰陽師』で知って以来興味を持っていますが、先日、熊野を旅したとき、天皇や上皇の熊野詣も、日取りは、陰陽師が占って設定していた、という話が出てきて、まったく別のリアリティを生きていた人々のことを思いました。

晴明の背後に何らかの集団があったという仮説は、確かに、一理ありますね。阿倍氏の里がどこだったかのか、が一つのポイントになる気がします。
 
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