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欧文俳句に関するノート




ノート




筆者は、1月からtwitterを始め、すっかりこれにはまっている。twitterとは、インターネット上で、140字以内のコミュニケーションを行うツールのことであるが、字数制限があるために、世界中の短詩型文学の愛好家たちが、作品を発表する場として利用している。twitterのメディアとしての政治的・社会的側面も重要だが、今は、これに触れない。

ここに発表した英語俳句、ドイツ語俳句は、筆者がtwitterにuploadしたものの中から選んだものである。始めに日本語の俳句がしっかりあって、それを英訳または独訳したものではなく、自作の日本語俳句をヒントにしたり、英語やドイツ語の言葉自体から発想したりしたものである。このため、いざ、日本語に直してみると、twitterでは支持を集めた句でも、退屈になったり、つまらない句になったりする、という現象も起きる。その逆に、日本語では、いい句だと思える句も、そのまま、英語やドイツ語にしては、面白みのない句になることもある。このあたりの事情を少し考えてみようというのが、このノートを書いた理由である。

筆者が、日本語の俳句と欧米の俳句で、大きく異なるものの一つと考えているのが、数の概念である。日本語の名詞に複数形は基本的にはない。俳句と言えば、haikuのことでありhaikusのことである。単複は、文脈が決定する。欧米の言語には、複数形という発想があり、日本語の俳句では、一つに決まっていると思える事象も、ネイティブが英語やドイツ語に翻訳すると、複数形になっていることが多い。

日本語の俳句は、名詞に複数形がないために、この言語的な特徴を生かして、事物を一つに集約して焦点を絞り、印象を鮮明にする戦略が取られるが、欧米の俳句では、逆に、複数形がはっきりあることで、これを生かし、事物を複数にして、世界に広がりを持たせる戦略が取られることが多い。世界の集約化か世界の拡大か。拡大戦略では、余白や沈黙への感受性や想像力が生まれにくい一方、集約化戦略では、関心が微小な世界に向きがちで、巨視的な広がりに乏しい。これには、蕪村のような優れた例外もあるが。

もう一つ、大きな差異と思えるのが、論理に対する感覚の違いである。これは、「切れ」と関わってくる。日本語の俳句で、重要な役割を担うのが、季語と並んで「切れ」である。「切れ」という発想は、俳句内部に間を設けることで、論理的な意識の流れを切断する。欧米の俳句で切れを理解しているものは、ほとんどない。「切れ」は形の上では、「―」や「,」で表現されるが、これは、論理的な切断を示すのではなく、論理的な省略を示している。このことは、欧米の言語の強固な論理志向を感じさせるが、逆に、日本語の俳句の発想である、切断としての「切れ」を導入すると、論理の世界にはないものである分、面白いものができるかもしれない。筆者は、「切れ」を表現するときに、間を設ける場合は、一行空白とし、因果関係や論理の省略を示す場合は、「―」を用いた。

言語的な特徴の違いは、それぞれの俳句の構造を規定する側面があると同時に、この構造を変える要素ともなりえる。今のところ、その影響関係は、日本語の俳句から欧米の俳句への通路が見えるだけで、欧米の俳句から日本語の俳句への通路は、あまり見えない。一見、一方的な影響関係に見えるが、欧米の俳句を、欧米の詩的伝統まで広げてみると、西東三鬼から始まる日本のモダニズム俳句は、欧米の詩的な影響下で始まったものと見なすこともできよう。モダニズム俳句に見られる翻訳語(とくに名詞)の多用や散文化の傾向は、欧米の詩的伝統の流れの中にある。影響関係は、ゆるやかな相互関係になっていると見ていいように思う。

第三の違いとして、時間の感覚をあげることができる。よく知られているように、欧文の時間感覚は繊細で厳格なのに対し、日本語の時間感覚はアバウトである。現在完了のような、過去が現在に影響を及ぼす時制は日本語にはなく、過去も現在完了も「~した」で表現される。また、日本語では、過去も現在も、文脈によっては、「~した」と表現でき、時間は文脈で決まる側面も大きい。しかし、近代化以前の日本語はそうではない。過去や完了を表す助動詞が存在し、はっきりした区分がある。たとえば、助動詞「けり」は、詠嘆を表すだけでなく、過去のある時点から動作が継続していたことにいま気がついた、という「心理主義的な現在完了」とでも言える事態を表している。

日本語の俳句には、日本語でしか表現できない玄妙な世界がある。英語やドイツ語の俳句にも、おそらく、その言語でしか表現できない世界があるだろう。そうした世界は、翻訳不可能な領域に属している。逆説的な言い方になるが、翻訳不可能な俳句にこそ、その言語の属する歴史が集約されており、そうした俳句こそが翻訳するに値すると思えるのである。

twitter address: http://twitter.com/delfini_ttm


初出「Coal Sack 66」
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
独文俳句先行者のへぼ弟子より (ちいさいおおかみ)
2015-01-22 12:56:50
初次見面。
独文俳句の先行者をドイツ語の師に持つへぼです。

日本語と欧州各国語とは様々な違いがありますから、日本語の様なものを作るの自体が欧文俳句では難しいですからね。それをやる人はなかなかだと思います。

後、

欧文俳句の場合、発音が字数と合致しない場合が非常に多いので、読む方が難儀する事もあります。

唯、

欧州的修辞法が解ると面白いものが作れるのも又事実です。そこは日本語との違いですよね。

結果として、欧文俳句も奥が深いです。
でも大抵は欧文"川柳"と化してしまうのが…
(季語がなかったり…と俳句の規則を逸脱するものが…)

今回拝見した英文俳句の和訳は、成るべく外来語を用いずに訳した方が、もっと味が出そうです。"バルコニー"とか…どうせなら"欧文俳句の和訳は日本俳句にする"事を基礎としましょう(師の教えです)。
 
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