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飴山實を読む(153)

■旧暦1月28日、土曜日、

(写真)無題

昨日、風呂に入りそびれたので、今から入浴。淺山泰美さんのエッセイを読んでいたら、ダライ・ラマの楽観主義について触れている一文に目がとまった。世に言われる「楽観主義」は現実認識が甘いという意味で使われることが多いが、ダライ・ラマは、ある課題や困難に対して、解決が可能だという信念を常に持つことで楽観的と言える。一つのアプローチでダメなら別のアプローチを何回も繰り返す持続性が重要だと説いている。この粘り強さとその根底にある余裕は、「死」という人間にとって最大の恐怖の一つを完全に克服しているところから出てくるように思われる。チベット仏教の修業はすべて「死への準備」である。マルクスが、人間にとって解決不可能な問題は人間は提出しない、という言葉を残しているが、楽観性という点で、どこか相通じるものがあるように思う。大いなる楽観性。励まされるものがある。




杣の子か木の実しぐれか木のさやぎ
   「俳句研究」平成8年1月

■森の「木のさやぎ」。このときの杣の子は人間の子というよりも、森の精のように感じられてくる。森の深さ、何か人間を超えた存在の気配が伝わってきて惹かれた。



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