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ドイツ語の俳人たち:Sabine Balzer(4)

■旧暦7月14日、日曜日、

たまっていた夕刊をまとめて読む。金子光晴の記事が目にとまり、詩集を出してきて、しばらく読む。





人を感動させるような作品を
忘れてもつくってはならない。
それは芸術家のすることではない。
少なくとも、すぐれた芸術家の。

すぐれた芸術家は、誰からも
はなもひっかけられず、はじめから
反古にひとしいものを書いて、
永恒に埋没されてゆく人である。

たった一つ俺の感動するのは、
その人達である。いい作品は、
国や、世紀の文化と関係がない。
つくる人達だけのものなのだ。

他人のまねをしても、盗んでも、
下手でも、上手でもかまわないが、
死んだあとで掘出され騒がれる
恥だから、そんなヘマだけはするな。


■偈(げ)とは仏教の真理を詩の形で述べたもの。うーん、なんだか、励まされるぞ。しかし、金子さん、社会的評価というのは両義的だと思うけどね。




verblüht neigen sich
Rosen, immer noch duftend,
dem Tisch entgegen


萎れた薔薇が
テーブルに首を垂れている
香は今もそのままに


■Balzerの三行詩にはいつも肯定的な契機があって気分がいい。この作品には、今までと違って、切れはない。人生幸福な人が肯定的な契機を持つのは、言ってみれば当たり前の話なのだが、俳句は、否定的な条件を背負わなければならない人が、世界を肯定的に感じる、あるいは、肯定的に笑える一瞬を与えてくれる。感じ方の違いや重大さの違いはあっても、不幸の要素のない幸福はないし、幸不幸の切れ目は、傍で見ているほど、はっきりしないことを思うと、俳句の偉大さがわかるような気がする。Balzerのこの三行詩、いいとは思うけれど、中村汀女のバラ散るや己がくづれし音の中には、太刀打ちできないだろう。
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