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飴山實を読む(23)

■旧暦6月7日、金曜日、のち

午前中、2人を送り出して、自律訓練法をやったら、そのまま眠り込んでしまった。起きたら、1時。近所の自家製小麦粉を使うパン屋に週末のパンを買いに出て、しばらくぶらつく。帰宅後、エアコンの黴取りを行う。

海外医療奉仕に出ている友人が、一時帰国し、面白本のリクエストをしてきたので、コミックばっかり推薦する。コミックと言えば、ここ数日、諸星大二郎ばっかり読んでいた。4冊一気読みで、さすがに、飽きた。家内と娘は気持ち悪いと言って嫌がるのだが、ぼくには、いい気分転換になる。怪奇・幻想系というのは、嫌いじゃなく、今、上田秋成のいくつかの物語と江戸の怪談を古本・新刊で集めている。

東大の野矢茂樹がテレビで言っていたが、座禅は、言語以前の世界に回帰させて、思考をリセットする働きがあると。これと同じように、怪奇・幻想系は、合理的な生活世界に風を通し、目的合理的に再編された世界に別の光を当てる。そっちに取り込まれると意味ないんだが。野矢さんは、日常的に適正と言う事態、つまり常識を理論づけて、穴に落ちた人を救うのが哲学の役目だと言っている。しかし、すぐれた哲学者は、マルクスにしても、ニーチェにしても、ヴィトゲンシュタインにしても、人を深い穴に落とすものではないのか。落とすことで救済するのではないか。あれ、野矢さんと同じことを言っているかな。ま、とにかく、哲学は、大きな問題を睨みながら、小さな問題を考えることも大事だと言った言葉など、かるみ=不易流行を思わせて面白かった。

先週の月曜日、家人が駅前のマツキヨに自転車を一時駐輪したら、松戸市に有無を言わさず、撤去されてしまい、保管料3,000円を要求された。2駅も先の保管所まで取りに来い、という横暴さだ。非常に一方的だし、高圧的で不愉快だ。そもそも、駐輪場を積極的に確保しないようとしない行政に問題があるのに、罰則で事態を収拾させようというもっとも幼稚な措置だと思う。21世紀にもなるのに、いまだにクルマ優先の意識から抜け出られず、駐車場さえ確保できれば、商店街も潤うし、利便性も高いと信じ込んでいる。少しは、クルマの中心部乗り入れを禁じたフライブルクを見習え! といったような抗議と提案(駅前の地下駐車場を全面的に駐輪場に変換せよ)をメールで市長宛に書き送った。いつも「読みました。担当部署に答えさせます」と言うので、「あなた自身の環境問題に対する思想を述べてください。それが市政の最高責任者の義務です」と付け加えた。

今日は、これから、2ヶ月ぶりにサイバーの翻訳を再開する。どうなることやら!



鑿を研ぐひそかな音をかきつばた   『次の花』

■この句は、「鑿(のみ)を研ぐひそかな音を」の「を」の使い方が非常に気になった。ここで、切れるのだと思うが、よくわからない。「鑿を研ぐひそかな音や/かきつばた」だとしたら、「かきつばた」を見ているうちに、心の中の音の記憶が甦り、鑿を研ぐ音が聞こえたような気がした、あるいはリアリスティックに、鑿を研ぐひそかな音を聴きながら、「かきつばた」を見ているという理解だと思う。常識的には、「鑿を研ぐひそかな音を(聴く)/かきつばた」と切れているのだろうが「鑿を研ぐひそかな音をかきつばた(に)」のように結んでいるようにも読めてきて、不思議な味わいがある。句の構造にあいまいさは残るものの、ぼくのように、いつも「や」、「かな」か、名詞切れくらいしか芸のない者には、實の言葉の扱い方の繊細さは非常に勉強になる。

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