『似肖屋(あやかりや)』 旧東海道 江尻宿で商いをしています。ー現在の清水銀座商店街です。ー

でくのぼう シャツ、作務衣、スラックスの製造元です。美と癒しと新和風をテーマに、古代布の復元を目指しております。

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でくのぼうアロハシャツ

2007年02月14日 | Weblog
“でくのぼう”の商標登録の認定が、おりました。

「この商標登録出願については、、拒絶の理由を発見
しないから、この出願に係る商標は、登録をすべきものと
認めます。」という内容でした。

 これで、商標登録は“似肖屋”“似肖布”“でくのぼう”と三つになりました。
だからと言って、何の意味もないのですが、私の場合は、この三つの名前をいた
だいたことに深く感謝をしているので、記念として商標登録をしてみました。
また、今はやりの“ブランディング”を構築できればとも思っています。

 でくのぼうシャツを着て頂くことで、皆様が、幸運にあやかることが出来れば、
これに増すよろこびはありません。
今は、自分がデザインした、半袖でくのぼうシャツの見本が、出来上がってくる
のを首を長くして待っているところです。
そこから四型から五型に絞り、一型につき、十柄から十一柄の布地を選んで、
Mサイズ、Lサイズ、それぞれ各三枚限定で製作していきたいと思います。
今回は、前々から使いたかった、草木染の型染めで薄手のローン布地、
型紙からオリジナルの注ぎ染めの布地を使ったでくのぼう風アロハシャツを、
又、襟なしでは、ラグラン袖の右腕に茶棉(棉の原種)、左腕には柿渋の布地を
使い、身ごろには、大好評の白妙布を使ったでくのぼうシャツを提案していこうと
思っています。
どうぞ、似肖屋の“でくのぼうシャツ”を着て、充実したカジュアルライフを
お楽しみ下さい。

   お問い合わせは、電話か似肖屋のメールでお願いいたします。
     TEL:セブンエビス054-366-2525
        :あやかりや 054-367-7291

          
            あやかりやHPもご覧下さい

   
 


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アメノウズメノミコトのつづき

2007年02月12日 | Weblog
 前回のブログで後日書きますとしるしました。
しかし、誠に申し訳ありませんが、私の拙い文章力では、
アメノウズメ及び月見里神社のことは書けません。

 それは、本に書いてあるアメノウズメノミコトの内容と、
私の聞き及んだ月見里笠森稲荷神社(やまなしかさもり
いなりじんじゃ)のことがだんだんハッキリしてくるのにしたがって、
神社とアメノウズメの関係とか、奉っている訳とかを推測しますと、
なにか宇宙的な大きさを感じまして、私ごときのブログの文章では、
皆様に余計な誤解を与えてはいけないとおもったからです。

 迷いましたが、アメノウズメ伝(鶴見俊輔著 平凡社)の一文を
紹介して、アメノウズメノミコトのことは、閉じようと思います。
軽く読み流してください。

 倉塚曄子(あきこ)によると、まつりの時に、あたまにさす枝葉や花を
「ウズ」といい、「ウズメ」とは、これをさした女ということで、巫女(ミコ)
のことであろうという。この人は、洞穴の前でふせたオケの上にのって
カラオケをふみならしつつ、性器もあらわに神がかりして舞い続け、ついに
アマテラスを岩窟からひきだすのに成功した。「この狂態はシャーマンのものであった。シャーマンは騒擾楽器(そうじょうがっき)の音とともに恍惚状態に入り、
魂を霊界におもむかせ、そこで得てきた霊力をもって病める肉体や魂の治癒をはかる。天の岩屋戸の神話には宮廷儀礼鎮魂祭が投射しているが、これは冬至の頃の
太陽の活力と君主の魂を合わせて賦活する祭りであった。神話におけるアメノウズメの役目は、弱った日の神の力を回復させることにあったのである」(倉塚曄子「天鈿女命」、『日本架空伝承人名辞典』平凡社、一九八六年)。

以上 引用終わります



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アメノウズメノミコト

2007年02月10日 | Weblog
 先日、静岡浅間神社の中にある文化財資料館で
歌舞伎土人形の展示と講演会に行ってきました。
土人形は歌舞伎の場面場面を形作り、講演会では
それぞれの人形の歌舞伎の場面の説明を聞き、
楽しい時を過ごしました。
 展示された土人形は、明治初期から平成までの作品で
動作や顔の表情が印象に残りました。特に歌舞伎の衣装の色は
明治の顔料で画いた衣装と昭和、平成の染料で画いた衣装では、
当然違いがはっきりしていて人形が作られた時代を推測するのに
役立つそうです。
顔料では、弁柄の赤とかインディゴの青、それに緑青の緑、茶系は柿渋でしょうか
それぞれ色あせていて なんとも云えない風情を感じました。
反面、昭和、平成の染料はあざやかでしたがあまり見ませんでした。
多分、十年後も二十年後も色あせはしないと思います。

 講演会は、土人形それぞれの歌舞伎の場面の説明でした。
歌と踊りの技があって歌舞伎と言い、観客と役者の一体感が花道を作り(花道は
役者が客席の中に入っていくと云う意味と、もう一つは、観客がおひねりを投げる場所だそうです。)歌麿の美人画、写楽の役者絵と云う浮世絵の全盛に連がって
いったそうです。
 その講演の中で古事記に出てくるアメノウズメノミコトが歌舞伎の始まりだと
言っていました。
それは、天照大神が弟のスサノウノミコトの乱暴を嘆き 天の岩戸に隠れてしまった時、アメノウズメノミコトが裸踊りを踊って天照大神の注意を引き、アメノタジカラオーが岩戸を開いたと言う神話に基づいた話だと思われます。 
 
 アメノウズメノミコトは、月見里神社の主祭殿でありますので、後日、
本(アメノウズメ伝 鶴見俊輔著 平凡社)から引用させてもらいながら
書いてみたいと思います。






 


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