「京奈和自動車道」
これが実はまったく未知の道でありまして、
のったが最後何処に行くのかワカラナイ。
ただなんとなく、奈良から北のほうに延びていたよーな覚えがあったので、
えいや!
と乗り込んだわけでありまして、この日。
奈良は西ノ京
なんかの雑誌で見た平城宮の朱雀門に、一回行っとけ!
というのがそもそもの発端であります。
そしてダンナはガクセイ時代、
近鉄京都線の車窓から幾度となく眺めた、
また
カミサンも、ボーズのとこに行くのに何回かは眺めてるはずだが、実は常に寝てる
ので「そんなんある〜??」という、
二人とも一度も行ったことのない薬師寺と唐招提寺にも
いっとけ!
という、そんな日でありました。
で、
この日はだから“ウジ”でも“アスカ”もない、もひとつ前の道行きで、
じゃあついでに、
ここもすこーし書いておきますが。
京都のダイガク時分に見知った薬師寺は当時まだ、西の塔はありません。
1981年に再建されていますから。
近鉄特急の窓から木立越しのすぐそこに見えた東塔はそれは厳かで、
この地点を通過することで
田舎のタンボの空気を引きちぎり、ボクは京都の学生に戻っていったように記憶しています。
一見五重か六重に見えるこの塔は、実は構造的には三重の塔で、アワサに控える小屋根は裳階(もこし)というそうです。
この造形が、若い頃の日常の中にアッタというのはきっとラッキーなことだったのだろうと、今になって思います。
今回、それをカミサンに見せてやろーという
まっ、それもありました。
これが実はまったく未知の道でありまして、
のったが最後何処に行くのかワカラナイ。
ただなんとなく、奈良から北のほうに延びていたよーな覚えがあったので、
えいや!
と乗り込んだわけでありまして、この日。
奈良は西ノ京
なんかの雑誌で見た平城宮の朱雀門に、一回行っとけ!
というのがそもそもの発端であります。
そしてダンナはガクセイ時代、
近鉄京都線の車窓から幾度となく眺めた、
また
カミサンも、ボーズのとこに行くのに何回かは眺めてるはずだが、実は常に寝てる
ので「そんなんある〜??」という、二人とも一度も行ったことのない薬師寺と唐招提寺にも
いっとけ!
という、そんな日でありました。
で、
この日はだから“ウジ”でも“アスカ”もない、もひとつ前の道行きで、
じゃあついでに、
ここもすこーし書いておきますが。
京都のダイガク時分に見知った薬師寺は当時まだ、西の塔はありません。
1981年に再建されていますから。
近鉄特急の窓から木立越しのすぐそこに見えた東塔はそれは厳かで、
この地点を通過することで
田舎のタンボの空気を引きちぎり、ボクは京都の学生に戻っていったように記憶しています。
一見五重か六重に見えるこの塔は、実は構造的には三重の塔で、アワサに控える小屋根は裳階(もこし)というそうです。
この造形が、若い頃の日常の中にアッタというのはきっとラッキーなことだったのだろうと、今になって思います。
今回、それをカミサンに見せてやろーという
まっ、それもありました。











