晴暗寺と豊田市の名木No.90号
晴暗寺は国道301号線沿いの林添町寺脇にある。
曹洞宗 晴暗寺
もと三松庵と号した。江戸幕府編纂の「寛政重修諸家譜」には「信弘(松平太郎左衛門家初代)
親長(同5代) 由重(同6代)は林添村の三松庵に葬る云々」とある。
太郎左衛門家8代信和(のぶふさ)の寄進によって、
元禄8年(1695)堂宇をととのえ晴暗寺と号するに至った。
前記三者の宝きょう印塔は、本堂の裏山に遺存する。境内の無縁仏中央の一際大きい
墓石は松平氏始祖親氏に討伐された林添の豪族薮田源吾の供養塔と伝わっている。
昭和62年3月 松平親氏公顕彰会 (立て看板による)
この地図は「http://www.its-mo.com/」から拝借しました。ありがとう。
晴暗寺へ この石積みの上に本堂がある。
山門です。
本堂です。大層荒れている様子で多分無住ではないかと思いました。
本堂横にあった無縁仏です。
記念碑
この無縁墓地は昭和53年度国道301号線の改修工事のため一部の墓地移転を
余儀なくされこれを機会に当林添町地内の無縁墓地10余箇所より当晴暗寺に
移転建立したものであり薮田源吾忠元氏永徳年間(西暦1380)を始めとして
100余体の無縁者の石塔である。
昭和54年4月1日建之 林添町 (立て看板による)
豊田市の名木No.90号のコウヨウザンです。
コウヨウザンです。
学名。 Cunninghamia lanceolata Hook
樹形 胸回り 2.90m 根回り 3.90m 樹高 30.00m
晴暗寺は国道301号線沿いの林添町寺脇にある。
曹洞宗 晴暗寺
もと三松庵と号した。江戸幕府編纂の「寛政重修諸家譜」には「信弘(松平太郎左衛門家初代)
親長(同5代) 由重(同6代)は林添村の三松庵に葬る云々」とある。
太郎左衛門家8代信和(のぶふさ)の寄進によって、
元禄8年(1695)堂宇をととのえ晴暗寺と号するに至った。
前記三者の宝きょう印塔は、本堂の裏山に遺存する。境内の無縁仏中央の一際大きい
墓石は松平氏始祖親氏に討伐された林添の豪族薮田源吾の供養塔と伝わっている。
昭和62年3月 松平親氏公顕彰会 (立て看板による)
この地図は「http://www.its-mo.com/」から拝借しました。ありがとう。
晴暗寺へ この石積みの上に本堂がある。
山門です。
本堂です。大層荒れている様子で多分無住ではないかと思いました。
本堂横にあった無縁仏です。
記念碑
この無縁墓地は昭和53年度国道301号線の改修工事のため一部の墓地移転を
余儀なくされこれを機会に当林添町地内の無縁墓地10余箇所より当晴暗寺に
移転建立したものであり薮田源吾忠元氏永徳年間(西暦1380)を始めとして
100余体の無縁者の石塔である。
昭和54年4月1日建之 林添町 (立て看板による)
豊田市の名木No.90号のコウヨウザンです。
コウヨウザンです。
学名。 Cunninghamia lanceolata Hook
樹形 胸回り 2.90m 根回り 3.90m 樹高 30.00m