三昧日記

凝り性川筋男の後悔日記

二先山に登りました

2016-12-07 19:10:04 | 日記
きょうは隣町の二先山(ふたざきやま)に登った。標高129.5mの低山である。
あらかじめ国土地理院の地図を見て登山口・登山道などを調べて自転車で向かった。当地から見える二先山は巨大な円墳のような丘である。

写真左側に消防署が,右側に市役所(市民会館?)の一部が写っている。
登山口と目される場所の近くに神社があった。近づいてみると鳥居に天満宮とある。菅原道真を祀っているのであろう。

この鳥居の前に斜めにコンクリートの道があるが,実はこの道が登山口に通じていたのであった。(下山して判明した。)
神社を参拝して登山口と目される場所から登山開始!しかし20mも行かないうちに道が消えてしまった。藪とかならまだいいが,畑なのである。どうにも方向が定まらない。
仕方がないので他の登山口を求めて自転車で移動。2~3ヶ所の登山口付近を検分したがそれらしい道は見当たらない。通りかかった2~3人の人に尋ねても全く知らないようであった。
それでもついに登山口を見つけた。

この細い道から入って階段を登ればいいとのこと。
しかし,道が明瞭なのは50mほどであった。とにかく谷筋を登って行くと仏様がたくさん立っている場所に出た。累々というのは適語ではないかもしれないが,とにかく石像が林立しているのである。

中には谷川に倒れて落ちて半分土に埋まった状態のものもあった。
何だろう?ミニ八十八ヶ所だろうか?しかし,88体もなさそうだ。そのうち詳細に調べてみたい。
ここから道が完全になくなった。仕方なしに急な斜面を強引によじ登った。久しぶりの藪漕ぎ。もっとも,今の季節は藪ではなくなっている。
稜線に出たら歩きやすくなった。頂上付近に着くと前方にひもで「とおせんぼ」。

神域を示すものかと思いつつ迂回してその「神域」に着いたら,そこが頂上であった。三角点もある。そこに立って改めて周囲を眺めると2方向に立派な登山道がある。先ほどの紐は「登山道ではないから立ち入るな」という目印であった。
頂上とは言っても眺望は全く利かない。小休止の後出発。
「菅原神社方面」と書かれた方に下った。登山道は幅広く,よく整備されている。
そのうちわたしの好きな場所になった。

いいですね,このような道。
登山口(下山口)に着いた。

このコンクリートの道は最初に立ち寄った天満宮に続いていた。
ところで,登山口の看板を見ると,この登山道は津波の際の避難路になっていた。つまり,海岸に近いこの二先山が高台として避難場所に指定されているのだろう。するとこのよく整備された登山道は,多分東日本大震災後に新たに作られたか拡充されたのだろう。だから付近の住民は知らなかったのだろうか?しかし,津波の際の避難路としたら地域住民が知らないというのも変だ。
謎の多い山だった。(こしあぶらの木は1本もなかった。)

今後この「低山登山」を「低い山歩き」に改める。登山とは言えない山の散歩程度の活動であるからである。記事の名称としては「低い山ある記」としよう。
ところで,前回の記事でそれまでの記録を載せたが,馬ヶ岳を忘れていた。それを加え,今回の低い山歩きを含めると以下のようになる。
1.2016年10月27日 岩石山 450m
2.2016年11月12日 馬ヶ岳 216m
3.2016年12月 1日 障子ヶ岳 427m
4.2016年12月 2日 松山(城) 128m
5.2016年12月 7日 二先山 130m
以上
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天満宮から獣道がおすすめ (とおりすがり)
2017-04-15 15:47:23
とおりすがりのものです。懐かしい山の名前を見かけたので書き込んでいます。
かつて二先山には警察無線の中継所がありました。当時、天満宮からの道 (下りに通られた道) が使われていてました。昭和40年代後半の建設時に資材運搬のために整備、その後は消えてしまいそうな獣道になったりしました。道に迷うほどになり、要所要所の木に赤のビニールテープが巻いてあったのを記憶しています。赤いテープの位置から眺めると次の赤いテープが見つけられる、という仕掛けになっていました。それほど、どれが道なのか判別がつかなかったのでした。「20mもしないうちに道がなくなり途方に暮れる」という状況はよく分かります。当時は看板はなく赤いビニールだけがたよりでした。中継所移転に伴い、2005年頃の撤去時に獣道の木々をきれいに伐採して小型運搬機材が入れるように整備した経緯があります。撤去後10年以上経ちますが、登山者が少ないのにある程度の道となっているのは、その時のなごりかもしれません。なお当時、電線は南側の斜面 (今回の上りのルート方面)を直線に引いてありました。
1975年3月の航空写真 (国土地理院)
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1056064&isDetail=true
建設時に整備した道が確認できます。
もう少しだけ (とおりすがり)
2017-04-15 23:37:05
コンクリート道路は貯水タンク建設時からありました (最近は訪ねていないので、改修されているかも)。コンクリート道路からの登山道は、自分の知っている範囲では中継所撤去時に切り開かれたと記憶しています。それまでの登山道は天満宮の裏で、急な斜面を登っていました。天満宮の裏の斜面の木に最初の目印と狎る赤いテープが貼ってあり、次々と現れる赤いテープを追って登りましたから。天満宮裏から登る経路は、撤去時に切り開いた道と途中で合流する形になっています。ですので、「神社を参拝して登山口と目される場所から登山開始」というのは悪くない目のつけかたかと。
私も30年以上前にはじめて登りました。登り口が不明で1周まわって、あれこれ探索して、結局登り口が分からず、天満宮裏で赤いテープを見つけて「これだ」と思って、よじのぼったことを思い出しました。
お礼 (木下 学)
2017-09-01 10:55:33
とおりすがりの方へ。
いろいろと有難うございました。もう1度登ってみようかと思います。
(ようやく返事の出し方がわかりました。しかし,もう読んでもらえないかな?)
今後ともよろしくお願いします。

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