欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

哀しき信仰妄想・欲を刺激され

2010-03-30 19:59:03 | 破壊的カルト・宗教
宗教の道は 自ら考え、探る性質のものでは無いが故に、信者さんは、その教義を盲信するしか術が無い。 宗教とは、それが森羅万象の法則から紡ぎ出された真理なのか、あるいはそれは誰かの妄想の産物なのか。 それが妄想であるならば、それは何故造られたのか。

昨今、破壊的カルトと呼ばれる組織が、ご利益や冥罰を掲げて信者を集め、蔓延っています。 傍目には、単なるカルト・マインドコントロールを駆使した罠であると感じられるのですが、何故信者は信者と成るのか。それは、信じたいから、信者に成るわけです。 では、何故、信じたいのか。それは、彼らが「欲」を刺激されたからなのです。

曲がりまっすぐ? をみても分かりますが、この信者さんは、「自己を超越したい」という欲を刺激されています。 この様態は奇しくも オウム真理教の信者さんと同質であると言えるでしょう。 

参考: かもめのジョナサン Wikipedia

物語後半からはジョナサンが通常のカモメの飛行能力を遥かに超えた能力を身につけ、それらはすでに飛行という次元を超えており、さらには岩盤に激突したカモメを生き返らせる場面も登場する。それらが原因で新興宗教の布教を連想する人も多い。ちなみに、刺殺されたオウム真理教の村井秀夫幹部も本書の愛読者だった。 また神慈秀明会では、初代会長による本書の解説書を発行しており、その解説書は同教団青年部の布教活動における必携の書とされていた。

オウム真理教の一件を他山の石として得て、その同じ罠に嵌らないのが賢者と言えるでしょうが、新興宗教の信者さんたちの場合はそれは当てはまらないようです。何故か。それは、彼らが馬鹿だから、ではありません。 オウム真理教がエリート集団だったことからもそれは伺えるでしょう。彼らが、愚かにもカルト組織の罠に嵌ってしまうのは、「欲に目が眩んでしまったから」なのです。 眼が眩めば、真理が見えなくなります。

宗教の妄想は、それが救済を目的とするではなく、騙し利用するためのツールであるならば、当然の如く実態と現象の間に隔たりが生まれ、想定外の事態に陥ることになる。それは、親信者の「実態を告げない詐欺的勧誘」から発するものではあるが、親信者もそう為さざるを得ない状況に追い込まれていることから、「無限連鎖講」と呼ばれてしまう。もちろんこれも、組織の思惑である。 修行?過程での歪みは、当然理屈に合わない要素も多く、そこには、親部長や親信者のパワハラやモラハラも含まれる。 親信者もまたそのような、教義の歪みから来る、理屈に合わない圧力を受けているはずであり、それを下流へと流さざるを得ないわけである。 そのような、表面と実体の差異に対して、教団は「人に依らず法に依れ」などと言い、目を逸らさせ誤魔化すが、原因元は、教団の思惑が、その表層とは隔たっていることから来るわけで、この不全なシステムが続く限りは、この種の被害が解決されることは無い。 むしろ、解決を期待してしまうのならば、それは無駄だと言えるだろう。

何故ならば、破壊的カルト宗教は、霊的詐欺のために存在するからであり、信者は、救世のために入信するのではなく、むしろ自己満足を目的としているからである。 その証拠に、信者に説明を求めれば、「教義は真理である」と言うが、それは到底真理とは呼べないような、教団内でのみ通用する独自の「信仰」である場合が多い。故に彼らは、言葉だけで終わり、実証もできず、証拠を示せずに倒れてしまうわけである。 仕掛ける側である教団組織は、「人の欲を満たす麗句」を提供し、信者はそれを喜んで自ら進んで信じる。これは真に理に適った共依存システムであると言えるだろう。

「それは妄想ではない、真実だ」と信者は言うが、その証拠として出してくるプルーフ(証拠)とは如何なるものか。 病気が治った。ご利益があった。人間関係が改善した。これは真実である場合も多いだろう。偽薬効果により病気は治り、麻薬効果により気分は高揚し、選ばれたと言われその気になり、下座の勧めにより協調性が生まれる。しかしどんな破壊的カルトでも効果は在り、たとえばオウム真理教でも在る。創価学会でも在る。 そして、一般社会でも在る。 つまり、どこでも在る。 よしんばカルト修行により改善したとしよう。 しかし、それに伴い、そこに副作用は無いか。 友人を失わないか。献金額が青天井ではないか。おかしなことを口走らないか。嘘吐きになっていないか。平気で、不義理な自己正当化の捨て台詞を吐くように変貌していないか。

それを、プルーフ(証拠)とか言われても、はあ。としか言えません。

そして、カルト組織が生む協調性とは、表面的な他者との融和に過ぎません。何故ならば、教団内では 言うまでも無くコチコチにその教義に染まることが推奨されるからです。そして、その教義とは、表面的な美しさとは裏腹な「詐欺的システム」であるが故に、社会と調和することはありません。 故に教団は、

慈善事業や公の展覧会や、信者を使ったボランティアなどにより、教団の社会性を、殊更に強調するわけです。 これは、「カルトの正当化事業」だと言えるでしょう。
ジャンル:
ウェブログ
キーワード
オウム真理教 カルト宗教 無限連鎖講 ジョナサン かもめのジョナサン 神慈秀明会
Comment (0) |  Trackback (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« 盲信するしかない... | TOP | 聖人への道の険しさ »

Comment

コメントはありません。

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

Trackback

Trackback  Ping-URL

Related Topics