Life Goes On

by Madonnalily

神の正体

2017-04-18 18:07:46 | 日記

アドラー派は信用と信頼を区別する。

 

信用は、裏付けや根拠があってはじめて信じること。

信頼は、裏付けや根拠がなくても無条件に信じること。

 

アドラー心理学では無条件の信頼をおススメしています。

たとえ裏切られたとしても、信じることが大切。

 

オレオレ詐欺の犯人を捕まえたりしたら、バチが当たりそうですね。

またやるかもしれないけど、根拠はないけど信じましょうひよざえもん ラブラブ

というような危険な思想に、なぜ人々は引きつけられるのでしょうか。

そのくせ麻薬で捕まった人のことは悪し様に言う。

 

みんな仲良く、悪魔の眷属目指してガンバロー赤ちゃん

 

 

信仰と信心を区別するなんて、ナンセンス極まりない。

そういう無駄なことに脳みそ使ってるから、肝心の所で脳が思考停止になっちゃうんじゃないの?

 

 

気を取り直して、例では、の続きを書こう。

 

赤ちゃんは母親に対して信心を持っていると言える。

会社は社員を信心して仕事を任せている。

学生は先生を信心している。

 

つまり「信心する」「自分が信じる心」という自分自身の自主性が強くあるだけで、信仰という言葉にはない安心感が生まれる。

 

 

かえって不安な気持ちになるのは私だけでしょうかうれしい

「この世界は無意味である」というコースの言葉が身に染みる。

 

リーマンは「自分自身を、自分の心を、信心、信仰して見てはいかがでしょうか?」とまとめた。

 

だから信心か信仰か、どっちなんだ悪

何のために解読困難な文章を長々と書いてきたんだよびっくり

 

 

幸福な人は自分大好き人間が多い。

でも自己チューはダメ。

自分のことが嫌いでも改善が可能。

(最小限化ちたよわんわん

 

ではどうすればいいのか?

 

リーマンの答えは、

自分の良心を信じること。(信心することと書いてあるけどボツ化)

どんなにダメな自分にも、他人の痛みがわかる良心が実在します。

それが神様の正体です。

「可哀想だな」と思う自分の思い、それは、崇高なエネルギー磁気体なのです。

 

 

悪人でも他人の痛みが分かりますけど、何かばいちゃん

他人の痛みがわかるからこそ、いじめたり、仲間外れにしたりして、相手を痛めつけようとするんですけど、何かU

 

善人は良い心を持っているので、逆に人の痛みがわからなかったりするものです。

善意のつもりでやったのに怒られたり、文句言われたり。

バカにされたり見下されたり。

善人はそんな経験をしながら学んでいきます。

だからこそ人の痛みが「心から」わかるのです。

 

悪人は、可哀そうな人を見ると「可哀想」と言って涙を流し、家に帰ってテレビを見て大笑いします。

善人は、可哀そうな人を見ると考えてしまうのです。

大股広げてバカ笑いしているオバハンを見るたびに、可哀そうなあの人が幸せをになるには、どうしたらいいのかと。

 

 

リーマンは怒るな怒るなと繰り返した。

無思考になれと。

人間は永遠の三才児だと。

 

彼は可哀そうな人々を助ける気などさらさらない。

自分が健康で長生きし、極楽浄土に行くことしか考えてない。

 

まあ、そういう人間が「最も可哀想な人間」だから、人を救えるはずもないのだが。

しかしそういう人間に限って、人を救ってやろうという身の程知らずな野望を持つから困ったものなんだスヌーピー

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