Life Goes On

by Madonnalily

恥を知れ

2017-08-05 19:16:08 | 日記

私って夫が死んで実家に戻った人じゃないですか。

その時、仏壇に父の写真がなかったんですよ。
「写真どうしたの?」って聞いたら、置かない方がいいって細木先生が言ってたって。

はあ?
くだらないこと言ってないで、さっさと元に戻せ!

母は渋々、写真を仏壇の上に置いた。
中でもなく、横でもなく、上に。

そんな所に置いてどうする!
って思ったけど、バカバカしいからそのままにしておいた。笑

細木先生って超バカ。
伊勢白山道と同じくらいバカ。


伊勢白山道も写真を置くな教の信者だった。

これが意外にも「霊界の禁止事項」であり、故人の成仏を妨害する行為だった。

故人という存在は、この世への未練の思いの残存量と比例して、肉体を持っていた時の思いも継続する。
だから故人を安らかにするためには、「常設」での写真展示をしないこと。
命日などの記念日だけ飾ることはよい。
故人の写真や映像を保存しておくのは問題ない。

バカバカしすぎて、気が遠くなりそう。
天国の門は、まだまだ遥か彼方。

なぜこういうおバカ思想が生まれたかというと、仏教もキリスト教もイスラム教も、「偶像崇拝」を禁止しているからだという。

ますますバカバカしい。
だったらなぜ釈尊釈尊言っているのか。
釈尊というのは、ゴータマ王子を神格化した偶像なのだ。
イエスは大工の息子を神格化したものだし、聖母マリアも。

釈尊はよくて凡夫はダメっていうのは、愚者の教えだよ。
そもそも写真があるせいで成仏できない人は、写真がなくても成仏できないだろう。


生まれ変わりをしていく魂の本質として 、「前の形を残す」「引きずる」ということは、生きる人間側が執着心で行う行為であること。
故人は、過去の肉体を引きずるということは、生前の痛みも同様に引きずることになる法則。

死んでみて、この世に残る自分の偶像を見た時に、
私はなんて恥ずかしい自我の主張をしていたのだろう。
穴があったら入りたい。
見たくない、生前の汚点だった。
と思うらしい。

これはバカ山道があの世で実際に経験したことなので、そういう可能性も知っておいていただけると幸いらしいです。

というか、伊勢白山道はこの世でも十分恥ずかしいですけど。
死んだらもっと恥ずかしいと思いますけど。

写真があろうとなかろうと、伊勢白山道の行いはアカシックレコードに記録されている。
死んだ時にどんだけ恥ずかしい思いをするのか、想像することさえできない。

気の毒だから、今のうちにいっばい恥をかかせてやろうと思っているが、バカすぎて話が通じないのだ。
ああ、むずかしい。


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