田の神様のつぶやき

歳とともに憂国の情深まり、日本の将来を政治経済の在り方から見つめていきたい。

統幕長の憲法への自衛隊明記〝ありがたい”はいけないのか、どう言えと言うのか

2017-05-27 00:09:25 | 日記

 昨日(5月26日)の地方紙(共同通信)に、“「政治的な意図なし」 改憲案発言で統幕長釈明”の記事が載っている。

  記事によると、河野幕僚長は23日に、安倍首相が憲法9条への自衛隊明記を提起したことに対し、記者の質問に答える形で「憲法は高度な政治問題なので、統幕長の立場で申し上げるのは適当ではない」と断ったうえで「一自衛官として自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになればありがたいと思う」と発言したとある。

  この発言に対し、共産党は「憲法尊重擁護義務に反し、文民統制の原則を侵すものだ」、民進党は「憲法改正に賛成すると取られる発言だ」と、批判し、罷免も要求しているらしい。そして今日、河野氏はこのような批判に対し「政治的意図はなく、個人的な感想です」と釈明したようだ。

  おそらく幕僚長は、「自衛隊は違憲だ」との多くの憲法学者がいる中で、一自衛官の思い・感想を(憲法に違反していると言われている団体のトップの気持ちを抑えつつ)述べたのだろう。ただ、記者は、憲法違反とまでは言わないが、ほとんどの国民が自衛隊の存在を認めている(事実上の認知)ことから、幕僚長から「自衛隊のことはこのままそっとしておいてほしい(つまり憲法はこのままでもよろしい)」との答えを期待したのであろうか。そうではあるまい、一団体の長にそのような答えが出ようはずはなく、何かを拾らおうしたのだろう。

 共産党や民進党の批判などどうでもいい。あえて、前回のブログで紹介した東大の憲法学者、石川健治氏と宍戸常寿氏に聞きたい。前回両氏が言った「憲法9条は今のところ、このままでよい」ということは「自衛隊の法的認知は当分しなくていい」ということになる。体を張って命を懸けている自衛隊をいつまで日陰者扱いにすれば気が済むのか。国防のトップに個人的な発言も認めない国・国民に田の神様はやり場のない怒りを覚えた。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東大の若手・中堅の憲法学者 憲法議論、論評はするが加わらずか

2017-05-04 23:38:49 | 日記

 4月29日、NHKが憲法改正に対する世論調査で、憲法9条を問うた結果を評して、東大の憲法学者石川健治教授が次のように述べている。国民の憲法9条を「改選する必要はない」という回答が「必要がある」を上回った。9条の平和ブランドを掲げることの意味に関心を持つ人が増えたことは自然だ。施行70年を迎えて憲法が定着したと感じる。  54歳の石川健治氏が「70年を迎える憲法が定着した」と評するのは変な感じ。国民に定着した憲法はいらってはいけないと聞こえますね。

 次、昨日5月3日の日経新聞の「私が考える憲法」欄で、ここも東大の憲法学者宍戸常寿教授は述べている。「自衛隊は違憲だ」と言う学者がいるから自衛隊の存在を認めるために改正するというのはおかしい。(自衛隊は)すでに国民に正当なものとして受け入れられ、活動している現実がある。  これもおかしい。憲法の専門家(学者)が9条をそのまま解釈すると、自衛隊はどうみても憲法違反になると言っている。しかし国民はそれでもいいじゃないかと言っているのだから、それでいいんだ。これが東大の憲法学者の弁、変な感じですね。

 ところが、5月2日の地方紙(共同通信)の憲法施行70年インタビュー(上)で、上智大の憲法学者高見勝利名誉教授は次のように述べている。本来の意味で改憲の議論になるのは、9条しかないでしょう。9条以外の項目から改正議論を始めるのは邪道です。安倍晋三内閣の集団的自衛権容認により9条は規範として歯止めが外され実質的に破壊された。改憲により現状に合わせるのか、現状を憲法に合わせるのかを選択する時期に来ているでしょう。  「芦部憲法学を読む」を著わした高見教授の言わんとされる方向は想像がつきますが、議論はせよと言われています。

 それにしても、長老の学者が「憲法についてまっとうな改正の議論であればいいよ」と言われている。ところが東大の若手(?)教授たちは「9条について正面切っての議論はしたくない。」と言っている感じ。偏差値の最高峰の東大では憲法は学ぶもので、議論するもの(考えるもの)ではないのかもしれません。あるいはお二人にとって、憲法9条はまっとうな議論が出来にくい条文なのかもしれませんね。日本の憲法学会を先導しようとされている東大の中堅学者、これからも「今は(いつまで?)憲法を変えるべきでない」と言い続けるのでしょうか。お二人は、護憲派にとって最高の後ろ盾になれますよ。今後が楽しみです。

(護憲派憲法学者団体の全国憲法研究会代表だった芦部信喜教授の頃は良かったですね。憲法は変わっていないが、時代は変わるのです。だから前は良かったのです。)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

老人ホームでの人工呼吸器操作ミスで死亡ニュース。あえて尊厳死した母の事例を紹介したい。

2017-01-28 14:53:03 | 日記

 昨日27日朝、NHKラジオ・関西ホットラインから、大阪府下の有料老人ホームで人工呼吸器の電源操作ミスで入所者が亡くなったとのニュースが流れてきました。ちょうど日本尊厳死協会から送られてきたLivingWill1月号で(特別座談会)小泉純一郎元首相“最後をライオンのように”を読んでいるところでした。このニュースを聞いて、私はお年寄りが人工呼吸器でなくなったこと以上に、老人ホームで延命装置をしていたことに衝撃を受けました。“大往生したけりゃ医療にかかわるな”(石飛幸三氏)の言葉にあるように、日本の病院では自然死は望めません。ところが安らかに死ねるはずの老人ホームで、どうして人工的にガスを送り込んでヒクヒクしながら苦しい末期を送らなければならなかったのか、やりきれない気持ちになりました。

 そこでまったく私的なことですが、昨年末、母が特別養護老人ホームで97年の大往生を遂げた事例を紹介させてもらいたいのです。以下は私の属するプロバスクラブと言う団体で話したことをそのままお伝えします。

 母は8年間、老人ホームで温かい介護を受けてきました。母が大分弱ってきた2年前、老人ホームとの間で看取り介護の同意書を交わしているのです。その中でお母様は、最後はご自宅にされますかとか、延命を希望されるのでしょうかと聞かれています。その時私は、母は最期まで皆さんにお世話になりながらこのまま逝きたいと望んでいるはずです。従って延命は一切いりませんし、点滴も必要ありませんと言いました。

  昨年12月13日、私の属する丹波医療再生ネットワークが“尊厳死・あなたらしい最後の迎え方”と言う市民講座を開いており、プロバスの数人の方も聞いてもらいました。そこで言われた尊厳死とは、その人の末期に際して、自己決定で自分の死に方、延命装置の不開始または中止を求めた自然死を言うらしいのです。要はいらん事せず自然に死なしておくれということですね。私は母に代わって、老人ホームとそこの主治医の先生に尊厳死をお願いしていたのです。

  母は11月終わりごろから食事をとらなくなってきました。主治医の先生も、食事が呑み込めにくくなったのだから、無理しなくてもよろしいよと言ってもらっていたようです。尊厳死のパワーポイントメモには、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」と書かれている一方、「かかりつけ医を持って、話し合いを」とか「在宅医の選び方」の項目があります。母や私たちは、本当に良い主治医に最期を見てもらったと感謝しています。私は時間の問題かな、何日もつかなと思うようになり、そのころからは、2日おきに妻と母を訪ね、ほとんどものが言えなくなった母に何かと話ししましたちょうど11月終わり頃から12月は私も用事を抱えていた頃で皆様にも迷惑をかけましたね。母には冗談半分に、「お母ちゃんこっちも都合があるしな、教えてよ」といい、介護師さんから、「まあよう言うてや」とたしなめられました。確かに、この「旅立ちにあたって」と書かれた老人ホームからもらっているシオリには、臨終のときにも、“耳は最期の時まで聞こえていると思われます”と書いてあります。母は息子の冗談を冗談と知りながらよく分かっていたのかもしれません。私たちは、行った時にはいつも枕元にある、看護師さんや介護師さんの介護記録を読ませてもらいました。そのメモには、体温や血圧、脈拍、喉のゴロゴロのあるなしと共に、ほとんど笑顔ありとの記録を見て安心して帰りました。それにしても、臨終の頃の介護記録に、しきりに笑顔ありの言葉が書かれているとは驚きですし、母が仏さんの境地に近づていたのか、老人ホームさんのお世話が御釈迦さんのような慈悲深いものだったのかと思われます。大晦日の日は、主治医の先生が往診日ではないのに来てもらったそうで、その話から気になり、昼と夜、母の所に行くとやはりニコッとしてから、大きく口をあけて何か言っているのです。妻が、「しんどいの」と問いながら、「お母さん、ありがとうと言われているんじゃないの」と言うのです。確かに、口ぶりはありがとうと言っていました。母は31日の夜中11時15分に今が一番良い時と考えて、笑顔ですべてに感謝して死んでいったのです。

 日本では医師会も弁護士会も尊厳死に反対していると聞きます。老人ホームでさえ人工呼吸器など延命装置をやっている背景はどこにあるのでしょうか。

 小泉さんは「ずーっと以前からね、お見舞いに行った病院で意識もないのに“スパゲッティ状態”でいる人を見かけることがあって、あれは良くないと思っていた。昔の人は治療の手立てもなく、食事もとれなくなったら老衰で死んでいった。自然とね。できたら自分もそうありたいと思い‐‐‐。」と言われています。

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「自由の国の民主主義」は11月20日の丹波新聞の読者の声です。一読の価値あり、届けます。

2016-11-22 12:06:19 | 日記

 11月20日は丹波市の市長と市議会議員の選挙のあった日です。田の神様はこの日の丹波新聞の読者の声“自由の声”を読んで「その通り」と相槌を打ちました。どうしても全国の皆さんに読んでもらいたく、投稿者の了解を得てそのまま電波に乗せてもらいます。

 「自由の国の民主主義」  

 丹波市の選挙らしい。候補者名連呼にうんざりと諦めの日々。

 さてアメリカの大統領選。トランプの当選に対し、デモだ暴動だと報道が続く。選挙の過程で大きな違反があったのならともかく、正当な手続きを得た勝者に対し、今さらその資質を問う意味が理解できない。たとえ不本意でも多数決で示された結果に従うのが民主主義。子供の駄々でもあるまいに、意に染まぬ結果だからと、堂々と抗議行動がまかり通るとは、さすが自由の国アメリカ。

 ところで日本でも同じようなことが最近あった。安保関連法制。法案成立は議会制民主主義の正当な手続きに則って進められたが、成立前後には抗議行動のあめあられ。法案採択は国会の役割と中学生ですら学習する事柄を、議事堂を取り巻いて外野からの圧力。正当な反対手法を論ずべきマスコミは、数の暴力だと頓珍漢な論調で政府を批判し、挙げ句には戦争の悲惨さを訴える不可解な理屈で法案反対を先導(扇動)。これまた自由な国だことで。

 どうでしたか。

 丹波新聞は兵庫丹波(丹波市と篠山市)だけの小さな新聞ですが、このような読者に支えられています。よく、新聞のレベルは読者層で解ると聞きます。新しい市長、市会議員も頑張らなくちゃいけませんね。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

憲法学者、憲法解釈を飯のタネにせず、学生に「憲法を考えてみよ」と言えないのか

2016-11-03 22:09:46 | 日記

 今日11月3日は日本国憲法が公布されてから70年を迎えた日だ。新聞各紙の論調にもどかしさを感じ、日ごろの思いをぶちまけてみた。(荒い言葉で失礼)

 第二次世界大戦で日本は中国、東南アジアに侵略戦争を仕掛け、連合軍に負けた。徹底抗戦を叫んだ陸軍や一部思想家の主張は国体護持、つまり天皇制の維持だった。マッカーサーは昭和天皇に会い、天皇に責任を問うべきでないことを知り、また占領政策のためにも天皇制存続の必要性を感じ米国に伝えた。

 さらに、マッカーサーの示した日本国憲法草案は、天皇制を認める一方で日本を2度と戦争のできない国、日本を丸腰にする内容だった(GHQ民政局主導)。丸腰とは、侵略、自衛に関わらず、一切戦争をしないユートピアの国にすることであった。これに対して、共産党の野坂参三でさえ「自国を守らないような国は独立さえできない」と反論、“自衛権の保持”を主張した。

 芦田均を中心とした憲法改正委員会は、アメリカの丸腰原案に対して、9条1項で国際法の認める“国際紛争を解決する手段として”の戦争、侵略戦争は放棄する、暗黙裡に自衛権は認めるとし、2項で“前項の目的を達するため”、戦力は保持しないとした。2項の“前項の目的を達するため”の文言を入れたのは芦田均とされており(芦田に進言した者はいるが)、芦田修正案で自衛隊も日米安保も可能となっている。

 これに対して今の共産党(野坂のような政治家でなく観念論の組織)は、侵略に対しては正当防衛を認めるが、防衛のために事前に軍隊を持つことは憲法上認められないとする。つまり攻めてきた場合、国民は一丸となって持てる武器=竹やり(兵器でない)で守るより仕方がないとしている。それでは、ロケットで撃ってくる水爆はどうして防ぐのかに対しては “?”(分からない、聞かないでと言う)。

 さて憲法学者、半数(朝日新聞調査)は、自衛隊や日米安保は憲法違反としているらしい。また一部はこれらを認めながら、自衛でも個別的自衛権は認めるが集団的自衛権は認めないとする。国際法上自衛権については、集団的自衛権は個別的自衛権同様認めているが、日本国憲法に限って認めるわけにはいかないとする。“だって、歴代の内閣法制局の長官が日本国憲法上集団的自衛権は認められないと言ってきたでしょう”と。

 憲法で飯を食っている限り、つまり学生に平和憲法を教えている限り、自らこの憲法の問題点を見出し改正の必要性を解くわけにはいかないようだ。もし集団的自衛権を認めるなら憲法を改正すべきだ、ただし、その時には“反対しますが”と言っているようだ。日本は冷戦時代日米安保でアメリカに守られていたが、冷戦が終わり中華思想の中国が拡大戦力で日本を脅かしている現状を見て、日本の学者はどう考えているのだろうか。そんなこと知らないとするのか。

 私は、日本国憲法はアメリカの押しつけでもなく、歴史が、そしてその時の時代が生んだもので、先述のように日本の意思も入っていると認めている。立憲主義も単に啓蒙的解釈で住民を権力者から守る思想だけでなく、成熟した民主主義国家においては主権在民により国民が現在・未来へのルール作りにいかに参画するかに重点を移すべきである。日本国憲法も不磨の大典ではない。時代が生んだにしろ70年前の時代の産物たる憲法が、現在の国民を縛っているとすればそれこそ非民主的現象と言わざるを得ない。

 かつて民主党の江田五月氏が認めたように、日本国憲法も時代に合わなくなっているところがある。今回は一点のみ、9条は置いておいて、参議院の在り方のみ取り上げる。日本は議院内閣制をとっているが衆院で選ばれた総理大臣が参院でつぶされることもある不完全な制度だ。かつて衆参ねじれの時、小沢さんの揺さぶりで福田(康夫)さんが「泣きたくなるほど頑張っているのに」と言いながら総理を辞した。護憲メディアの朝日新聞でさえ、参議院の在り方を問うたことがある。大学教授は憲法を教義のように教えるだけでなく、学生に「君たち“自分なら憲法をこのようにする”と考えてこい」と言ってみてはどうか。      さあ、憲法論議を始めよう!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加