先日久しぶりに石巻に行ってきました。
前回来たのは3月末だったから約半年振り位かな?
まず訪れたのは湊中学校。
ここは最初に前回最初に訪れて泥掻きした場所。時計は当時の時間で止まったままに…
しかし確実に時は流れ前進していました。
この学校が瓦礫を塞き止める形になり、凄まじい量の瓦礫で埋め尽くされていた校庭は
キレイになっていました。
そしてまず綺麗にした講堂はこの地域の炊き出しの拠点になっていました。
今はほぼ役目を終えてひっそりと静まり返っていました。
そして門脇地区へ。
ここには傾き機能を失った石巻市民病院。
門脇小学校が未だ無惨な姿のまま。
しかし周辺はかなり片付けられて復興し始めている事をヒシヒシと感じる事が出来ました。
そしてそこからすぐの旧北上川沿いのおばちゃんの家へ。
前来た時には石を投げれば困っている人に当たるんじゃないかと思う位の状況で
偶然通り掛り泥掻きした家だ。
水が手に入らない状況でおばあちゃんは目の前の川の水で洗濯したりやり過ごしていました。
今では防波堤が出来ていました。
家を訪ねましたが残念ながらおばあちゃんには逢えなかったけども生活感はあったのできっとここに住んでいるのだろう。
庭は綺麗になり流されて来た浮き輪を飾ったのだろうか?本当に良かった。
もちろん町中の瓦礫を撤去しているのでそこら中に瓦礫の山が…
これからはこの瓦礫の山をどこに持って行くかも問題になるのではないだろうか?
そして石巻イオンへ
ここでは骨髄バンクのパネル展が。今回はこれを見に来るのもひとつの目的。
このパネル展を企画したのは石巻在住の骨髄バンクボランティアの方。
その方は息子さんを白血病で亡くし今でも「さっとの笑顔」というタイトルで
パネル展を全国で行っています。自身も被災し家は流されてしまいました。
しかし、「こんな時だからこそやらなくて!」はという思い出実施してくれました。
翌日には東松島地区に向かいボランティア行ってきました。
東松島には初めて行ったけれどあまり人が来ないのか石巻より復旧が遅れて居た様に感じました。
そしてさらに翌日から今回のメインの目的東日本大震災被災者患者支援基金を広めに各地の役所病院へ。
まずは一関市役所を皮切りに…
県立一関病院
岩手病院
千◯病院?!(読めなかった!?)
そして陸前高田へ
途中橋が無くなっていたりしてナビ通りに全然進めませんでした。
ナビでは陸地の部分が海になっていたり、津波の威力の凄まじさをいまだに感じる事が出来る地域でした。
そして有名な奇跡の一本松。
ホントこの一本だけがポツンと生き残っていた。
この辺りは海と高さがほとんど変わらずこの団地は海の目の前で5階まで被害が出ていた。
よく耐えたっという表現が正しいのかも知れない位周りには何も無くなっていました。
寄る予定だった高田病院も被害を受けて営業してなかったので大船渡へ…
この海の沖から津波がやって来たそうだ。沖には防潮堤があったけれどそれは無惨に破壊されて
跡形も無くなっていました。
この辺りは海から10分位内陸に入った所で海とは全く関係無く感じるけど川を逆流して津波が
やって来て被害を受けたようだ。流されて来た車があったり、
山の裾の木が海水で枯れていたり。
この旅でたくさんの地域に行きたくさんの病院をまわり被災者患者支援基金を
伝える事は出来たのかな?でも、会う人会う人前向きな人が多くて
もう前を向くしか無いっと言う気持ちをとても感じました!
俺も闘病中はもう生きるしか無い!って思っていたから以外に前向きだった。
未来しか考えられなかった。それに近い感覚なのかな?
ここは石巻の日和山山頂。全国の人への感謝のバナーがあるかたわらに
こんな本音のメッセージがあったり…
まだまだ心の傷が癒え、本当の意味で立ち直るには時間が掛かりそうだ。
でもこんな時でももちろん骨髄移植を必要とする患者さんは現れるし、その患者さんの為にも
骨髄バンクを広めなくてはならないと更に思いました。必ずSNOWBANK PAY IT FORWARDを
実現させなくてはと。
帰りにはスノーボードセクションを作ってもらう平さんが居るシュレダー二本松店へ…
シュレダーも今回の震災で被害を受けたお店。それは揺れも津波もあるけど一番は
風評被害。今回のイベントでは9月14日から配信される
F-WORLDにも
参加してもらい福島の今を伝えてもらう予定です。
荒井daze善正著書「NO SNOWBOARDING NO LIFE~スノーボードがくれた命~」