この間、押しボタン信号を押して何の疑いも無く渡る子供を見てフッと小学生の時の思い出を思い出しました。
それは小学3年生の頃だったかな〜。
何の授業だか覚えていないけど通学路にある押しボタン式横断歩道の渡り方を
実際の通学路の押しボタン式信号機で授業する機会がありました。
その授業で先生は押しボタンを押して普通に渡ろうとしている生徒を
「お前、押しボタンなんか押して渡っているんじゃない!」
「お前が一人渡る為に押しボタン押して車を止めてどうするんだ?」
「押しボタンを押したからって車が来ないと思っているのか?」
と怒ったんです。
そして「ちゃんと自分の目で車が来ていない事が確認出来ていれば轢かれる事も無いし押しボタンなんか押す必要はないんだ!」っと教えてくれました。
いまだに俺は押しボタン信号を押す事は余程の大通りでない限り押しません。
もし押したとしても癖で左右を確認してしまいます。
当時はよくわからなかったけど今はこの授業でとても俺は育てられたと思います。
俺はこの授業を受けるまでは押しボタンさえ押せば車は来ないと思っていました。
でも、押しボタンを押したとしても、もしかしたら信号を見落とした車が突っ込んで来るかも知れないし、居眠りが突っ込んで来るかもしれない。
押したら車が来ないという常識や固定概念をぶち壊してもらえたからです。
信号なんて単なる規則だ。
「赤では止まれ」
しかし、赤だから車が来ない訳では無い。
信号を信じるのでは無く自分の目で確認する事を学んだ俺は青信号で渡っている時も「車が来るのでは?」っと左右を確認してします。
世の中、規則や決まりが整えられて様々な常識が存在し、その常識が人間をドンドン鈍感にしているのだと今は思う。
今の子達はどう教育を受けるのだろうか?
「信号は信号を守って渡りましょう〜!」かな?
俺はそんなモンは教育でも何でもないと思っている。
信号を守って渡って車にハネられて失った子が、「信号守って渡っていたのに!」って言って帰って来るだろうか?
帰って来ない。
教育とは「信号を守る」事を教えるのではなく「どうしたら安全に渡れるかを自分で考える事を教える事」だと俺は考える。
それを知っている子は信号を守る事しか知らない子より間違い無く安全に過ごす事が出来るでしょう。
それは人生すべてに通じる事だから。
「安全です!」って人が言ったから安全とは限らない。
「良いです!」って人が言ったから良いとは限らない。
今、目の前の事を自分で確かめ判断する事が大事なんだよ。
当時は意味が分からなかったけど、この授業にはとてもたくさんの深い内容が込められて居た事を感じます。
もちろん今こんな事を言う先生が居たらすぐに大騒ぎになるんだろうな〜
それなら親が教育してやるしか無い!っと思う今日この頃でした…
それは小学3年生の頃だったかな〜。
何の授業だか覚えていないけど通学路にある押しボタン式横断歩道の渡り方を
実際の通学路の押しボタン式信号機で授業する機会がありました。
その授業で先生は押しボタンを押して普通に渡ろうとしている生徒を
「お前、押しボタンなんか押して渡っているんじゃない!」
「お前が一人渡る為に押しボタン押して車を止めてどうするんだ?」
「押しボタンを押したからって車が来ないと思っているのか?」
と怒ったんです。
そして「ちゃんと自分の目で車が来ていない事が確認出来ていれば轢かれる事も無いし押しボタンなんか押す必要はないんだ!」っと教えてくれました。
いまだに俺は押しボタン信号を押す事は余程の大通りでない限り押しません。
もし押したとしても癖で左右を確認してしまいます。
当時はよくわからなかったけど今はこの授業でとても俺は育てられたと思います。
俺はこの授業を受けるまでは押しボタンさえ押せば車は来ないと思っていました。
でも、押しボタンを押したとしても、もしかしたら信号を見落とした車が突っ込んで来るかも知れないし、居眠りが突っ込んで来るかもしれない。
押したら車が来ないという常識や固定概念をぶち壊してもらえたからです。
信号なんて単なる規則だ。
「赤では止まれ」
しかし、赤だから車が来ない訳では無い。
信号を信じるのでは無く自分の目で確認する事を学んだ俺は青信号で渡っている時も「車が来るのでは?」っと左右を確認してします。
世の中、規則や決まりが整えられて様々な常識が存在し、その常識が人間をドンドン鈍感にしているのだと今は思う。
今の子達はどう教育を受けるのだろうか?
「信号は信号を守って渡りましょう〜!」かな?
俺はそんなモンは教育でも何でもないと思っている。
信号を守って渡って車にハネられて失った子が、「信号守って渡っていたのに!」って言って帰って来るだろうか?
帰って来ない。
教育とは「信号を守る」事を教えるのではなく「どうしたら安全に渡れるかを自分で考える事を教える事」だと俺は考える。
それを知っている子は信号を守る事しか知らない子より間違い無く安全に過ごす事が出来るでしょう。
それは人生すべてに通じる事だから。
「安全です!」って人が言ったから安全とは限らない。
「良いです!」って人が言ったから良いとは限らない。
今、目の前の事を自分で確かめ判断する事が大事なんだよ。
当時は意味が分からなかったけど、この授業にはとてもたくさんの深い内容が込められて居た事を感じます。
もちろん今こんな事を言う先生が居たらすぐに大騒ぎになるんだろうな〜
それなら親が教育してやるしか無い!っと思う今日この頃でした…













最近の教育は規則を教える事ばかりで本質を教えていないから人間力が不足している子が増えている気がします。まずは教える側が人間力を持たなくては。
赤信号でも渡れる感覚が身に付くのも危ないと思うし、何が正しいとかはなく大人の勝手な判断でしょ。
もちろん押しボタンを押して渡るのは大事ですね!ただそれに頼るのではなく押しても自然と注意する事が身に着ける事がベストですね。そして正しいとかは大人の勝手な判断というより人それぞれの価値観ですね!
自分で良く噛んで考えて判断するのが大事
震災の時のTwitterなんかで感じました
そうなんですよね〜それが出来るのと出来ないのとでは何かあった時の対応力が違いますよね!それが出来ないとすべて真に受けてパニックになる。そういう人は停電で信号がついてなくても何の問題も無い。
でも、目の不自由な方も大勢いらっしゃるし、聴覚の不自由な方もいらっしゃいます。
また、一生涯、あるいは一時的に足が不自由で、ささっと横断歩道を渡りきれない方だっているのです。
その先生が間違っているとは言い切れないけれど、少なくとも障害を抱えている方々への配慮も、教師には、そして教育には必要です。
あの先生はかなりの変わり者で有名だったから、もしかしたら世間一般的に間違った先生かもしれないですね!俺がかなり前向きな部分だけ捉えているだけカモ知れないですしね!ただ、あのクラスに耳が聞こえなかったり不自由な子が居たらきっとあの先生は人より入って来る情報が少ないその子達に、ウチら以上にあらゆる視点から考え注意する事を提案してたかも知れないですね〜。まあ、それ位変っていて「先生みたいな大人になりたい!」とは思えない様な変な先生でした!?