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幕末長州を中心とした「攘夷」の盛り上がりの歴史的意義について  久坂玄瑞、寺島(作間)忠三郎などの生き様から

2017年05月16日 | 魂の人間学
幕末明治維新の攘夷は、歴史の経過を単純に見てしまえば、その路線は間違っていたことになる。しかし、明治維新は日本でまれにみる歴史上の転換点であって、その変革にかかるエネルギーは莫大なものであった。
化学反応で言えば、本来の変革エネルギーの位相分に加えて、より大きい活性化エネルギーが必要だったのだ。個人の人生と同じく、歴史は最初から一直線に進むのではなく、経験や試行錯誤を重ねながら進むのである。理屈では説明できない一見無駄とも思える溢れる情熱などもあるだろう。
1864年の禁門の変で、久坂玄瑞や寺島(作間)忠三郎が自刃したり、四国艦隊下関砲撃事件によって多大な敗北を味わった長州の攘夷路線は、ひとまず終わる。長州ファイブとして英国に留学して英国の繁栄を祖国日本と比べて圧倒的な差を肌で感じた伊藤(利輔)博文、井上馨などの必死の呼びかけなどもあった。しかし、この攘夷路線による盛り上がりがなければ、倒幕など多分できなかったであろう
西郷隆盛なども、攘夷のエネルギーを倒幕のためのエネルギーにうまく利用したと言えるのではないだろうか。西郷の部下でも、当時は、このことがわかっていなかった者が多くいたようだったが、西郷には倒幕という目的のために、この攘夷という人心糾合のエネルギーが必要なことが分かっていたのだ。
吉田松陰なども攘夷路線の魁のように言われる面もあるが、洋行してこの目で外国の状況を確かめる必要を感じていたからこそ、黒船への密航を企てたのだ。最初からすべてを打ち払え、という単純な考え方であったわけではないことは明白だ。
しかし、久坂玄瑞は、吉田松陰の生き様を継承している部分がある。
そして自ら練り上げた思索・思想からも、諸侯頼むに足らず、まず自らから始める草莽崛起が必要だとの思想を持つにいたる。
久坂が陽明学を学んでいかたかどうかは不明だが、師の吉田松陰は、陽明学を学び、それを実践し、教えにも生き様にも表れていただろう。
久坂玄瑞や寺島(作間)忠三郎には、伊藤博文や山縣有朋などとは、違った使命があったとしか思えない。自分たちは果実を得られなくても、大いなる活性化エネルギーとして完全燃焼して、明治維新という化学反応を起こさせしめる役割を担ったとはいえないだろうか?
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