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「理」に偏重した朱子学・・身分制度、君主権の偏重も問題に

2017-05-15 18:31:24 | 愛について

朱子学の弊害

朱子学が様々な弊害をもたらした一番の要因は、あまりにも「理」に偏重した思想となってしまったことである。

朱熹が説いた「性即理」と言う実践論の考え方は、まず「性」と言うのは心の静かな状態だという、その「性」が動くと「情」となり、さらにそれが不安定になると「欲」になるという。だからいかに心を「性」たらしめるか?「情」を統御して「性」に至らしめることが自己修養であり、倫理だと言うことである。「理」と言うのは宇宙の普遍的原理である。人は自己修養で「情」を制御することで「性」の状態にのみ「理」があるとした。これが「性即理」と言うことである。

 

朱子学と科挙制度

さて、朱子の学問が問題となってくるのは、朱子学が国の学問となり、科挙試験の項目となって行くことにより引き起こされてくるようになる。朱熹が存命中は弾圧を受けるなどするが、その後国の教えとして受け入れられるようになり、元の時代になると科挙試験に準拠する学問として認められるようになっていった。

明の時代になると朱子学は科挙試験に合格するための学問となり、さらに政治の場では支配体制維持のための教学となるようになり、弊害が目立つようになってきた。そういう中で実践論としての王陽明などが登場してくるようになるのである。

 

「情」を否定し、「知」に走り、「四書」と言う限られた文献をのみ教科書とした科挙制度の結果、行政を預かる役人達は極端な「理」中心の行政となり、表向き「理」に走るようだが、行政官たちは、自己の保身と利益に走るようになり、一見「王権」を奉じているようだが、実は「王」の意向とは関係なく、中間管理の役人たちは私利私欲を貪る結果となって行った。

 

四書を解釈した朱熹の体系のみを絶対化した結果

「朱子が解釈した四書」以外の学問を異端視して排斥し、自分たちが権力を独占する結果ももたらした。朱子の解釈した「四書」を絶対視することにより、人間本性に基づく新たな解釈や見解を極端に嫌い、排斥していった。

身分制度を固定化して、自分たちの地位を守り、科挙試験に合格した知識を誇り、学問のない一般庶民を蔑視して、酷使した。

最終的には民心の指示を失い、王権自体の衰亡へ向かっていったのである。中国においては明の時代の末期が斯くの如くであった。また朝鮮でも朝鮮時代の末期には両班層の腐敗と堕落が進み、実質的に王権の権威が失墜し、また経済政策の無策と厳しい階級制度の結果産業や文化の発達が極端に制限され、国家の衰亡を招いた。

日本の場合は、朱子学が幕府の御用学問になって幕府の行政が朱子学的になったが、中国朝鮮のように科挙制度を取らなかったため、実際の行政には様々な思想や理念をもとにした実質的な行政が行われることが多かった。また中国、朝鮮のような極端な身分制度も取らなかったため、民心も良好であり、産業や商業の発達も見ることが出来た。

中国明朝の遺臣であった朱舜水が来日、水戸光圀がこれを受け入れ、それがもとで水戸学が構成されて行った。水戸学では四書に代わって尊王皇国が主要な趣旨となり、その後の明治維新やその後の日本の行政のありかたに影響を及ぼした。後醍醐天皇による建武の新政や楠木正成を忠臣として再評価したのも水戸光圀公であった。

これらは明治以降、行政の主権を握って行った軍部の行政手法に影響を与え、皇国を奉じながら思想弾圧で国策を遂行する手法が、敗戦を招く結果ともなった。


朱子学絶対化の結果がもたらした国力の低下

朱熹は四書を根拠とする膨大な学問体系を作って、ある面では学問研究を著しく進展させたかの如くであるが、その実彼の学問は行政権を独占した学者あるいは科挙試験にすべての価値を置いた学閥に国家の行政権を独占させる結果となり、実質的な発展や理を求めることよりも定められた学問的倫理観に縛られることにより、社会発展を阻害する結果を招いた。

経済や軍事は支配権力者の利益が優先される結果となったため、経済は脆弱、軍事は他国の侵略に無防備の結果となり、近世においては、欧米列強の進出を許した清朝や、朝鮮王朝の衰退と混乱をもたらす結果ともなった。

儒学を奉じた東洋三国が欧米列強の進出を許し西洋近代化の波から逃れられなかったのは固定化した朱子学的な行政の結果と見てもいいだろう。唯一日本だけがその傾向性が弱く様々な学問や西洋の文化を許容して取り入れる風土を持っていたために生き残ることが出来たとも言えるだろう。

 

今なお続く朱子学の弊害

朱子学が残した社会制度や、思考方式の弊害は、今なお続いている。

中国は四書を毛沢東語録に置き換え、共産党を絶対権力としてそれ以外の思想や権力を認めない独裁国家を形成してきた。かつて科挙試験を合格した役人の座に共産党が君臨して支配権を独占してきているわけである。

半島においては北朝鮮は四書の代わりに金日成の語録でもある主体思想を置き、金一族絶対権力化で金一族を神に代えた絶対権力国家として今の今まで続いてきてその限界を露呈しているのである。

南の韓国はどうであろうか、一応民主国家の形態はとりながらも、学問優先の風土は変わらない、有名大学を優秀な成績で合格し、現代の御用商人として強大化した財閥や国家権力を預かる役人になったものが権力をほしいままにする国家体制になってしまっている。自国が全てであるとして他を排斥する朱子学的性向は極端な反日思想となって外交的混乱を来して国家の行く道を阻んでいる。

今まさに統一家、家庭連合も同様の朱子学的弊害に浸食されている。教会権力を握った一部権力が、真のお父様を立て、今はそれが真のお母様の権威としながら、実は権力を独占して、一般会員の発言や行動を阻み教会権力に従わざるを得ない状況を作っている。個々人の自由な発想や自立を阻害して、権力の意向に絶対服従するもののみを重用して他を排斥する、自由な発想や行動を規制するため、創造性は発揮されず、教団の発展は完全に阻害され、脆弱化して行っている。

挙げればきりがないほどに、朱子学のもたらした弊害は大きい。

 

日本にも朱子学の弊害はあったことはあったけれども

日本がアジア三国の中で唯一西欧列強の進出を食い止め、東洋的精神伝統を守りながらも産業文化を発展させることが出来たのは、朱子学に対抗する陽明学を取り入れたことにあったとも言える。陽明学は「愛」を重要視した、また「致良知」や「至誠測達」の精神を尊重して個人の自発的発想や行動を促し、また行政においても身分にかかわらず公平な治世を行ってきた結果であろう。

 

朱子学の残した弊害からどのように脱却するかが今日の重要な課題となっていることは間違いなかろうと思う。

家庭連合における問題の解決もここにある。

 

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