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Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

「信じる」信仰時代は終わった。・・最も大切な宝物を蔑ろにしてきていたことに気づくべきです

2017-05-03 03:10:09 | 統一家の行くべき道

すでに「信じる」信仰時代は終わったとみるべきでしょう。

かつては「ただ信ぜよ!」と言われました。「イエスの十字架とその復活を信じる者は救われる!」とキリスト教では言われました。

仏教では「阿弥陀様を信じれば救われる!」と南無阿弥陀仏の信仰が長く世を支配してきましたが、それもすでに形骸化しています。

 

日本の新宗教

 かつて日本の新宗教はすでに信じる信仰のレベルを超えていました。江戸末期から明治の時代に勃興した新宗教は「心がけ」を改めることを説きました。この教えは幅広い支持を得て、その形式は神道の形式は取りましたが、実は心がけのアドバイスやガイダンスをする宗教でした。またこれらから派生して生活実践を重んじる宗教や倫理道徳運動が一世を風靡しました。

戦後の日本では創価学会などの現実利益を謳う宗教が勃興しましたが、これらは戦後の混乱期に頼るところのない人々が心のむなしさを抱いていたところに様々な会衆のつながりを重視しながら拡大してきました。

そして今は「宗教」に救いを求める人が極端に減少してきている時代です。これらの概要は先日「宗教に「救い」はあるか?」の記事に紹介した通りです。

 

実践的宗教が求められている時代

 少なくとも日本を取り巻く宗教圏は、すでに実践的宗教の段階を迎えてきています。生活実践にその基盤を置いて親子、夫婦、兄弟間、さらには隣人や職場における人間関係の在り方について教えるようになってきました。生活実践の在り方の指導が現代宗教の課題になり、そのような課題に応えられる現実的宗教がその勢力を増やしていっています。

現代社会は、人間の個別化が進み、過去の時代の固定的な倫理観や道徳観に人々は捕らわれなくなりました。その分、人々の生き方は個別化が進み、個々人の社会からのかい離が進み、孤独化が深刻な課題となってきています。

既成の宗教には満足を得られなくなっているのが実情です。一時一世を風靡した兄弟宗教もなりをひそめている時代です。

 

これから必要とされる現代宗教は

 これからの時代はどのようになって行くのでしょうか?原理ははっきり答えています。それは「侍義」の時代だと言うことです。

繰り返して述べていますが、「侍る生活」ここでは模範的家庭生活のレベルを備えた実体が現れれば、その理想に一致化してその生きざまを学びたいと望む人々が増えてくるのです。

残念ながらその時代的風潮にもかかわらず「家庭連合」はその時代的風潮から取り残されています。その組織内に見るべきものが乏しいのです。現実の多くが過去の時代に流行ったご利益的信仰や他力本願的信仰間に支配されて、家庭連合本来の理想家庭の実体を求める気風が失われているからです。

 

家庭理想の実体が求められる時代

 実体は実体のモデルが無ければだれもその必要性を感じることができません。霊的なもの、無形なものだけでは現代の人々は満足しないのです。空想的なものは一時人々を捕らえてもすぐに消えて行ってしまいます。実体が無ければだれも寄り付きません。逆に実体さえあれば人々は様々な方法手段をもってしても集まってくるのです。

 

昨日から述べていますが。「真の家庭」の実体を避けて通っているのが今現在の少なくとも日本の家庭連合です。

 真のお父様はご自身の家庭を通して本来、人類すべての人々が求める家庭理想の実体を実現して世に問おうとされました。そしてその理想を継続的に発展させる意味を持って父子協助時代を宣言され、子女様(代表的には顕進様)の家庭を立てて祝福の権限を委譲して家庭理想実現運動を全世界に展開するべく三度にわたる世界巡回ツアーを挙行されたのです。本来そのツアーが正常的に完結さえしていれば、すでにこの世界は家庭理想実現運動が世界的に拡大してい、文先生の再臨のメシアとしての使命は完結していたはずなのです。

ところが思わぬ妨害が入って、その完結の時を迎えぬまま真のお父様は聖和して行かれました。

 

真の家庭理想実現運動の実体の中心は明らか

真の家庭理想実現運動の実体は明らかです。それこそ真の子女様の家庭です。それは我々統一運動において最も貴重な存在です。その家庭無しには統一原理で謳った三大祝福の完成世界の実現はあり得ません。にもかかわらず今の家庭連合では真の子女様の家庭を「分派」呼ばわりして教会員たちがそのもとに赴くことさえ禁止し、その首魁に参加した公職者は職務を解任するという暴挙まで行っています。これらは神様の摂理とも、文鮮明先生が掲げた理想ともかけ離れたものです。

だから天運が働かないのです。教会幹部やちょろうと言われる人々は早くそのことの間違いを知って悟ってその方向を改めなければなりません。それが出来なければ、「家庭連合」は時代から取り残され、天運から取り残され、もちろん神の摂理からも遠ざけられてしまうでしょう。二世たちの時代には何も残らなくなる可能性さえあるのです。

 

目覚めなければなりません。自分たちが一番大切にしなければならないものを蔑ろにしてきたことを知って悔い改める時なのです。最も大切にしなければならない宝物を投げ捨ててしまっていたのです。今こそ悔い改めて本来の筋道に帰らなければ、ぶどう園の管理を任せた僕が不義なる行いで実の息子まで殺めた結果、農園の主人はその管理権を僕から取り上げて他国の人々に与えた譬を思い出すべきです。

そういう真剣な時に至っているのです。


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