HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

弁明の余地のないそのようなやり方がなぜ続けられてしまったのか・・・過去の過ちを十分反省しきれていないことが今日の問題を大きくしてしまっている最大の要因なのではないか

2017-04-21 00:39:20 | 歴史について

弁明の余地のなかった「‥商法」のやり方

「・・商法」と名付けられて追及された数々の事実・・・それらは弁明の余地のないようなやり方だった。

客として会場に行くとおもむろに「先生」という人がやってくる。姓名判断や家系図を頼りにその人の名系にある、様々な問題点を指摘する。そして、先祖が抱えて来た様々な問題点を解決するためには何らかの条件物が必要だとして、その解決方法として「壺」を勧める。この際、「先生」がいかに素晴らしいかと言う風に持ち上げ役(組織内ではヨハネと言っていた)がいて場を盛り上げる。そうして、この「壺」を買わなければ大変な障りがあるかと言う話になっていく。あるところでは場の雰囲気を盛り上げる?ために演出まで行っていた。それは、会場の一角で「霊障」・・・・先祖が苦しんでいるという障りの「演技」をするのである。そして延々と契約が成立するまで、話が終わらない。さらには、契約が終わると、入金にまでついてくる。「家人には知らせないように」との口止めもする。etc.・・・当時消費者センターに持ち込まれた苦情の数々は普通では到底考えられないような異常としか思えない販売方法の数々であった。それを当時は、皆真剣に、間違っているとも思わないで(必ず良心の呵責はあったはず)続けて行った。それはなぜか?

行き過ぎたやり方に付いていけなかったものも多かった。しかし、そういうメンバーは「実績が出せない」として、販売の前線からは自然に退けられ、多少異常だと思われても「実績を出す」メンバーが貴重視されて用いられていった。

指導者たちにも「良心の呵責」はなかったのか・・・?

確かに「行き過ぎ、やりすぎ」と思っていたリーダーもいたようだが、「実績」の2字のためにその思いはかき消されてしまっていた。実績のためには「やむを得ない」と言う答えだったのである。

 

徹底した批判キャンペーン

最初は共産党が「赤旗」で取り上げて問題視していたのであるが、そのうち商業誌やテレビで取り上げられるようになり、大々的な批判キャンペーンが展開され、万事休すとなって行った。最初は「霊石で救われた人もいる」「反対キャンペーンは共産党の謀略だ」として対抗していたが、さすがに世論の支持は得られず、一方的な防戦に陥らざるを得なくなった。このころ例の「・・商法被害者弁連」なるものが組織され、その後、今日に至るまで単に壺や塔の販売活動だけでなく、教会活動やさらにはその関連活動にまで追及の手を向けて来たのである。

今でも「統一教会=・・商法」のイメージは広く定着して残っている。桜田淳子さんや山崎浩子さんなどが祝福行事に参加したのはそのころであり、彼女たちにもパッシングはおよび、桜田さんは残ったが、山崎さんは去って行った。

最近桜田淳子さんが引退以のライブを行うことで話題になったが、今なお被害者弁連が登場して、ライブを妨害した。

 

結局壊滅的打撃だけが残った

この事件を通してそれまで右肩上がりだった経済の実績も伝道の実績も急速に低下して、組織的には暗くて長い低迷期を歩んでこざるを得なくなったのである。教会員の身内や親族からも嫌われて、表立って「統一教会」の名を出すことすら憚れる年月が続いて行った。今でもそのイメージが完全に拭われたとは言い難い現状である。

それでも、兄弟姉妹は一生懸命努力してきたと思う。様々な困難を乗り越えてよくここまでやってきたと思う。ただしこの「事件」が引き起こされてのちの対処が適切だったかどうかは今でも疑問が残る。

 

問題は何だったのか

問題は何か!多くの兄弟たちが懸念を持ちつつもその後社会的非難を浴びるような非倫理的な販売活動に狂奔してい待ったのだろうか?このことが一番大きな問題だと思う。そしてその過ちを教訓にして、組織や教育、さらには活動の在り方などについての検証や反省がどれだけ行われて来たかと言うことが最も重要な問題なのではなかろうか!

問題があったならば、その問題の本質を明らかにして、再びそのような問題が生じないような対策を講じて行かなければならない。その問題点を曖昧にしたままことを過ごしてしまえば、また再び同じような過ちを繰り返すこととなってしまう。

根本的に問題点を明らかにして、組織の内外からその問題点を修正して方向を転換していけば、その組織は再び復活して前にも増しての発展や飛躍を期待することもできる。この分かれ目が、問題に取り組む姿勢なのである。

 

不十分だった反省

残念ながら、この事件に対する反省の取り組みは十分なされて来たとは言い難いのが実情であろう。それは失われた社会的信用を未だ十分には回復できていない実情が物語っている。いま組織外から客観的にみれば、統一教会今は家庭連合と名称を変更はしたけれど、十分にその信用を取り戻しているとは言い難威のが実情である。本来「統一」してしかるべき団体が誰の目から見ても分裂状態に陥っているのが実情なのである。

問題は、どこにあったのだろうか?その問題の一番の問題点が、HOPEは、真のお父様が済州島、水沢里で行われた修練会の目的と一致していると見るのである。

 

「良心」の喪失が一つの大きな問題だった

「良心は両親に優り、良心は先生に優り、良心は神様に優る!」と教えてくれたお父様であった。長くお父様は日本に入国できない状態が続いていた。日本に一番近い済州島で修練を始められたのは、日本教会の基本的な在り方に本質的な会カウを願ってのことだった。真のお父様が「良心」をしきりに強調されたのは、日本食口の、中でも婦人たちの心の中に「良心」が啓発されないままになってきた、そのことの過ちを修正して下さろうとしたことに間違いがないと思うのである。

先に述べたように、それまであまりにも組織が強調され、「アベル」と呼ばれた、組織の上位者への絶対従順の信仰生活姿勢が、結局様々な問題を引き起こす引き金になってきていたのであった。事の良し悪しを自らの良心に問ううて判断するのではなく、組織の上位者への(盲目的)従順で判断して来たところに、大きな過ちを引き起こす最大の問題点が潜んでいたのである。

 

間違っていた「アベル・カイン」

そののち度々お父様は「日本のアベル・カイン」は間違っていると指摘されて来た。にもかかわらず、その問題点は十分解決解消されないままに来てしまっている。あの済州島・水沢里の修練会であれほど真のお父様が「良心は両親に優る・・・」と語られたにもかかわらず、今の今まで日本教会の食口たちは、自ら自身の「良心に問うことをせず、ただただ、組織の上位者の語る一言一句をそのまま受け入れ、そのまま下位に伝達するという過ちを犯し続けている。

組織の上位者が何を言い何を求めても従順に従うことが信仰であるとの誤った考えが、組織の方向性を大きく狂わしている一番大きな原因となっているのである。勿論、組織の上位やトップにある人間の判断や式指導に従うということは基本的には問題ではないが、そのことが極端に推移すればとんでもない過ちを犯す大原因になるのである。そしてそのような場合、結局誰もその問題の責任を取らずに終わってしまうことが多い。究極の無責任に陥る可能性も大きいのである。

 

子女様が教えた「オーナーシップ」

かつて真の子女様、顕進様が「オーナーシップ」と言う言葉を強調されて指導されていたことがあったことをみな覚えているだろう。その言葉も同様の意味を持っている。皆がトップ(オーナー)の意識や観点に立ってこそ、その組織はその力量を発揮して発展して飛躍していくようになるのである。そういう上下の意思の疎通のけけた組織は何かと問題を引き起こしあやすのは一般社会においても同様である。

「お役人根性」と言うのがある、組織の最終的トップでは無くて、中間管理職になると、全てが事なかれとなり、最終的トップの意向とか医師に関係なく、その組織の下位の人々に対して差別的であったり、否定したり無視したりする態度を取りやすいものなのである。

 

中間管理者の陥る過ち

まさに、問題を大きくした統一運動の組織の中間者はそのような誤りに陥っていたと言えよう。

だから、お父様は中間組織はいらないと言われた、最終的には統一教会さえ必要ない。とも言われた。しかし、いまだに組織は残存している。そして真のお父様が懸念されていたように、中間管理職の「お役人」たちが、ただただ組織の残存に狂奔する醜態を晒している。

組織がすべて悪いわけではない!お父様が指導されたようにすべての食口が「良心」を大切にし、また子女様が指導されたように、皆が「オーナーシップ」をもって事に当たり事に対処していけば、その組織は組織としての役割を最大限発揮して、大きな成果を出すことも可能になってくるのである。

 

自由闊達な組織が発展をもたらす

皆が「良心」をしっかり持って歩み、皆が「オナーシップ」をもって歩みさえすれば、そこには自由で闊達な様々な取り組みが生まれてきて、創造的発展的組織活動がなされるようになるのである。

理不尽な「通達」や自由のない閉塞的な組織運営は障害でしかありえない。最近よく見る「公文」や「通達」の類は、本来活性化された組織にはあり得ないことなのである。

何故、組織を防衛しなければならないのか!、それは組織に何らかのも問題があるからだと考えなければならない。一部のものだけに権力が集中する組織では、組織的問題の自浄作用が失われて、どんどんと問題が拡大し、最終的には収拾がつかないレベルに陥ってしまうのである。そういう組織においては警鐘を発するものがともすれば排除され、組織の反逆者とみなされることが多い。しかし、それは組織全体の自滅行為だということを知らなければならないだろう。

 

危機を乗り越えるために

今、統一運動は絶体絶命の危機に瀕しているというべきであろう。組織内の自由性の欠落と様々な問題を隠蔽する体質がそうさせているのである。これは、「・・商法」で統一運動最大の壊滅的な打撃を受けた時に非常によく似通っている。

過去の失敗を忘れてしまってはいけない。過去の失敗を十分反省して生かし切れていないことが、今日の大きな問題なのである。

陥ってしまった過ちに気づき、その方向性さえ改めることが出来れば、再び統一運動が復活し飛躍することは夢でも何でもない、十分すぎるくらいに可能性を秘めているのである。

皆が「良心の自由」を取り戻そう!それが一番の鍵であるとHOPEは思う

 

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