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Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

神の戦法とサタンの戦法

2017-01-25 18:10:28 | 徒然

顕れた現象を見れば、その本質を知ることができる。

神側かサタン側か、その現象自体を見ていてはわからないことがある。しかし、物事の事態の推移を見れば、何が神側であり、何がサタン側であるかわかってくるものである。

神の戦法は「打たれて復帰する」道

サタンの戦法は「打って奪う」道である。

善悪の分岐点はその場では同様の姿に見えるけれども、時間を経過して行ってみればだんだんと事態が顕わになって、何が善であり何が悪なのか?どちらが神側なのか、サタン側なのかがわかってくる。

人類歴史は善悪闘争の歴史だと、統一史観は謳っている。

先回も引用させてもらった「まっちゃんのブログ」であるが、最新記事で「束草事霊界メッセージ事件後の家庭連合の動き」という記事を投稿してくれている。

内容は「王子の乱」と言われる、内容は韓国時事ジャーナルに掲載された記事を引用したGildongブログの内容である。

 

神は永遠不変絶対的且唯一の存在である。そして神の本質は愛である。

旧新約聖書は神を愛することを教えた。だから信仰者は信仰者らしい歩みをしてきた。すなわち神を第一として、その愛を具現化することを願って歩んできた。それに対して、不信仰者、唯物論者や無神論者は神を畏れることをせず、愛ではなく憎しみを原動力として、暴力的行為をほしいままにしてきた。

その行いを見れば、それが神からのものかサタンからのものであるかがわかるのである。

王子の乱で、どちらが神側かサタン側であるかの論評は避けよう。それはいずれも真の父母様の子女様であり、ともに一つの家族なのだからそのことを論議することは我々がすることではない。

ただ、神の家にも神側とサタン側は存在する。希望をもたらす側が神側であり、その結果が失望に終わるものはサタン側である。

 

無神論思想の共産主義はその成立以来実に多くの人命を奪ってきた。彼らは「政権は銃口から生まれる!」と唱えて武器を持ち暴力で政権を奪取し、暴力でその政権を維持してきた。

神の側の民主世界では、一時サタン側との戦いを経過しても、その戦いが終われば平和的な施策により平和を取り戻し、お互いが戦った間同士でも友好融和を取り戻し、固い同盟関係さえ結んできた。第2次大戦を戦った日米がそのよい例となっている。

恨みや憎しみを増長させるのはサタンの業である。そこには未来への展望を見ることもできない。

打たれて復帰するのが神の戦法である。統一家の混乱も、だれが打って誰が打たれているのかを見るとよい。

一見不利な状況で、抜き差し難い困難な状況にあるものが最後は勝利者になる。そこには無限の希望があるからである。

サタンは一時様々な謀略や暴力的手段で主権を奪い、支配を続けるが、そこには永遠性はない。

2000年前にイエスキリストはイスラエル民族の決定的不信に遭遇し、最後の手段として十字架の道を選択した。罪なき身に罪の汚名を着せられて、しかし、失望ではなく、希望を抱いて十字架の道を登っていった。十字架の苦痛の先にある神の国の訪れに無限の希望を持って行った。サタンに対する最大の武器は恩讐を愛する道であり。敵を許し愛する道であることを自ら究極の実践をしていかれたのである。

再臨主としての真のお父様の行かれた道も同様であった。

打つもの、非難するものを常に包摂し、彼らが本然の姿に復帰する日を願い続けてこられた。まさに神の側にある者として究極の歩みを実践されて来たのである。

その使命を父子協助時代を通して継承されたのがどなたなのでしょうか?武器や武力や陰謀を使うわけではありません。困難に当たって常に祈りと許しの心情で敵対するものをも愛で包摂する心情でもって歩む者こそが神の御国を受け継ぐのではないでしょうか。

 

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